幕間:惨劇の結末とIsekai Kawaii



 虚無の海に入って1週間が経過した。

 異世界転移船は順調に航行していた。


 狂気は突然はじまった。

 あらかじめ爆弾を抱えていたのではないか。

 あとになって生存者はそんな疑いを持った。

 それほどに、突然だったのだ。


 緒方はいまだに痛む鼻を押さえながら、喫煙所へやってくる。

 喫煙所には先客がいた。

 乗組員のエンジニアだ。

 エンジニアは自分の歯を指引っこ抜いて、喫煙所の壁に突き刺していた。


「……なに、してんだ、お前」


 緒方の口から、くわえられ煙草がポトリと零れ落ちる。


「ああ、暗黒が来る。捧げないと」


 エンジニアが振り返る。

 口の周りは血まみれだ。

 ニヤーっと笑う口のすべての歯が抜け落ちている。


「ッ、動くなッ!」


 以上を察した緒方は、とっさに腰のホルダーから銃を抜いた。

 人間を無力化するための22口径だ。

 

 エンジニアの目と鼻と口から血があふれだす。

 

「ああ、来る、来る、もうそこまで、来てるッ!! あああああああ!!うわあああああああああああああ!!!!!」


 エンジニアの腹が蠢き、裂け、黒い腕がズンっと勢いよく飛びだし、喫煙所の天井をへこませた。

 緒方はたまらず発砲する。

 4mもの長さを誇る黒い腕は緒方の手をはたいた。

 それだけで、手首から先がちぎれてしまった。


「ば、かな……!!? な、なんだ、なにが、なにが、起こって、いる──」


 黒い腕が緒方を弾き飛ばす。

 隔壁に衝突し、血のシミをつくり、べちゃっと通路に転がった。


 同時刻、船のあちこちで”異変”は起きていた。


「武器庫を解放しろッ!」

「BブロックとCブロックはもうだめだ!!」

「自室に備え付けの棚があったろ、あれを外してバリケードにするぞ!」


 船員たちは異形を迎え撃つため、ありったけの銃火器で武装する。


「どこから入って来たんだ!」

「違う、あれは、俺たちだ、俺の隣にいた奴がいきなり、頭がふくらんだかと思ったら爆発して……」

「異世界まであと少しってところで、なんでこんなことに!!」

「あああ、最悪だ、死ぬんだ、みんな死ぬんだ。ここで、バケモノになって死んじまうんだぁあああ!」

「細菌か? 異世界の未知の病気に気が付かないうちに感染していたのか?」

「推測なんてどうでもいいッ! いまはアレをぶっ殺すことに集中しろッ!」


 閉じていた隔壁がガンガンっと叩かれる。

 直後、耳をつんざくような、隔壁の裂ける音が響いた。


 裂けた隙間の向こうから、ソレはこちらを見て、そして、笑った。


「ミ、ミッ、ケ」


「ぁ」

「ぁ、ぁ、ああああああ!!!!!」

「撃てええええええええ!!!!!」


 最初、敵はひとりだけだった。

 いつの間にか隣の奴が異形になっていた。

 

 体のバランスを悪戯に変更したような醜い姿。

 神だけが行える天罰のなれ果てだった。

 あまりにも冒涜的な姿は一度見れば、二度と忘れることはない。

 思い出すたびに恐怖に打ち震える。

 生命を侮辱し、人間の尊厳を踏みにじる悪徳によって船員はまたたくまに数を減らしていった。

 

「コ、ロ、シ、テ、コロ……」

「あ、あああああ!!!!」


 銃を撃ち、1分前まで成人男性だったソレ──液状化した胎児を始末する。

 そして、今度は自分が魂の在り方を失う番だ。


 混乱と終わりへ着々と終わる船内。

 警報と銃声が鳴りやまない。

 やがて廊下が暗くなった。

 エンジンにトラブルが発生したらしい。


 如月博士はアンティーク品──非常時装備──のなかから、ボイスレコーダーを手に取り、電気の消えた通路を走る。


 何を喋るか。考える時間すらない。


「イヴ、すまない、僕はここまでだ。愛や勇気、生きることの喜びや悲しみを教えてあげたかった。君にそれらを教えてくれる人がいればよかったが、うあああ!」


 如月博士は耳から噴出した血を押さえる。

 もう時間が残されていなかった。


「あ、あ、こんな、ことが……異世界は、危険だ……危険にすぎる……まだ、22世紀の人類の手に負える環境じゃないなかったんだ……」


 如月博士は血を吐き、変形する脳と、臓器の間から湧いてくる屈辱的な赤子の胎動を必死にこらえ、冷凍室へとむかった。


「ああ、あああ、イヴ、イヴ、君なら、ダイジョブ、ダ……キミは、たどり、ツケル……! あああ! 暗黒……暗黒が……──」


 20コも同型の冷凍庫がならぶ左から三番目にキサラギは隠されていた。

 手を届かせ、自動で目覚めるようにタイマーをセットする。そうすればキサラギは異世界で目覚めることができる。

 すこしだけ遅かった。

 如月博士は失敗した。

 あと一歩のところで、自我を完全に失い、人間ではなくなってしまったのだ。


 ──数時間後


 船は異世界にたどり着いていた。

 

 緒方は目を覚まし、自分の体が再生されている事実に驚愕した。

 

「みなぎる、みなぎる……なんだ、この力は、みなぎるぞッ!!」


 船を占拠していた異形はすべて緒方の超能力をもってして焼き払われた。

 地球の神秘は、異世界の検閲をまぬがれ、異界の神がつくりだしたバケモノをひとつ残らず科学の聖域から追放した。


 緒方は最後に冷凍室へやってきた。

 ズラッと並んだ冷凍庫の前に、白衣を着た異形がいた。

 胸の社員証からだれなのかはすぐにわかった。


「……」


 緒方は目を細め、パイロキネシスで異形をふっとばした。



 ───長い時間が経過した


 

 ピーっという音が冷凍庫に響いた。

 ぷしゅーっと白い冷気とともに、冷凍庫が開いていく。

 無表情のまま、キサラギが出て来る。

 

「電波をキャッチできませんね。座標計算中。不明。時刻。不明。キサラギは迷子になってしまいました。ブラックコフィンと接続。これはキサラギのものですね。起動します」


 冷凍庫のひとつがはじけ飛び、なかから黒い墓石が飛びだして来た。

 ライトグリーンの蛍光帯が走っている。

 父親からの最初で最後のプレゼントだ。


 キサラギは足元の燃えカスを見つめる。

 膝をおり、しゃがみこみ、焦げたボイスレコーダーを拾った。

 かろうじて動く。

 

 音声一件、再生開始します──『イヴ、すまない、僕はここまでだ。愛や勇気、生きることの喜びや悲しみを教えてあげたかった。君にそれらを教えてくれる人がいればよかったが──』


 録音はとぎれとぎれだった。

 背後では、鳴りやまない銃声と警報、如月博士自身の苦痛にうめく声、そして身の毛もよだつ有機体が変貌する湿った音も潜んでいる。


『イヴ……イヴ……、ド、ウカ、スコ、ヤカニ……生きて、クレ……』──カチっ


 音声はそこで終わっていた。

 

「キサラギは愛と勇気、生きることの喜びと悲しみを探します。如月博士、ありがとうございました。おやすみなさい」


 キサラギは船の惨状を目の当たりにした。

 死蛍が蔓延しているおかげで、船の中は明るい。

 メインデッキにやってくると、壮絶な戦いの痕が見受けられた。


「この船は機能を完全に停止しているようですね。イセカイテック社の特許技術が随所に見受けられることから、この船を緒方京介主任研究員設計『NEW HORIZON』号と推定できます。おや、これはなんでしょう。金属の棺に見えます」


 キサラギはとてつもないエネルギーがあふれているソレつけた。

 金属片の寄せ集めて、極めて強力な力で圧縮されて、作られたと思われる急造のアイアンコフィンであった。


「キサラギのブラックコフィンのほうがKawaiiですね。これはいりません」


 キサラギは無視して、船を脱出した。


「森です。木の幹、木の葉、地面、それぞれに反射する光の色彩が地球のいずれの森とも一致しません。太陽の位置もおかしいですね」

 

 キサラギは論理的な思考を働かせる。


「異世界転移船はミッションを完了しましたか。おめでとうございます、NEW HORIZOON」


(異世界に来たということはイセカイテック社の廃棄命令は無効と見てよさそうです。よかったです。キサラギはまだ死にたくありませんでしたから。おや、動物がいます。異世界なのに、人間に酷似しています。観察を開始)


 キサラギは木の葉の陰から、人間の子供と酷似した生命体を観察する。

 ふと、耳にかけイヤホン式の外付け装備がぽとっと落ちてしまう。


(あ)


「わあ!」


(緊急事態発生です。状況:ピンチと推測します)

 

 キサラギはじーっと人間に酷似した生命体──エーラ・アルドレアを見つめた。


「えーと、お姉ちゃん、そこでなにしてるの……」

「……(※エーテル語を理解できない)」


 一定の距離を保ち、じーっと見つめ合う。

 10分以上、2人はそうしていた。

 エーラは何度か話しかけたが、キサラギは微動だにしない。


 ふと、エーラは、自分とキサラギの間に落ちている耳掛けイヤホンを見つけた。

 見たことのない、異質な物体をひょいっと拾い、眺める。

 色合いがキサラギの服装と似ていたので、すぐにキサラギのアイテムだとわかった。


 メタリックで、つやつやしていて、なんかカッコいいものに、エーラは普段の明るさを取り戻しつつあった


「これカッコいいー! お姉ちゃんの?」

「……(コクリ)」

「はい!」


 キサラギは耳掛けイヤホンを返してもらい、そっと耳につける。

 

(敵意は感じません。それどころか愛でたくなります。これは伊介博士の教えてくれた尊いという感情でしょか。そうに違いありません)


 キサラギはエーラを怖がらせないようにブラックコフィンを木の裏にかくし、そっとエーラのほっぺを両手で挟んだ。


「え? え?」


 そのまま持ち上げ、抱きなおし、ぎゅーっとした。


(尊い。命の尊さ。温かい。これがJapanese Kawaii。いえIsekai Kawaiiでしょうか)


「お姉ちゃん、つめたーい……」

「(ぎゅーっ)」


 エーラは異様なほどひんやりしているのに、お構いなしに抱き着いてくるキサラギへ不満げな声をもらすのだった。


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