おかえり


 霊木に叩きつけられ、めり込んでいた俺は、黒焦げたソレが地上へ落下していくのを見届けて、ホッと息をついた。


 全身に脱力感が襲ってきた。

 魔力を使いすぎたかもしれない。

 それにしても、ハイパーモードが強制解除されるなんて……初めてのことだ。

 その後、俺は自分の意志でハイパーモードを使えなくなってしまったし……。

 やはり、まだ絶滅指導者との戦いで背負ったペナルティが続いていると考えたほうがいいのだろうか。


「それにこの眼……」


 ひんやりしている。

 見ようと思えばどんどん細かいところまで、クローズアップされて見えてしまう。

 まるで目玉を光学レンズに取り替えられたみたいだ。

 あまり焦点を1箇所に合わせすぎると、処理する情報が多くなりすぎて、こめかみあたりが痛くなってくる。


 俺は眼の視点に気をつけながら、とりあえず霊木の隙間から抜けることにした。

 幹の表面のとっかかりを伝って、地上へと降りる。


 戦士たちは呆然と立ち尽くして、俺を遠巻きに見つめてくる。


「アーカム」


 ジュブウバリの女戦士たちに支えられ、カティヤは幹に身体を横たえていた。

 すぐそばに寄り、膝を折って目線を合わせる。


「カティヤさん、ずいぶん迷惑を掛けました」

「いいのだ。何も気にしなくていい。そなたは帰ってきてくれた」


 カティヤはフラつきながら、もたれかかってくる。

 そのまま頬を擦り合わせてくると、俺の耳をハムハムしはじめた。

 だめです。はい、あうと。

 それはほとんどセックスです。


 俺は冷静を装いながら、カティヤから離れてる。重症な彼女はジュブウバリの戦士に任せることにした。


 ジュブウバリの戦士たちが嬉しそうにやってくるのをかき分けて、俺はアンナのもとへ駆け寄った。


 すこし離れた木影で、アンナはぐったりしていた。

 顔色が悪く、血の気がない。

 いつもの彼女からは想像もできないほど弱っているのは火を見るよりも明らかだ。

 

 彼女に声をかけようとし、ふと、疑問が浮かぶ。

 これは本当にあのアンナなのだろうか?

 すこし見ない間に、かなり雰囲気が変わった。

 直截に言えば、大人っぽくなっている。


 眠っていたせいか?

 俺はいったいどれだけの期間は、ああしていたんだ?

 

 事実を知るのが怖かった。

 だが、前へ進まねば何も始まらない。


「アンナ、大丈夫ですか?」


 そっと声をかける。

 のっそりと気怠げな瞳がこちらを見てくる。

 

「アーカム……さっきの、なにあれ……また、あたしにナイショの必殺技……?」

「大した魔術じゃないですよ。それより、どうしてこんな? いつもなら殴られても斬られても貫かれても、ケロッとしてるのに」


 アンナはボソボソとした声で簡単に説明してくれた。

 絶滅指導者との戦いで、血脈開放を使ったこと。

 成長していない子供の身体での発動には大きな負担があり、その反動のせいで回復能力の多くが失われてしまったこと。

 そのペナルティが今なお彼女の肉体を蝕んでいること。


「血を飲めば治りますか?」

「……どうだろ、わからないよ、こんなダサい状態になった事ないし」

「僕のを飲んでいいですよ」

「別にあんたの血なんて飲みたくないんだけど……」


 俺は前腕をずいっとアンナの口元に差し出す。

 アンナは少し頬を染め、逡巡すると、俺の胸ぐらをガシッと掴んでひきよせた。

 そして、その牙を俺の首に突き立てた。

 

 えぇ、首ぃ……。

 腕、腕ですよ、アンナさん。


 今この瞬間、間違いなくアンナに命を握られている俺。

 出るところに出れば「殺生与奪の権を他人に握らせるな!」と叱責されてることだろう。


 キツめに密着したままの姿勢で、おとなしく血を吸われつづけ「吸いすぎでは?」とか「めっちゃTITIが当たってます……」とか、内心で不安と羞恥が、幾何級数的な増加を見せていると、ようやくアンナは俺を解放してくれた。


 危ない。

 あと2秒で俺の意識が飛んでいた。


「吸いすぎた」


 アンナは鼻血を出しながら、頬を高揚させ、大変満足げな顔で、口端からこぼれた血をぺろりと舌なめずりする。

 ちょっとクラクラしてきた。

 乳圧で胸骨圧迫されていたせいだ。

 それと、単純に今ので貧血気味になったのもある。


「僕は病人なんですが……」


 アンナの隣に腰を下ろす。


「あんなに元気に動き回ってたんだから大丈夫だよ」

 

 アンナを見やる。

 傷口がもうほとんど癒えていた。

 俺の血が無駄にならなくて何よりだ。


 アンナはストンっと寄りかかってくる。

 俺の肩に頭を乗せてくる。

 なんだか塩らしいな。

 いつもは辛口なのに。うん、上手い。

 

「最後に話したのは僕の13歳の誕生日の夜でしたね」

「少なくともそれから2年は経ってるよ。あんたがカティヤに1年面倒見てもらって、あたしが合流しても1年ずっと眠ったままで……いや、目が開いてたから起きてはいたのかな、まあでも、そんな感じだよ」

「本当に?」


 だとしたら、時間を割りだせる。

 俺が里に来てオブスクーラの会を壊滅させるまで半年は掛かってた。

 そこから、意識を失い2年間。

 となると、13歳の誕生日のあの日から2年半もの時が経ったことになる。

 まじかよ。光陰矢の如しなんてレベルじゃねーぞ。寝て起きたら2年経ってたよ。


「なんだかずいぶん遠いところに来ちゃった気がするよ」

「僕もです」


 手のひらを見下ろす。

 よくよく考えれば、俺の手もかなり大きくなっている。

 成長期の2年が瞬く間に過ぎ去ったせいだろう。


 ん? ということは俺はもう15歳なのか? 

 誕生日プレゼント2回もらい損ねてんじゃん。クソがよぉ。

 

 それから、しばらくの間、俺とアンナは隣になってお互いの体重を預けながら、ポツリポツリと言葉を交換した。


「アンナの言葉聞こえてましたよ」

「ぇ?」


 からかってみる事にした。


「僕の手を握って、いろいろ話してくれましたよね」


 もちろん、内容なんて覚えてない、


「き、聞こえてたの……?」

「はい。全部」


 アンナは耳までカーッと赤くする。

 え、本当になにか言ってたんですか?

 気になってきた。気になりすぎて、これでは夜しか眠れない。訊いてみようかな。


「アンナ、もう一度、ここで繰り返してくれます?」

「誰が二度と言うか!」

「ぐへぇッ?!」


 強烈な肘打ちを喉に食らってえづく。

 調子に乗りすぎた。でも、俺病人よ。忘れないでね、アンナっち。


 それから、微妙な時間が過ぎていった。

 特に会話もなく、静かな空気だけが俺たちの間を泳いでいた。


 肩越しに伝わる彼女の温かさは、暗闇のなかで俺の手を握り続けてくれたものだ。

 今ならその温かさに全幅の信頼を寄せられる。

 

「帰ってきてくれてありがと、アーカム」


 沈黙を破ったのは、アンナのそんな言葉だった。

 彼女はそう言って澄ました笑みをうかべると「よっと」と立ちあがる。

 お尻の土を払って、スタスタと向こうへ行ってしまう。

 行くの? 俺、動けないんだけど?


「僕、貧血ですよ? 動けないですよ?」

「すこし血を返したら動けるようになる?」

「血を? どうやって?」

「さあ? 吸えば?」


 アンナはいたずらにそう言って、流線を描く白い首筋を見せてきた。

 ここで吸っちゃったら、それはほとんどセックスなんですよ。


「遠慮しておきます」

「そう。……やっぱり性欲がない生物なのかな……でも、血は赤いんだけどなぁ……」

「?」


 アンナはぶつぶつ言いながら、向こうへ行ってしまった。

 

 その後、次から次へと、俺のもとにはジュブウバリ族の戦士たちや、子供たちがやってきた。


 多くの者たちと話をした。

 夜になれば、亡くなった者たちの亡骸を燃やし、里の全員で炎を囲んで弔いをした。


 死蛍が炎の温かさのなかで、冷たく光る。

 俺は炎を囲む輪のひとつとなりながら、その死蛍たちをじっと見つめていた。


「戦士たちはどこへ行くんですかね」


 カティヤに聞いてみた。


「戦士は森に還り、英霊となって我らを護り続けてくれる」

「人間ですね」

「? ああ、そうだろうな。人間は思いを託し、繋ぐ生き物だ。我らもいずれ繋ぐ時が来る。死んだ者たちは、そのお役目に着く時が来ただけなのだ」


 俺は夜空を見上げる。

 

 数千年掛けて成長したであろう霊木はズタズタにされ、ツリーハウスの多くが甚大な被害を受けた。

 闇の魔術師たちがこの静かなる秘境に残した悪意の爪痕はあまりにも大きすぎた。


 ただ、きっと大丈夫だ。

 彼女たちは強い。

 悲しみは海ではない。

 いずれ飲み干せる。

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