あれは嘘だ。



 灰色の外套の男が不敵な笑みをうかべ腕を組んだ。

 戦うには無防備すぎる体勢だ。

 でも、それで問題ないのだろう。

 たぶんアイツは戦わない。

 戦うのは男のすぐ横のバケモノなのだろう。


 男とバケモノは俺のすぐ目の前にいる。

 10歩も歩けば届きそうな距離……せいぜい7mと言ったところか。

 ちょっと近すぎるな。


「なんだガキ、死にたいのか? こっちは取り込み中だ。邪魔だからさっさとどっか行っちまいな」


 見たところ、あの若者の集団はこいつと戦闘中。

 この男の操っている六足の黒いバケモノに苦戦している。

 このモンスターはなんだろう。

 スライムじゃなかったのか?

 俺たちを騙したのかよ、なあ、スライム……。

 アディやエヴァに教えてもらった怪物知識のどれとも合致しない。


 わかるのは放っておけば死人が出ることだけだ。

 現在の位置関係はこうである。


 ──────────────────

  俺            |  |

  ゲンゼ  男  若者達  |岩壁|

      バケモノ     |  |

 ──────────────────


 男は盤石な作戦のもと退路を断つことに成功しているようだ。

 俺はもろもろ考えたあげく、もっとも効果的な手を打つ。


「確実に僕たちを逃がしてください」


 俺は男に毅然とした態度でつげる。


「なんだ、クソガキ、、まさか俺に命令しようってつもりじゃ──」

「命令ですよ。僕たちをここから逃がしてください。いや、逃げてくださいとお願いしてください。てか、しろ」

「て、てめええ!?」


 ゲンゼが不安そうにこちらを見る。

 奥の方で、若者たち騒然としている。


「僕たちを逃がさないと? では、そのモンスターをつかって僕たちを攻撃するつもりですか? してもいいですよ」

「……」

「攻撃しないんですか?」


 お前にはできない。


 黒いバケモノは必す自分の近くに置いておくはずだ

 無闇に俺とゲンゼを攻撃したとしよう。

 すると、逆に若者たち側からの攻撃に、奴は無防備になる。


 そう。

 この位置関係は期せずして挟み撃ちになっているのだ。

 だから、ムカつくガキを殺す──そんな些末な動機じゃバケモノを動かせない。


「攻撃できないんですね。それじゃあ、逃げてくださいとお願いしていいですよ」

「……クソガキが。あとで見つけ出して、殺してやる」

「僕にお願いしてください。そうすれば、逃げると約束します」


 もはや、この場の者たちみんな困惑していた。

 明らかに力関係が逆なのに、なにかおかしい、と。


「ああ、いますぐ家に帰ってママのおっぱいを吸うなら逃がしてやってもいい。いや、これじゃあ、ダメなんだろ。いいさ、いいだろう、顔はしっかり覚えた。どうせクルクマのガキだ、あとで見つけてやる」

「能書きはいいですよ。さ、はやく」

「……………チッ、逃げろ、いや、逃げてください。お願い、します」


 男は額に青筋を浮かばせながら、そう言った。

 

「わかりました。では、逃げます。行きましょう、ゲンゼ」

「え、えっと……あの人たちは……」

「いいから。ついてきて」


 俺は踏み鳴らされた綺麗な道をまっすぐにクルクマ方面へ向かって歩く。

 ゲンゼの手をぎゅっと握って、心配そうな顔にうなづく。

 彼女は俺を信じるようにうなづき返してくれた。


 俺は30歩ほど歩いたところで、おもむろに振りかえる。

 灰色の外套の男は、まだ腕を組んだまま見てきていた。


「さっさと行け!!! 殺すぞ、クソガキ!!」

「逃げてやるって言いましたよね」

「あ? ああ、だからどうした!」

「あれは嘘だ」

「…………は?」


 懐からサッと、ディアゴスティーニを抜杖ばつじょうする。

 それを見て、男は「クソガキてめええ!!!!!」とぶちぎれて、流動する黒いバケモノをつっこませてきた。


「風の精霊よ、力を与えたまへ、

     大いなる息吹でもって、

  我が困難を穿て──≪アルト・ウィンダ≫」


 完全詠唱風属性二式魔術。

 森が揺らめき、手のひらサイズの嵐となる。

 偉大なる大気圧は圧縮され尖刃せんじんとなった。

 狙いヨシ、溜めヨシ、準備ヨシ。

 

 すべての緊張が解放された。


 幾筋もの輝閃は、たばねて風神の鼓動となる。

 見えぬ無双の一撃が、黒いバケモノをぶっとばした。

 

「ふせろォオ!!」


 青白い髪の少年がさけぶ。


 若者たちがいっせいに地面に転がった。

 吹っ飛ばされたバケモノが彼らの頭上を飛び越していく。

 岩の壁に衝突し、突きぬけて、バケモノはその向こう側に落下した。

 

「…………」


 あたりは静寂せいじゃくにつつまれた。

 聞こえるのは岩の崩れる音だけだ。

 

「ば…………、ばか、な…………」


 灰色の外套を着た男は、膝から崩れ落ちる。

 俺たちの視線の先には、ピクリとも動かない件のバケモノ。

 黒い体には大きな穴がまんなかに空いている。

 胴体部分は、上と下で、皮一枚で申し訳程度に繋がっていた。


「助けるためにわざと逃げたふりを?」

「間合いが近すぎたので。あのまま戦闘してたら完全詠唱は間に合いません」


 俺はゲンゼに微笑みかける。

 信じてくれてありがとう。


「それにしても凄まじい威力ですね、アーカム。以前、わたしに見せてくれた時より強くなってますよ」


 荒風によってもたらされた被害を見て、彼女は目を白黒させていた。

 視線を若者たちへむける。

 彼らは固まったまま動けないでいた。


 近くへ寄ってみる。

 灰色の外套の男は、ゲンゼが植物のつるで拘束した。

 草属性式魔術。まこと便利な技である。


「実はあなたたちのほうが悪人だったとかっていうオチじゃないですよね」


 冗談言いながら近寄る。

 が、茫然とした顔のまま、彼らは見上げてくるばかりだ。


 7歳児としてみれば、妥当以上の魔術をあつかっている自覚はあった。

 「なにこいつ……キモ」みたいな視線を向けられるのも推測できた。


 とはいえ、この戦闘結果は予想外だった。

 本当は俺たち側にあのバケモノを引きつけている間に「今です!!」とか叫んで、若者たちに男の背後をとってもらう作戦だった。

 なのに、意外とバケモノの耐久力が低かったおかげで倒せてしまった。


 これでは力を見せびらかすために助けたみたいで居心地が悪い。

 なんか喋ってよ、君たち……。


「あ、なた、は誰ですか……」


 黄金に輝く髪の美しい少女が、ようやく口を開いた。

 

「わたくし達を助けてくださったあなたさまのお名前を、ぜひお聞かせくださいますか?」

「僕はアーカム、アーカム・アルドレアです。この先のクルクマ村の騎士貴族です。怪しい者ではありません」

「アーカム……アルドレア、さまですね」


 少女は膝を払って立ちあがる。

 腰が抜けていたらしいが、咳払いでごまかしている。


端倪たんげいすべからざる神秘の業、大いなる魔術師殿の熟達の術に感服いたしましたわ」


 金髪の少女がそういってニコリと微笑む。

 青白い恐い少年と、紫色の髪と瞳の少女がまえへ出てくる。

 

「う、そだ、ろ……こんなちっちゃい子供が……俺より、うえ? まじかよお……」

「驚愕に値する魔術。クルクマのアーカム・アルドレア。その名前、憶えておく」


 紫の少女は淡々とのべる。


 覚えておくのかい?

 その言い回しよくないニュアンスだけど?


「私はノザリス・オーカストラン。こっちの目つきの悪い彼がジェイク・セントー」

「ちょ、ちょっと、わたくしを差し置いてなぜ自己紹介を始めてしまうのですか、ノザリー!」

「あ、忘れてた。こちらの高貴っぽい方は魔法王国王家ジョブレスの第二王女エフィーリア・ジョブレスさん。気が向いたら覚えてあげて」

「ノザリー! わたくしをそんな軽々しく扱わないでくださいまし!」


 わちゃわちゃ賑やかになる少年少女たち。

 よかった。悪い人たちじゃなさそうだ。


 ところで、王女って言ってなかったかい?

 俺はゲンゼと顔を見合わせる。

 彼女も目を丸くしていた。


「え、まじで、王女…………ですかね?」

「……どうやら本当に王女様、みたいですね。……流石はアーカムです、森の散歩ついでに国を救ってしまうなんて」


 ゲンゼは苦笑いしながら言う。


「はは、困りますね、はは……」


 言いながら、頬が引きつった。

 人って極度に緊張すると顔の筋肉引きつるのね。

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