七.氾濫
「掃除屋!」
いつもの門番のひとりが灰次の姿に気付き駆け寄ってくる。
「やっぱりろくでもないこと持ち込みやがったな」
突然の大砲の音に動揺しているようだが、まだ皮肉を言う余裕は残っているらしい。
「すまねーな。すぐに掃除してくる。王国印特例を申し出る」
王国印特例。王国印を持つ者、すなわちこの国の城への、そして国王への忠心を認められた者が持つ特権である。国王からの命令や指示を待たず、独断により自身の権力を行使する権利。国王と同等とまではいかないが、白光騎士団の騎士たちを指揮する程度の権限は持つことができる。
特権発動後の手続きが面倒だからと普段は滅多に使用しない灰次だが、今回はそんなことは言っていられない。面倒なら後でいくらでも被ってやる、と心に決めて、灰次は王国印を門番たちにかざして見せた。
「クーデターが起きた。国と陛下を守るために力を貸してくれ」
特例、そして次いで出てきたクーデターという言葉に門番ふたりは目を丸くした。しかし彼らもこの国への、そして国王への忠義を貫く者たちである。そして、王国印を持つこの掃除屋への信頼も。
「頼む」
短く、そして強く答えるとふたりは城門を開いた。
「ありがとうございます。すぐにここにハマルと名乗る者が参ります。あとはその者と共に。……おふたりに、クルスの加護を」
トウカが開きかけた城門の隙間に身をくぐらせ、去り際にふたりに告げる。
灰次はカラーとロイをトウカの後に続かせると、ふたりの門番に向き直った。
「城下にも影響が出るかもしれない。そっちを頼む。騎士団の中にも裏切り者がいる。そいつら以外の騎士たちと向かってくれ」
誰が裏切り者で誰がそうでないのか。
ひとりひとりの事情まで灰次にはわかるわけではないし、恐らくこのふたりにも誰が味方で誰が敵かなど簡単にわかろうはずもない。
しかし、門番たちは強く頷いた。
「任せろ」
「掃除屋、陛下のことを」
「心配すんな。行ってくる」
灰次はいつものように不適な笑みを残して城内へ駆け込んで行った。
「クルスの加護を!」
背中にその言葉を受けて、ヒラヒラと手を振ることでそれに答えた。
恐らく城下も突然の大砲に混乱している。だがそちらは彼らに任せておけば大丈夫だろう。トウカの様子を見るに、ズー・ディアの一部を既に手配しているようである。
「ハマルはアリエテの頭です。きっとあの方たちと共に城下を守ってみせますわ」
灰次が追いつくと、聞きもしないのにトウカは彼の疑問に答えてみせた。
アリエテはズー・ディアの中で救助や防衛に長けた隊である。万が一、敵側の勢力が城下の民に危害を加えるようなことがあっても、騎士団とアリエテの者たちがいれば被害を小さくすることはできるであろう。
「なるほど。さすがだな」
「報酬分はきっちり働くのが節気、そしてズー・ディアですわ」
灰次があの日、トウカとの別れ際に頼んでいたのはこの件だった。
カラーが自分を追ってくる可能性も考えた上で、シーザの身辺警護と、何かあった際のズー・ディアの手配をトウカに依頼していた。
周囲を警戒しつつ、門から庭へと続く石畳の上を走っていく。想像に反し、城内は静かだった。広い庭には人の姿は見えない。見慣れた井戸も静かに水を湛えたまま、いつもと変わらず白く輝いている。
しかし謁見の間に続く階段に近付くにつれ金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。中に踏み込むと、状況は外とは大きく違っていた。
黒いマントの男たちと白光騎士団、そしてズー・ディアの者たちであろう、武装した集団が入り乱れてそこかしこで戦闘を繰り広げている。
逃げ惑うのは侍女やその子どもたち。しかしそんな力無き者たちにも黒マントたちは容赦なく襲いかかる。シーザに仕える者たちは皆殺しにせよ、と言わんばかりに。
「ヴェルソ、ピスケス!弱き者たちをお守りなさい!ジェミナイ、スコープ!陛下の元へ参ります、援護を!」
トウカの凛とした声が戦場と化した大階段に響き渡る。
名前を呼ばれたズー・ディアのそれぞれの隊の者たちはすぐにその指令通りに動き、逃げ惑う者を助け、そして謁見の間への道を作っていく。
話には聞いていたが、これほどとは。灰次はズー・ディアの働きとそれを指揮するトウカの姿に、ほぅ、と息を吐いた。感心している場合ではないのだが、見事、としか言いようがない手際である。
ハルアキが節気の店主であった頃から、ズー・ディアは存在していた。
トウカと同様に荒事は好まないハルアキであったが、情報収集と自身の店を守るために、私設の組織を作っているということだけは、灰次も聞いていた。
何かあればいつでも声をかけてくれ、ただし高くつくよ。
そう、ハルアキはいつも笑って言っていたが、これまでその力を借りることはなかった。
なかなかに高額の報酬を要求されたが、このズー・ディアという集団の力がなければ、このクーデターに対抗する術はなかったかもしれない。内部分裂で混乱している今、国王側の白光騎士団の者たちだけでは恐らく敵わないであろう。
しかし、騎士たちもこの混乱の中でなかなかの統率ぶりを見せている。どうやらしっかりした指揮官がいるようだ、と灰次は階段を駆け上がりながらその姿を探した。
「あ」
しかしその姿に先に気付いたのはカラーだった。
「バージ!」
「は?」
カラーが叫んで足を止める。続いて間抜けな声を出してしまった灰次がカラーの指さす方を見て目を見開く。
そこにいたのは紛れもなくバージ・アルクルスであったが、伸びきった髪も髭も整えられ、レイピアを手に騎士たちの指揮を執る姿は、あの特徴的な栗色の毛でなければ気付かないほどに凛々しい。
「槍を持つものは右からまわれ! 矢の尽きたものは一度退け、遅れるな!」
バージは元白光騎士団小隊長の腕を存分に揮っていた。
レイピアは白光騎士団の諜報や暗殺を担うビーネパッカーの武器である。
灰次はバージの所属隊すらも知らなかったが、なるほど、諜報のスペシャリストでもある元ビーネパッカーの小隊長ともあれば、情報屋としての腕も良さも頷けるというものだ。
しかし、なぜここに彼が。
その疑問に答えたのはやはり彼女だった。
「ズー・ディアのリヨン隊の頭、レグルス。それがアルクルス様ですわ」
ふふ、とトウカが笑いながら言って、立ち止まった灰次の手を引く。
隣ではロイが、突然立ち止まってしまったカラーの手を引き階段の先を目指していた。
「バージがズー・ディアねぇ」
「別に秘密にしていたわけではありません、なかなかお話しする機会がございませんでしたから」
先刻から見せつけられている節気、ひいてはズー・ディアのその組織力は灰次が想像していた以上のものだ。この並外れた武装集団に任せておけば、恐らくクーデターはそう大きくならずに収められるだろう。
階段を駆け上がるその間にも、前後左右から黒マントたちが襲いかかってくる。
砂漠やハリロクで灰次を襲った者たちと同じように、白光騎士団の中でクーデターに与した連中なのだろう。その動きは速く正確で、本来ならば国王を守るために使われていたはずのものだ。
「余計な掃除はするな。襲ってきたら手数をかけずにやれ」
「わかった」
灰次の指示に頷き、カラーは自分たちの行く手を阻む者たちを掃除していく。それは一撃必殺であったり、動きを止めるためだけの攻撃であったり、様々だ。
余計な掃除はしない。だが、容赦もしない。カラーの瞳には燃えるような赤が宿る。灰次はそれをカバーし、かつロイとトウカを守るようにその隙を見ながら駆けていく。
「トウカ、こっち側に入れ」
「ありがとうございます」
「トウカ。灰次、はしるよ。ついていって」
「はい」
トウカはカラーのことを知っている。知っている、というほどには知らないかもしれないが、それでも彼が何者であるか知っている。
灰次と契約を交わし、灰次の身を守るもの。その命令に絶対に従う者。
灰次は彼のことをペットと呼ぶが、それは事実でもあり少し違う。
カラー・カッツェはダルシラ・タウンで灰次と出会ったと聞いている。
その頃はまだ先王の時代で、トウカもまだ当時店主であった父のもとで節気の商売について学んでいた。
灰次はマラドに来るとよく店に寄っていた。
そんな彼がある日、ひとりの少年を連れてきた。
この明るいメインストリートで、陽の光すらも吸い込んでしまうような真っ黒な髪。小さな赤い瞳の奥で燃える炎。
「俺の黒猫だ」
灰次がそう紹介したことを覚えている。
黒猫。
それが何を意味するか、なんとなくではあるがわかっていた。不吉の象徴とされる黒猫。その黒猫を従えるということ。
その頃は契約の意味など知らなかったが、父から多くのことを学ぶうち、灰次がカラー・カッツェという〈黒猫〉と契約したというのがどういうことであるか、トウカには理解できた。
しかし、なぜ灰次がカラーと契約を交わしたのか、そこまでは理解できない。いつか聞いてみようと思いつつ、しかしそれは今ではない、そう思うことが続いていた。
ただ今は、カラーがいることで、灰次が彼と契約していることで、この国の危機を回避する希望が見えているということ。それは事実であるし、やはりまだそのことについて問うのは先のような気がした。
「シーザ!」
灰次は目前に迫る謁見の間への扉を体当たりするように開くと、その勢いのまま中へと転がり込んだ。
床に手をつき、その背に刃を向けられたシーザがそこにいた。
「思ったより速かったですね、藤堂さん」
刃を向ける男の肩に、さらりと、あの青色の髪が見えた。
「アヤセ」
灰次はその男、アヤセをにらみつける。隣ではカラーが殺気を隠しもせずにその赤い瞳を大きく開いて全身の毛を逆立たせていた。
「カラーくん、待ってください。急いてはいけない。うまくいくこともうまくいかなくなります」
アヤセは落ち着き払ってカラーに微笑みかける。その姿はいつもシーザの隣にいる側近としてのアヤセと全く相違なく、それが余計に気味悪く感じられた。
「写真を見た」
灰次の言葉にも、アヤセは顔色ひとつ変えない。
「髪の色も変えて、名も変えて、それでもその泣き黒子だけは」
「ええ。変えられませんでした」
言葉尻を掬って、アヤセは今度は自嘲気味に笑った。
箱の中にあった写真、先王夫婦と共に写る幼子には、アヤセと同じ位置に黒子があった。
金髪に泣き黒子、写真の赤ん坊の面影が目の前のアヤセと重なる。
「あなたが、御落胤、ということなんですか?」
ロイが口を開く。アヤセは否定とも肯定とも取れない笑みを浮かべた。
驚いたのはシーザの方だった。
刃を向けられたその腕の先を見つめる。アヤセの顔。いつも、隣にあった、兄のようなその人の顔。
落胤? ならば彼は本当に自分の兄なのか。そうであれば、母親が違うとしても、この国の先王である父の血を引いているのか。
父も母も失った今、それが事実であれば唯一の肉親ということになる。しかし、そうだとしたらなぜ、今、彼は自分に刃を向けているのか。
「アヤセ、どういう」
「陛下、あとでお叱りは受けますから、しばしのご辛抱を」
アヤセの表情も声色も、クーデターを起こして国王を追い詰めた首謀者のそれとは思えなかった。
寧ろ、こうしてシーザに刃を向けていることに苦しみすら感じているような。しかしどこかほっとしているような、そんな笑みを浮かべていた。
「アヤセ様!」
突然、謁見の間に黒マントがひとり、駆け込んできた。
「とんでもない武装集団が、だめです。もう我々はぜんめ、つ」
最後まで言い終わるか言い終わらないかのうちに、彼は血を吐いてそこに倒れる。倒れた男の後ろには、レイピアを血振りするバージの姿があった。
「片付いた」
バージのその一言に、アヤセはほっとしたような表情を浮かべて手にしていた剣を放った。
カラン、と音を響かせて、銀の剣は床に滑り落ちる。
「え?」
その場にいた全員が呆気に取られる中、アヤセはシーザの傍らに膝をついた。
「陛下。陛下に刃を向けたこと、本当に、申し訳、ありません……」
静かに、しかし自分の罪への怒りを滾らせながら、アヤセはそこに崩れた。
「アヤセ殿」
バージがレイピアを下ろしアヤセに近付く。アヤセは床に伏せ、体を震わせたままだ。
「誘拐事件が関わっておられるか」
誘拐事件、という言葉にアヤセの体がピクリと反応した。灰次たちにはいまいちピンとこない言葉である。
「おいバージ。わかるように話してくれよ。誘拐事件? いつの話だ」
「この国で、なかったことにされている事件だ」
「なんでアンタは知ってる」
「騎士だった頃に、偶然、な」
その言い方に、灰次は最初にバージと御落胤の話をしたときのことを思い出した。何か知っている風だったのは、なんとなく、心当たりがあったからなのだろう。
「本当は話すつもりもなかったし、俺自身、忘れたことにしていた。そうしなければならないような事件だったからな」
だが、この状況ではそうもいかない。自分の過去と、聞き知った範囲での誘拐事件のことを話すことをバージは決心した。
バージの過去については、灰次もトウカも詳しくは知らない。バージ自身の口からそのことについて語られることはなかったし、これまで敢えてその話を聞くこともなかった。
「聞かせてくれよ」
灰次の返答にバージはアヤセを見た。アヤセは顔を上げないまま何も言わず、しかしバージが話し始めるのを止めようともしなかった。
「二十五年前、先王と妃様の間にひとりの男の子がお生まれになった」
バージはひとつずつ思い出すように、アヤセに聞かせるように、話し始めた。
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