ニ.噂の終着駅

 数年前、この街に住んでいたことがある。住み着いていた、と言ったほうが正しいかもしれない。当時請け負っていた仕事の関係で、ほんの数週間、路地裏の一角に寝泊りしていた程度である。

 ゼロストリートの住人たちとはあっという間に打ち解け、今でもマラドに来ると灰次は時々ふらりとここに足を運ぶことがあった。

 そして何より、ここには情報が集まる。

 貴族街の裏。暗く静かなこの区画には、様々な噂や情報が流れてくる。それらが全て行き着くのはいつも同じ場所。

「バージ、生きてるか?」

 ゼロストリートの最奥、日陰に張られた小さなテント。灰次はその前に立ち、名を呼んだ。

「バージ? いないのか?」

「灰次?」

「ん? おお、アルジュか!」

 テントに向かって声をかける灰次を見つけたひとりの少女が駆け寄ってくる。ゼロストリートの住人にしては珍しい、ブロンドの髪に澄んだ青色の瞳をした少女。

 名をアルジュ。家族やここに住む働けない者たちを養うために幼い頃から働き続けている。

「久しぶり!」

 アルジュは両手に抱えていたかごいっぱいの洗濯物を降ろすと、灰次に元気良く抱きついた。

「おいアルジュ! もう小さい子どもじゃないんだぞ、危ないだろ」

「あ、ご、ごめんね! 久しぶりに会えたから嬉しくて、つい」

 胸元にアルジュの頭突きを思い切り食らってしまい、灰次は慌てて彼女を引き剥がす。そして、気付いた。

「お前、いくつになった」

「レディに歳を聞くの? 十三よ」

 なるほど、どおりで。灰次はひとり納得して頷く。前にここに立ち寄ったとき、アルジュは同じように飛びついてきた。

 その時は自分の腰あたりまでしか身長がなかったはずだ。まだまだ幼さの抜けない子どもであった。しかしもう十三ともなれば、立派な女性である。

「それは失礼を、レディ。みんなは元気か? バージは?」

 自分でレディと言いながら子どもの頃のように抱きついてくる少女を微笑ましく思いながら、灰次は貴族の紳士のようにすらりとした長身を曲げてお辞儀して見せた。

「いいのよ、紳士さま。そうね、治安がちょっと悪くて仕事も減ってるけど、みんな元気。バージなら、さっきそこで壷洗ってたけど」

「壷? あいつ、また怪しいもん拾ってきたか」

「まだそこにいると思う。ね、灰次。私、この洗濯物を届け終わったら今日の仕事終わりだから、バージへの用が済んでも私が戻るまで待っててね」

「急いでんだけどなあ」

「お願い! 約束ね!」

 アルジュは洗濯かごを抱えると、貴族街の方へ元気良く走っていった。

 一方的とはいえ、約束、と言われれば無視するのもためらわれる。仕方ない、と灰次は苦笑いしてアルジュの言った水場へ足を向けた。


 バージ・アルクルス。元は白光騎士団の小隊長だった男である。貴族出身で、出世街道まっしぐら。

 しかし若くしてある事件で失脚し騎士団を脱退。以来、十数年このゼロストリートの奥でひっそりと暮らしている。

 騎士だった頃の面影はまったくなく、伸ばし放題に伸びたくしゃくしゃの栗色の髪、同じように、口元も顎も隠すほど伸びきった髭、着ているローブも小奇麗にしてはいるが相当に古いものである。

 少々変わり者ではあるが、普段は物静かで、博識で、ゼロストリートの住人たちからの信頼も厚い。

「お、いた」

 水場に行くと、以前来た時とまったく変わらぬ姿のバージがそこにいた。

「おお、灰次。久しぶりだな。帰れ」

 満面の笑みで振り返ると、バージは静かな声でそう返した。

「おい、おっさん。さすがにひどいぞ」

「お前もここの子どもたちから見ればおっさんみたいなもんだろうが。まあ座れ」

「相変わらずだな」


 噂の終着駅・バージ。ある筋ではそう呼ばれて久しい。

彼の元には様々な話が集まり、留まる。

 灰次はバージが騎士だった頃を知らない。この仕事をするようになって、腕が良く信頼できる情報屋を探していた時にたまたまここに住み着き、彼の元へたどり着いた。

 たいていの情報はそこらにいる情報屋から買うことができる。だが、バージの元に集まってくる噂や情報は、他の情報屋の比ではない。

 噂の終着駅、まさにその名に相応しい男である。

「アルジュに会ったか」

「ああ。デートの約束させられた」

「猫はどうした」

「国王陛下に貸し出し中」

「ほう、陛下も聡いな。お前を呼んだか」

「その様子だと俺が聞きたいことが何かわかってるみたいだな」

 バージは洗っていた大きな壷を置いて立ち上がる。来い、と言うと自分の住処であるテントへと灰次を連れて行った。


 テントの中は相変わらず雑然としていた。どこで手に入れたのかわからない、何に使うのかもわからないような骨董品や古い武器、怪しい植物。バージのコレクションは灰次には理解できないものが多い。

 その一番奥にある座椅子に深く座ると、バージは話し始めた。灰次も向かい側に静かに腰を下ろす。

「お前、シーザ様にご兄弟がいるというのを聞いたことはあるか?」

「ないな。あいつはカイザのひとり息子だ」

 跡継ぎがひとりしかいないというのはどうかと、灰次は常々思っていた。カイザ本人にそれを告げたこともある。

 カイザの妃のであったオジェアはシーザを産んですぐに他界した。それからカイザが他に妻を娶ることも、子を作ることもなかった。

 幸いシーザは丈夫に育ち、こうしてカイザ亡き後この国の王を継ぐことができた。

「もしも、シーザ様以外に跡継ぎがいたら?」

「おいバージ。まさか」

「御落胤」

「は?」

 思わず上ずった声が出た。

 カイザはオジェアを愛していた。オジェア以外の女には興味を示さなかったし、色を好むような王ではなかった。

「ちょっと待てよ。あいつがそんなことできるような男かよ」

 灰次が知っているカイザはどこかに落とし種を作るような男ではなかった。自分にも周囲にも厳しく、特に女にだらしのない者は好かないタイプであった。

「俺もそう思うよ。先王はそんなことをなさるような方ではなかった。だが、この噂が俺のところに流れてきたのも確かだ」

 バージは白光騎士団として先王カイザに仕えていた。シーザが産まれる頃にはもう騎士ではなかったが、カイザがオジェアを大切にしていたことも、彼が戯れで女を抱いたりするような人物でなかったことも知っている。仮に他に子を作っていたとして、それを隠したりするような男ではないことも。

「信じたくはないが、その噂のせいで何者かが暗躍していることは充分に考えられるだろう」

 その御落胤を新しい王としてたてることで現在の王権を手にしようとしている者がいる。ひとり息子であったために世継ぎ問題には縁のなかったはずのシーザの命が狙われ、その先にあるこの国の実権が狙われている。

 城の内部にいる反乱分子がカイザの落胤のことを知り、その者に接触し何事かを企てているとしたら。

なるほど、シーザの命を狙うことも頷ける。

「シーザ様が死んで混乱したところで、実はもうひとりの王子がいた、彼を新しい王に、そういう流れを企んでるんだろうよ」

「でも、バージ。そもそもその御落胤様の存在が不確かだろ?」

「そう、だな」

「知ってるのか」

 少し間を置いて答えたバージに灰次が詰め寄る。この男の元にはその情報まで入ってきていると言うのだろうか。

「知らないさ」

 ふ、と息をついてバージは首を左右に振った。

「本当にか」

「知っていてお前に隠す理由はないだろう? 知らないものは知らない」

「噂の終着駅も落ちたもんだ」

「煽られても俺のところにない情報は教えられんよ」

 傍らにあった煙草に火をつけ、バージは深く吸った。吐き出された煙がふたりの間に白く広がる。灰次は眉を寄せた。

 この男は読めない。敵には回したくない。問い詰めるよりも、ここは引いておくのが得策だろう。

「わかった。ありがとな、バージ」

「大した力になれなくてすまないな」

 テントを出て行く背に、バージは声をかける。煙草の煙が外気に乗ってゆらりと揺れた。


 外に出ると、どこからかいいにおいがしてきた。夕食時。カラーはきっとシーザにごちそうを用意してもらって、久しぶりに満腹になるまで食事を楽しんでいるだろう。

「灰次さん!」

 アルジュの家へ足を向けようとして、自分の名を呼ぶ声に気付く。

「本当に来てたんだ!」

「グェンか?」

「そうだよ! 久しぶり!」

 振り返ると、自分よりいくらか目線の高い位置ににっこりと笑う無邪気な笑顔を見つけた。体も大きく声も低いが、自分の記憶と同じ子どものような笑顔をした赤髪の男が立っていた。

「ずいぶんと、こりゃ、また、でかくなったもんだな」

「そりゃあ僕だってもう十七だもの。大きくもなるよ」

 でも、灰次さんは変わらないね。無邪気な言葉に灰次は曖昧な笑みを浮かべた。

 グェンはゼロストリートの孤児だった。灰次が彼と出会った頃は小柄でよく泣く少年だった。その割りに負けず嫌いで、同い年くらいの子どもたちと喧嘩をしては泣かされ、泣きながらも立ち向かうその姿を微笑ましく眺めていたものだ。

「もう帰るの?」

 体は大きくなっても、中身は昔のままのようだった。寂しそうに灰次に問う姿は泣きながら自分のあとを付いてきたあの頃と変わらない。

「いや、アルジュに呼ばれててな」

「アルジュに? 良かった、僕も今から行くところなんだ。一緒に行こう」

 グェンは灰次の手を引いた。強い力で引かれて、灰次は少しよろける。久しぶりにやって来たゼロストリートで子どもたちの成長を目の当たりにして、嬉しさと一緒にどことなく寂しさも感じる。

 俺も歳を取ったな、と自嘲気味に笑みを浮かべ、アルジュの家へ向かった。



「アヤセ様、よろしいでしょうか」

 夜も更けた頃、城の執務室のドアがノックされた。アヤセは入れ、と小さく返す。

 ドアを開けて入ってきたのは黒い装束に身を包んだひとりの男。アヤセお抱えの密偵のひとりであった。

「藤堂灰次が、噂の終着駅と接触しました」

「バージ・アルクルスか。落胤の話を?」

「はい。さすがに正体まではわからなかったようですが」

「そうか、ご苦労。引き続き頼む」

 密偵の男は一礼し素早く部屋を出た。

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