10.殿下はツンツン苦学生も世話係にしたいようだ(そして速攻断られた)

「いいか。俺は別におまえたちに気を許したわけじゃない。これはただ、出された食べ物がそのまま残飯扱いになるのが我慢ならないから、仕方なく片付けているだけだ」

「そうだね、ぼくはもうお腹いっぱいだから」

「それなのに欲張っておかわりなんかするな! 食材がかわいそうだろうが!」

「そうだね。いけると思ったけど、見込みが甘すぎたね。次からはちゃんと考えてお会計をするよ」

「……おまえ、さては俺をばかにしているのか!?」

「羨ましい食いっぷりだなあって思っているだけだよ。ぼくもそれだけ食べられればいいのにな……」

「筋肉つけろよ」

「つかなかったんだよ、試してみたけど……」


 赤髪の苦学生は、みるみると殿下が追加で買ってきたお昼食あれこれを腹に収めていく。


 三人前……いやもっとあったかも。わたくしはせめてこれぐらいはと、空になった皿を返却用にまとめたり、コップに水をつぎ足したりしている。あっという間に片付いていくから結構忙しい。


 わたくしは小食気味だし、殿下は普通に一人前程度しか召し上がらないから、目の前の少年の見事な食いっぷりには爽快感がある。

 言葉遣いや所作は乱暴だが、下品とは感じさせない。ただただ活力に溢れていて元気がいい、という印象だ。


「おいしい?」

「ばかにしているのか? うちの国は皇国より美食文化だぞ、なめるなよ。食堂の料理がうまいのは、この学校の数少ない良い所の一つだ」

「あはは。こちらの国の料理は、盛り付けが本当に綺麗だよね。皇国は栄養になればそれで充分、みたいな所があるからなあ」

「効率重視なのは良いことだと思うけどな」


 そしてツンケンした態度の割に、結構話が盛り上がっている……。


 早速懐柔され気味に見えるとは言え、苦学生はお貴族様という生き物を総じて嫌っているようだ。言動からありありと伝わってくる。


 殿下はこういった場面でも、まったくめげる様子はなく、穏やかな微笑を浮かべたままだ。

 わたくしなんか、こういう態度をレオナールとかに取られると「はい、その通りです」と返し、嵐が過ぎるまでは俯いて口を閉ざした。


 渋い反応をされても引かぬ媚びぬ殿下の姿勢には、おののいてしまう。


(でも、婚約破棄された以上、わたくしもぼんやりしているだけでなく、真面目に自分の将来を考えねばならないわけで……他人との関わりを嫌がっているばかりでは、きっと駄目なのよね)


 はあ、とため息をついて視線を下ろすと、またも空になったカップが目に入る。急いでおかわりを追加すれば、苦学生はすぐに手に取り、豪快にぐいっとあおった。ごくごくと喉を鳴らしてから「ぷはあ!」と勢いよくテーブルに戻す。


 飲みっぷりも見事だし、美しい完食である。


 思わず拍手してしまうと、じろっとにらまれてしまった。


「一応自己紹介はしておく。ロジェ=ギルマンだ。平民、特待生。以上」

「ハインリヒ。ハインツでいいよ」


 殿下はにこやかに返したが、「何言ってんだこいつ」という目を向けられている。いきなり愛称で来いは攻めの姿勢ですからね。そうこの殿下、見た目はどう見ても受け身系だけど、基本戦法がガンガン行こうぜなお方なのです。


 ロジェ=ギルマンの目がこちらを向く。

 この流れはわたくしも自己紹介しないといけないのか……そっと頭を下げた。


「初めまして。シャリーアンナ=リュシー=ラグランジュと申します。最近殿下の案内人というか世話人というかに任じられまして……以後お見知りおきを」

「……で? なんであんたら、ここにいるんだよ」

「ぼくが王国の食事を堪能したいって言ったから――」

「いや、皇子サマはまあ、わかるけど。そっちのあんた、“沈黙のシャリーアンナ”だろ。いつものダサ眼鏡がないけど」


 ダサ眼鏡ってなんですか。結構気に入ってたんですけど、あれ。


 しかし、殿下はともかく、わたくしのことを元から知っていたらしいことには驚いた。


 噂話とか興味なかったので片っ端から聞き流していましたが、わたくし、そんな風に言われてたんですね……ちょっと恥ずかしい。


「あんた自身というか、ミーニャ=ベルメールが有名人だから。次々男に声をかけて、ついに侯爵令息までたらしこんだ。でもあんた、それでこの前、派手にやり合ったんだって? で、今は皇子サマと一緒にいる? ……なんだこれ、ベルメールへの意趣返しって奴か?」


 いぶかしげな目を向けられ、わたくしは思わず真顔で返してしまった。


「わたくしがそんな人間に見えますか? ミーニャに対抗して殿下を籠絡できる女だと?」

「えっ……いや、どうだろう。あんた眼鏡取ったら案外美人だし――いや目力強いな、こっわ! やめろよにらむなよ!」

「これはただの真顔です」

「マジで!?」


 ロジェはガタッと椅子を引く。

 ううむ、やっぱりわたくしの目つきは苦学生が引くぐらい極悪なのか……眼鏡、必要なのかなあ。


「シャンナはとても魅力的な人だから、ぼくが積極的に声をかけているだけだよ、ロジェ。それにシャンナの目は怖くないよ。ちょっとつり目で翡翠色が鮮やかだから、印象に残りやすいだけさ」

「いや……それ言えるの皇子サマだけだと思うけど……」


 やっぱり殿下、わたくしのことを過剰評価していません?

 わたくしには特別な所など何一つないのに――少なくとも表向きには。


「ところでロジェ。きみはいつも、あんな風に嫌がらせを受けているの?」

「そのネタ蒸し返すのかよ……わかるだろ、見れば」


 殿下が話の矛先を振ると、赤髪の苦学生ロジェは嫌そうな顔をした。


「でも、きみのその左胸のバッジは特待生の証。つまり優秀な学生だ。将来有望なのに、なぜあんなことが起きるんだい?」

「自分より貧乏で貧相な奴が、自分よりテストで良い点取ったら腹が立つんだろ? 知らねーけど。俺、あいつと同郷だけど、元からそりが合わねーんだよ」


 ロジェはつまらなそうに言う。

 なるほど、彼はいわゆる、優秀すぎて意図せず出る杭になってしまった人間らしい。

 杭として陥没していて誰からも相手にされないわたくしとは正反対の人間だ。


 ふむふむ、と大人しく話を聞いていた殿下の目がきらりと光る。


「ロジェ。見たところ、きみは努力家だが、コネはない。ぼくを支援者にするつもりはないかい? きみの学業が何者にも妨げられないことを約束しよう。その代わり、ぼくにこの学園のことや王国のこと、きみの知っているあらゆることを教えてほしい」


 わあ直球。でもまあ、なんとなくこうなるだろうな、と思っていた通りの流れではある。


 皇国の人間は適材適所志向。凡庸な貴族と優秀な平民が並べば、後者を取る気風なのだ。

 才能を妬まれて妨害されている特待生なんて、最もスカウトしたくなる人間なのだろう。というかますますなぜわたくしが殿下の側にいるのか、わからなくなってきたけど。


(……ん? ということは、これからは特待生が殿下の世話係になり、取り柄のないわたくしはお役御免でしょうか!? ど、どうしよう。これでもう殿下をお別れかと思うと、結構悲しい。……いやいや、シャンナ。元からいずれか別れるってわかっていたことでしょう。せめて去り際を美しく――)


「断る。恩を売りつけたつもりなら、俺はそう思ってないからな」


 解雇通知の気配を先読みして脳内で素振りしていたわたくしだったが、ロジェがばっさりと断ったのでどうやら世話係継続らしい。


 まあ、殿下は非常に良いお方ですけど、何考えてるかわからなくて警戒する心理も理解できる……そこできっぱり否と言える所が、さすが特待生と言ったところでしょうか。強いお人ですね、ロジェ=ギルマン氏。


「そうか。残念だ。でもぼくはいつでもきみを歓迎するから、気が変わったら声をかけてほしいな」


 殿下も相手の様子から、受諾されるとは思っていなかったのかもしれない。あっさり身を引いた。ロジェがはん、と鼻を鳴らす。


「気に入らない皇子サマだな。わざわざ隣国まで来て、自分の派閥の地盤固めか?」

「そのつもりがあるなら、ぼくはシャンナやきみより、王国有力貴族の子女と交流を深めた方がよいのだろうけどね」


 さらりと言葉の刃を返され、ロジェはぐっと詰まった。わたくしも思わずううむ、と唸る。


(それはまあ、わたくしが最初に声をかけられた時からずっと頭の片隅にあった疑問ではあったのだけど。見聞を広めると言っていらっしゃった殿下だけど、もし人脈などを得たいのであればそれこそAクラス、伯爵位以上の子女と親睦を深めるべきで、はて……?)


「まあ、今はまだお互い知り合ったばかりだし、今後も機会があるだろうから。ぼくともシャンナとも、仲良くしてもらえると嬉しいな」

「どうだか。俺はなれ合うつもりはない。これきりだろうよ、じゃあな」


 ロジェは自分の用は終わったと言うように立ち上がり、鞄を抱えてすたすたいなくなってしまった。


 わたくしはぽかんとしていたが、少しするとくすくす忍び笑う声が聞こえて、殿下に恐る恐る顔を向ける。


「シャンナ。午後一コマ目の授業はもう半分過ぎてしまっているけれど、その次の科目を覚えているかな?」

「……あー」




「なんでおまえたちがここにいるんだ!?」

「魔法学実技の時間ですので……」

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