田んぼ作っぺ!

樹本 茂

第1話 沼田惣佐衛門

1668年 寛文8年 6月吉日


「佐助んとこで、とうとう娘売ったってよ」


「いや、よぐ売れだごど、あのオカメハヂモグだっぺ」


「そうでなぐでよ、そごは、可哀そうだないって話をしだがったんだけんどな。ま、確かにそういう言いいがだも有るには有んな」


「んでよ、どうすんの? 今年も米でぎねえべよ。こんな日照りでは……娘売ったって話もそごに繋がんだんべ?」


水戸藩、北部の松井村。比高5~50mの台地の上にあり、灌漑用水が取れず周囲の川からも取水できず雨水だけに頼る不安定な米作りを強いられ、農民のイライラも最高潮に達していた。


「名主様んとこ行っだか?」


「ああ、ありゃダメだ。惣領息子に変わってから全く使いもんになんね。くるわ通いバッカでテンでダメだ」


「はあー、夜逃げでもすっが」


「んだなー」


……松井村名主宅表門……20時過ぎ……


「惣佐衛門殿! また磯原楼に行っておられたのですか!!」


あ! しまった。母上が門の前で待っておいでだ。裏門が正解だったか……かくなる上は、良い笑顔で、


「母上、今宵は青凪楼でございます、いやだな~」


爽やかに言ってみたものの、母上の怒りは収まる感じがしないというか、火に油だ。途端に烈火のごとく怒りだし、分かりやすい表情をされておられる。


「そんな事を言っているのではございませぬ。何をしておいでか? と申しておるのです」


廓で何をしたかと……え?……言っていいの?………………


……違うよな、違う違う、……びっくりした。会合の事だよな。


「分かっております。ですから、このように帰ってまいったではございませぬか、本当なら朝まで雅太夫と……」


おっと、胸元の短刀に手をかけておられる。どうせ刺されるなら見目麗しい娘御に刺されたいものだ。母上など、ご免こうむる。


「失礼!」


足早に屋敷の中へ逃げ込んだ。


「兄上! もう私の笑顔だけでは場が持ちませぬ!」


廊下で俺に縋り付く、かぞえ18歳の妹、涼香すずかだ。笑顔で場を持たせられると思っている方がおかしいのだが、真実は、時に不要な事もある。今がその時だろう。


「すまなかったね、下がって」


優しいな、俺。

颯爽と爽やかな風を纏い、客間へと入って行くのだ。


「一同、お待たせいたしました。なかなか女子が放してくれぬもので……」


俺を凝視したままクスリともしない。

え~っと。笑うところですよ。皆の衆。


客間には10名ほどが押しかけてきていた。村の本百姓から水飲みまで言いたい事は分かっている。


「雨乞いの、目がくらむような美人の巫女さんとか知り合いで、ご存じ有りませぬか?」


クスリともしない。なんなら、掴みかかってきそうだ。

ああ、妹……お前、全然、あたためて置かなかったな、前座失格。


「田の灌漑用水の件ですか?」


俺はテンドンにかけるか悩んだが、辞めておいた。


「名主、もう駄目だ。これ以上やっても年貢米どころか、わしらの食い扶持すらねえ。こうなったら、もう村抜け、夜逃げするしかねえ。そうなりゃ、困んのは、あんただ、どうする? 今晩は、はっきりさすために、来た」


百姓のまとめ役を任せてある佐平次が俺をまっすぐに見て答えを出せと迫る。そのほかの奴らも既に同意見なのだろう……どうするか?


ここはどうやって笑いに持っていくか……


そうじゃなかった。かと言って妙案など直ぐに出てくるものでもないし……

とりあえずこの場を適当に納めなければ……


「皆の衆、どうだろうここは一旦、お開きということで、正直、今すぐどうこうしろと言われて出てくるものでもあるまい。明後日でどうだ、それまで、妙案を持ち寄るという事で、な」


俺は、鬼気迫る皆の衆をなだめすかして、明後日、再度集まるという、単なる先延ばしをした。


「兄上! 逃げましたね!!」


涼香殿がお怒りくださっている。ご立腹だ、なんというご褒美だろう……

そうじゃなかった、危ない、恍惚の表情を浮かべていた。


皆の衆が帰った客間で虚空を見ていた俺に涼香殿がたいそうな勢いで襖をあけ放ちお怒りくださっている。


「逃げてはおりませぬぞ、明後日、明後日には何とかいたそうと言ったのですから」


「兄上~、妙案などお持ちでないのに、先伸ばしする事を逃げたと申しておるのです」


凄い、凄い睨んでいる、でも、何?すっごく可愛い!ああ!可愛い!


「聞いておられますか?」


呆れた表情をしてさっき開けた襖を豪快に閉め放ち、俺の前から、部屋から出て行った。


いかん、妹、可愛すぎてハアハアしてしまった。やばいやばい。


確かに松井村の今年の田の状態は酷い、酷すぎた。4月ころからポツポツしか降らなった雨は、2か月過ぎた今でも大した雨ももたらさず、田に水が張れていない状態が続いている。このままでは確実に稲は育つことが出来ない。今年の年貢米の心配どころの騒ぎではなくなりそうで怖い。


俺が見て歩いているこの瞬間でさえも百姓どもの視線が殺気立っていて、いつ騒ぎになるかそんな空気感を感じている。っていうか俺に向けた殺意か……やって当たり前の俺の様なお役目は何とも辛いものだ。


「兄上! 皆さんお待ちですよ!!」 


もうそんな時間になっていたか、俺は涼香の声で現世うつしよに戻ってきたようだ。いや、単に起きただけだ。目が覚めただけだ。

田を見た後に戻って、色々と考えを巡らせ、天井の節を数えていたら、寝入っていたようだ。


俺は、心を決めていた、あれから、2日、成すべきことは固まっている。その確認の為に村を見て歩いていたのだ。


問題点はただ、一つ。


米を作るうえで致命的ともいえる水不足の解消、これ一点であることは明白だったから。


「皆の衆! 用水路を掘る! 灌漑用水を作るぞ!!」


俺は皆の衆が、また、俺にうっちゃりをかまされないように身構えている、そこへ、真正面からぶつかった、がっぷり四つ!


「用水? どっからだ?」


「え? ほら、山の上の方から、だーっと、それで、ごーって引っ張ってきて、ばーっと田んぼに水張りしよう……と」


ちょっと、いや、かなり俺、目が泳いでいると思う。細かい事までは考えていなかった。


「やるべ!」


やるの?


「やっぺ!!」


え?そんなんで、いいの?


「よし、早速、明日から、計画ねっぺさ!!」


本当かよ!!!


この話は水不足の村を救うために立ち上がった名主の男と村人が、命を賭して、灌漑用の用水路を作った事実を元にちょっと手心を加えた昔々の350年前の物語である。

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