第8話 三毛猫・メイル

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 これは私とバベルが地球にやってきた頃の話だ。

 隕石衝突の危機から脱した私たちニンファー星の住人は、バベルの能力で地球という星に降り立った。


「それでは皆の者、元気で!」


 鳥や狸、昆虫など様々な姿に変身した仲間達に別れを告げる。

 事前に行われた有識者会議で新しい惑星に降り立ったらその星に生息している生物の姿に変身し、溶け込んで生きていくと決定していた。


 いきなり人間の姿で紛れ込むにはリスクが高すぎるという結論に至ったのだ。


「リヴ様、またお会いできる日を楽しみにしてます!」


 三毛猫の子供が駆け寄ってきて甘えた視線を向けてきた。

 王宮に仕えていた専属世話係の一人娘、メイルだ。

 王宮で顔を合わせる機会が何度かあって、2人で遊んだこともある。


「メイル、お父さんとお母さんの言うことをしっかり聞くんだよ」


「はい! リヴ様もバベルさんとお幸せに♡」


「なっ、バベルとはそういうのじゃないからっ!」


「にしししっ」


 メイルが言ってやったとばかりに笑みを浮かべて走って行く。

 去り際にちょこんと小さな頭を下げたから今回は許すとしよう。


「これで私の役目もひとまず終わりかな」


 誰1人として欠けること無く、新しい地へと送り届けるという責務は果たせた。

 体の力も抜けるというものだ。


「リヴ様!? どうされました? 気分が優れませんか?」


 私の元に唯一残った護衛のバベルが私の顔を覗き込む。

 ちなみに今は2人共猫の姿になっている。


「大丈夫。少し目眩がするだけ」


 地球に降り立ってからというもの、私の耳には至る所から救いを求める声が聞こえていた。

 代々ニンファー星の王にのみ与えられる特殊能力。

 それは、救いを求める者の声を聞くことができるというものだ。


 民を悲しませることがないように。もし悲しんでいる民がいれば寄り添うことができるように。

 この能力はそんな優しさから生まれた能力だと伝えられている。


 しかし、不思議なことに地球という星に降り立ってからも苦しみ、痛み、心の叫びまで、強い負の感情が私の耳には届き続けていた。


「ねぇバベル、この星は私たちの星より発展していて不自由がないように思えるけど、バベルの目からはどう見える?」


 私とバベルは人々が行き交う商店街の様子を物陰から見つめていた。


「そうですね。身に付けている衣服、豊富な食料、便利な移動手段、連絡用の端末。どれを取ってもニンファー星より文明が進んでいるかと」


 楽しそうに談笑しながら歩く若者。

 スーツを着て汗を垂らすサラリーマン。

 元気よく呼び込みをする八百屋の店主。


 私の目に映る景色はどれも新鮮でキラキラと輝いていた。

 だから余計に違和感を感じてしまう。

 これほど裕福な生活を送ることができていて何が不満なのか。何に対して怒りを覚えているのか。悲しんでいるのか。


 人にはそれぞれ事情があって誰にも話せないような悩みを抱えている。

 私のつい最近までの悩みは食糧難だった。

 星が違えば悩みも違うということか。


「バベル、お腹が空いたわね」


「しばらく何も口にしていませんでしたからね。何か食べられそうな物を探して来ましょうか?」


「いいわ。知らない土地でバラバラになるのは危険だし」


「それもそうですね」


 私とバベルは行く当てもなく、道路の隅を並んで歩きながら口に含めそうな物を探していた。

 地球に降り立ってから半日。

 分からないことだらけの星で分かったこともいくつかある。


 食料を手に入れる為にはお金が必要だということ。

 お金を手に入れる為には働かなくてはならないということ。

 子供は学校と呼ばれる教育施設に夕方くらいまで通っているということ。

 そして、もう1つ。


 猫の姿で街を歩いていると、子供に追いかけられるということだ。


「何なのもう!」


「リヴ様、突き当たりを右に曲がって下さい! 子供は私が引きつけます!」


「分かった!」


 バベルの指示に従って右に曲がる。

 すると、道路の真ん中に見覚えのある三毛猫が血を流して倒れているではないか。

 心臓が跳ねる。


「メイル?」


「あっ、リ、ヴ、様」


 今にも消えてしまいそうな弱々しい声でメイルが呼び掛けに応えた。


「メイル、何があったの?」


「箱型の乗り物に轢かれちゃいました。へへへっ」


「笑ってる場合じゃないでしょ。酷い傷。お父さんとお母さんは?」


「はぐれちゃいました。でも、最後にリヴ様に会えてよかったです」


「最後って。諦めちゃダメ。メイルは絶対に助かるから」


 私は白猫の姿から本来の人間の姿に戻り、メイルの手を強く握った。

 絶対に死なせない。


 うっ、こんな時に頭痛が。耳鳴りも酷い。


(オレは何の為に生きてるんだ? こんなクソみたいな世界で。あいつもこいつも何を考えているのか分からない。もう疲れた。誰か、誰か助けてくれよ)


 私の耳にはっきりと助けを求める心の叫びが聞こえてきた。

 物凄く近くで誰かがSOSを出している。

 でも、申し訳ないけど今はそれどころではない。


「リヴ様! 後ろ!!」


 メイルが血を吐きながら声を張り上げた。


「えっ?」


 振り返ると、メイルが言っていた箱型の乗り物、車がすぐそこまで迫っていた。

 時間を止める能力を使えばギリギリ間に合うかもしれない。

 そうだ。メイルの怪我も時間を巻き戻して車に轢かれる前に戻っていれば解決できたじゃないか。


 気が動転していてそこまで頭が回らなかった。


時間固定タイム・ロック!」


 手を車にかざして能力を発動させようと試みたが、車が止まる事はなかった。


「何で?」


 精神が乱れていたことが原因で能力が不発に終わってしまったみたいだ。

 目の前に車が迫り、両手で顔を覆う。

 次の瞬間、私の体に強い衝撃が走った。


「あっぶねーな。大丈夫か?」

(今の轢かれてたら死ねてたかな?)


 10代後半と思われる少年が手を差し出して立たせてくれた。

 どうやら私と車がぶつかる寸前にこの少年が飛び込んで助けてくれたようだ。


「は、はい。ありがとうございます」


「猫が轢かれたのを心配してたのか。近くに動物病院があるからそこで診てもらおう」

(成り行きとはいえ、自殺を考えてる奴が他人の命を助けるなんておかしいよな)


 少年はメイルを抱き抱えると、急ぎ足で歩き出した。


「あ、あの、お名前を聞いてもいいですか?」


「ああ、オレは——」


 川端直斗かわばたなおと

 それが私の命を救ってくれた恩人の名前だった。


 その日以降、私は白猫のシロとして直斗の家に通うようになる。

 直斗が抱える悩みの正体を知る為に。

 命の恩人を死なせる訳にはいかないから。

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