第4章(その2)
「……ナイゼル・アッシュマン!?」
「? 貴公、この私を知っているのか?」
「し、知っているも何も! 国元でその名を広く知られた剣の名手ではないか! 一次遠征軍でサリック王子殿下のお命を救った英雄だ。私は何年か前、そなたと剣技大会で手合わせをしたこともある!」
「そうか。すまないが、覚えていない」
実際、男の顔を見てもそれが誰なのかまったく思い出せなかったので、そのように答えた。
「何故だ。何故そなたが、我らの命を狙うのだ!?」
「……何故だろうな」
ナイゼルは事情の呑み込めてないその男に、問答無用で斬りかかった。かつて競技会で対戦したという話は伊達ではなかったようで、ナイゼルの唐突な斬撃を、とっさに振り上げた剣でかろうじて受け流した。そのまま、二合、三合と続けざまに打ち合うが、四合目に切っ先をナイゼルの剣に絡めとられ、そのまま剣を地面に落としてしまった。
腕が立つと言ってもしょせんは試合で一本を取るための剣で、実戦で命のやり取りをする剣ではなかった。ナイゼルもそれにつられてまずは剣を奪ったが、丸腰になった男を、結局は命乞いの言葉すら待たずにばっさりと斬り捨てた。
残る騎士達の間に動揺が走った。今の男ほどの剣の腕前でも、この仲間内では一目置かれていたのかも知れなかった。
「ア、アッシュマン卿! なにゆえに我らに刃を向けるのです!」
「そうですぞ! この砂漠の地で、他にお互い頼る者もない同胞同士ではないですか! ……我らはつい今しがた、ここからどれほどもない場所にある異教徒どもの村を襲撃しました。神の恩寵を知らぬ愚か者どもから、食い物やら何やら、色々と取り上げてきたのですよ! 卿は一人身であちこち放浪されて、あれやこれやと苦労を強いられて、それで気が高ぶっておいでになるのです。我らとともにあれば当面食糧には困りませんし、何なら貧相な小娘ではありますが、女も――」
その言葉を言い終わる前に、ナイゼルは手にした剣を無造作に前方に突き出す。切っ先は男の口腔にこじ入れられ、そのまま何の警告もなしにひゅっと横向きに刃が走って……右頬が無惨にも切り裂かれてしまった。
男が悲鳴をあげ、頬を押さえながら後ずさる。そのままナイゼルが一太刀を浴びせかけると、悲鳴はあっさりとそこで止まってしまった。
「ええい――」
もはや話し合いは無理と見て、残る騎士のうち二人が同時に、ナイゼルに躍りかかってきた。左右からの挟撃にも彼は少しも慌てることなく、まずは左に一歩踏み出して、そちらから向かってくる騎士との間合いを一気に詰める。切っ先の届く内側にまで潜り込んだかと思うと、相手が腰帯に差した短剣を左手で掴み、後ろ手に抜きはなって、そのまま持ち主自身の喉元に深々と突き立てた。
「――!!」
声にならぬ声と、のどに開いた裂け目からごぼごぼと血の泡を吹きながら、その騎士はあっさりと崩れ落ちていく。ナイゼルはそれを尻目に、もう一方の騎士に向かって、今度は右手のおのが剣で打ちかかっていくのだった。相手も闇雲に剣を振り回して応戦するが、三合と持たずに袈裟懸けに切り捨てられて、それでおしまいだった。
最後に残ったのは、まだあどけない顔立ちの、少年と言ってもよい年若い騎士だった。どことなく、郷里に残してきた弟エミールに面影が似ている気がした。
他の騎士ほどには戦いにも不慣れなのだろうか、ナイゼルに向かって構えた剣が、ぶるぶると震えていた。
「……うわああああ!!」
ほとんど泣き叫びながら、少年はやけになってナイゼルに向かってくる。斬って捨てるのもしのびなく思い、ナイゼルは力任せに相手の剣をはじくと、得物はあっさりと少年の手を離れ、彼方へと放り出されてしまった。
「死にたくなくば、この場を去るがいい」
ナイゼルとしては、情けをかけたつもりだった。だが少年は腰にさした短剣を抜き、無謀にもナイゼルに突進してくる。これを斬って捨てるのはあまりに容易く、少年もまた、そこで無為に命を散らす事になるのだった。
地面には六つの物言わぬ亡骸が転がって、その場に立って残っていたのはナイゼルただ一人だけだった。あとは連中が残した馬のいななきと、さらわれてきた少女のすすり泣く声が響くばかりだった。
ナイゼルは、他に賊の仲間が潜んでいないか念のため周囲を見回すと、さらわれた少女の元に歩み寄っていった。
少女はと言えば、ゆっくりと近づいて来るナイゼルを見て、地面に転がったまま怯え切って後ずさりをはじめた。容赦なく六人も斬って捨てたナイゼルだったから、この少女の目にはまるで悪鬼の如く映っていただろう。
そんな少女のすぐ脇に、ナイゼルはゆっくりとした所作でしゃがみ込んだ。
「縄を解いてやる。じっとしていられるか?」
ナイゼルの言葉に、少女は大げさなほどにこくこくと頷いた。もっとも斬った相手の返り血を浴びて、血の付いた剣を抜き身で下げていた彼だったから、何を問われたところでよほどの事でなければ否と言うはずもなかったのだが。
その血刀で足の縄を切り、両手の戒めも解いて、最後に噛まされていたくつわを外す。怯えきって今にも悲鳴をあげそうな彼女に、ナイゼルはゆっくりと静かな口調で告げる。
「向こうに、私がここまで乗ってきたラクがある。それに乗って、村まで戻れ。……自分の村がどっちなのかは分かるか?」
少女はこくこくと首を縦に振ったかと思うと、行け、とナイゼルに促されて、ほとんど逃げるような勢いで慌てて彼の元を離れていった。すでに日も落ちて辺りは暗くなってきていたが、村まではほぼ一本道、道に迷うこともないだろう。
気付けばナイゼルはその場所に、ひとりぼっちで佇んでいた。
考えてみれば、あの隊商と巡り会ってからこっち、一人きりになるのは久しぶりの事だった。あらためて死体がそこかしこに残されたその水場をまじまじと見回すと、まだ燃え残っていた焚き火の前に、疲れた様子でどかっと座り込んだ。
何故。
ここに至るまで、たびたび問いかけられた言葉だった。つい今しがたもここに倒れている騎士らに問われたばかりだ。その言葉が、今更のように脳裏をぐるぐると駆けめぐっていた。そしてあらためて、今この場での自分の凶状に思い至って、彼は頭を抱え込んだ。
自分は一体、何をやっているというのか。
この場の者達を斬り伏せたことを後悔しているわけではないと思う。だがそこに至ったいきさつについて、悔やむまではいかぬまでも、何か他に選びようがあったはずでは、という思いが唐突に浮かんできて離れないのだった。
今日ここでのこと、コーデリアやエミールに対し、何と説明し、何と申し開きするのか。
そう考えてみて、ナイゼルは笑った。おのれをあざけるようにして、笑った。申し開きどころか、彼らにはもはや恐らくは二度と会うことも叶わぬだろうに、そんな事を考えて一体何になるというのか。
ナイゼルはそのまま後ろに仰け反って、砂の上に仰向けに身を投げ出した。そうやって天を仰いだところで、もやもやとした気持ちは晴れることはなかった。
それこそを、人は後悔と呼ぶのだろう。どこかで選択を誤ってしまった――その事を今この場で、彼は深く、深く悔いていたのだった。
だから……不意に響いてきた蹄の音にも、すぐに起きあがることも出来なかった。気付かなかったわけではない。それが敵であれ、味方であれ、いちいち注意深く警戒することにもはや疲れていたし、意味がある事だとも思えなかった。
それでもナイゼルは、どうにか気を取り直して、あらためてその場にゆっくりと立ち上がった。周囲を見回してみると、そこには彼を取り囲む十数騎の騎馬の集団があった。
いずれも、黒に近い灰色の装束を身にまとい、それと同じ色の布を頭に巻き付けた男達の群れだった。腰には皆一様に、弧を描いた形状の、薄く幅の広い形状をした刀剣を下げていた。
……そう、ナイゼルを取り囲んでいたのは異教徒の軍隊であった。抜刀こそしていなかったが、いずれの兵もナイゼルの動きを油断なく観察し、何かあればすぐに動けるように備えているのが分かった。ナイゼルがこれまでに斬ってきたような、浮き足だった野盗くずれの者どもとはまるで雰囲気が異なっていた。
ナイゼルは棒立ちになったまま、彼らの出方をじっと窺った。おのが剣はと言えば、血を拭ういとまもなく、足元の地面に無造作に放り出されている。懐に小刀は忍ばせてあったが、それ一本でこれだけの人数を相手にするのは、いささか分が悪かった。
彼が黙ったまま立ち尽くしていると、騎馬の群れの中から一人、こちらに進み出てくる者があった。男は馬上からナイゼルをまじまじと見下ろしつつ、おもむろに声をかけてきた。
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