第6話 シスターの問答と赦し

「楓都? な、んで……?」


 信じられないものを見た、とシエルは悲観、悲愴、焦燥、落胆など様々な負の感情が混じったぐちゃぐちゃな表情をしていた。


 朝のお勤めに起床し、恋い慕う相手が部屋のもぬけの殻だと知って探しに出れば、まさか小学生からの友人と逢瀬するどころか、頬とはいえキスされている瞬間を目撃したのだ。


 想い人と同居するというこれまでにない多幸感溢れるイベントまで起きたというのに、とんでもない転落具合である。

 シエルは膝から崩れ落ちそうになるのを必死に耐えていた。


「あ、いや……」

「あーあ、やっちゃった」


 一方の楓都と言えば、未成年にも関わらず深夜に出かけだけだが、とてつもなく悪い事をした気分になっていた。

 叱られると思って冷や汗が頬を伝う。


 特にシエルとは付き合ってもないが、同級生から頬に唇を当てられたところを目撃されたことに酷い罪悪感を覚える。

 隣の燐音の諦めたような言い方、さっぱりとした様子もどうしてか拍車をかけるのだ。


 燐音のいう『不倫みたい』という言葉が遅効性の毒のようにじわりと効き始めていた。


「あの、二人は付き……合ってる、の?」

「違うよ」

「隠す必要はないからね……大丈夫、うん。大丈夫」


 問いかけているのに、なぜか自分に言い聞かせるような口振りでシエルは楓都を無理に笑って見つめる。


 燐音の諦観とは別の諦めに見える。悲嘆に暮れる様子は痛々しい。

 ぎゅっと握った拳は、爪がくい込んで血が出るのではと思うほど。


「ここで嘘はつかないよ。燐音とはよくこうやって出かけるんだ」

「じゃあ、まだ好きなだけとか」

「それもない」

「……燐音は? き、キスするって……そういうことだよね?」

「あー、別に遊び。お巫山戯。好きなら寧ろこんな事しないし。私も嘘はついてないからね?」

「……そっか」


 問答は短かった。

 それは楓都や燐音が嘘をついてないという前提だからだ。


 ただ、それを信用するに足るのは三人が小学生からの付き合いというのがある。動揺するシエルでもこの二人の嘘くらいは見抜けてしまう。


 それ故に、シエルは更に苦しんでいた。

 好きでもない、付き合ってもない。なのにまるで恋人のやり取りみたいな光景を見せつけられる。

 自分はこんなにも想い慕って、長年積みげてきたはずなのに焦がれた想いが実らない。


 何より酷いのは楓都が彼女の想いに気付いていないこと。

 彼は夜遊びという危ない遊びをし、共通の幼少期の友人との関係を黙っていたのをシエルが悲しんでいると思っているのだ。


 あんまりにもな仕打ちにシエルはもう限界に近かった。それでも正気でいられるのは、まだ楓都が誰とも付き合ってないから。


 健気な想いを内に秘めて、色々言いたいことを仕舞って彼女は作り笑いで言う。


「楓都、今日は学校あるから帰ろう。燐音もまたね」

「分かった。心配させたし困らせてごめん」

「私も騒がせて悪いと思ってる。ごめんね。二人ともまた学校で」


 楓都とシエル、燐音は一言ずつ交わしてあっさりと帰路に就く。

 特大の気まずさと重い空気を吸い込みながらの最悪の朝はまだ日が登らない。


 この状況を生み出した身から出た錆に、楓都は自己嫌悪する。

 憂鬱を含有した寂しそうなシエルの顔を見ていられなかった。


 一歩離れて歩くシエルを気にしながら、申し訳ない気持ちで彼は行きよりも重い足に鞭打つ気持ちで歩いていた。


          # # #


「楓都。詳しくはまた後で聞きます」

「うん」


 自宅に戻ってくるなり、シエルは疲れきった面持ちで彼に口を開く。


「なんとなくは理解したから。二人とも自由な人だし、夜遊びくらいしても不思議じゃない気もするしね」

「ごめん。悪い事した。危ない事だったし、爺さんとか結花さんの事も裏切ってる。でも、今日で終わりにするつもりだったのは知って欲しい」

「うん。分かった。私も別に咎めないよ。済んだことだから、結花さんにも黙っておく」


 だからもうしないでね、とシエルは大人な対応でまた寂しげに笑って終わらせた。


 彼女にとっては、正直楓都の夜遊びなんてどうだっていい。楓都に危ない事はして欲しくないし、悪い人にはなって欲しくないけれど、ただ一つの願いは彼にそばにいて欲しい、それだけ。


 だから赦す。そもそも怒ることなんてなくて、寧ろ楓都が誰のものでもないと知っただけ良かった。

 何よりこうすれば彼は、きっと自分を優先してくれると知っている。

 狡いやり方に嫌気が差して来るようだった。


(――Kyrieキリエ eleisonエレイソン,私はなんと愚かでしょうか)


 自分は独占欲の塊で、思い通りに動かして愉悦するような教えに背く信者である事をシエルは神に祈り謝罪し、そして今日に感謝する。


「ありがとう。約束する」

「うん」


 楓都は下向きながらだった顔を上げて、シエルにそう誓った。

 燐音にはまた遊ぼうと言ったが、流石にこちらを優先させないといけない。

 咎めてくれた方が自分を許せたし、叱られた方がずっと楽だった。


 赦されるという罰を受けたのだ。

 赦しを得る。即ち、過去の行いを己で否定し、悔いなければならない。これほどきつい事は少ないだろう。


 シエルが独占欲と愉悦と懺悔したが、彼にとっては紛れもない優しさに楓都は苦しみ、後悔と心苦しさをその整った顔に滲ませる。


 その姿を見たは期待を表情に映す。


 逆転できると。ここから攻勢に打って出ると。

 秘めたる想いはただひたすら背徳的に走り出す。


 そうしてシエルは天使の表情で、悪魔になる言葉を紡いだ。


「キスってどんな味がするんですか?」

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