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栗須帳(くりす・とばり)

第1話 誰かいるの?


 ――泣いてるのかい?――




 帰宅した私は、制服姿のままベッドに飛び込み、枕に顔を埋めていた。


 ここだけが、自分にとっての安息の場所。

 誰にも侵されることのない、私の聖域。

 この部屋から一歩外に出れば、私は他人によって干渉される。


 勝手に色を塗られる。


 両親であったり、弟であったり。

 近所のおばさんだったり、電車の乗客だったり。

 学校に行けばクラスメイト、教師もいる。


 この世界には、70億もの人間がいるという。

 そう思えば、特段取柄も才能もない、ごくごく平凡な一高校生の私が出会う人なんて、本当に限られていると思う。

 でも私にとっては、その僅かな人たちとの関わりが辛いのだ。


 私は人との関わりを、干渉だと思っている。

 他人と触れ合うことで、自身のアイデンティティが侵されるからだ。

 自我を抑え、他者に合わす。そうしないと、私のような『弱者』は生きていけない。

 強者は弱者に対して、全てにおいて干渉してくる。


「真白ってばさ、折角かわいいのに暗いんだよね。もうちょっと笑顔を増やすだけで、全然もてると思うんだけどな」


「それに髪形ね。前髪を少し切るだけでも、かなり雰囲気変わるよ」


「あと話す時、真白ってば絶対目を見ないよね。いつもうつむいて、小さい声でつぶやくみたいに」


「カラオケ行かない?本ばっかり読んでないでさ、たまにはこう、みんなで馬鹿みたいに騒いでさ、楽しもうよ」


「真白。お前は真面目だし、勉強だって出来る。だが父さんは、お前の将来が少し心配なんだ。お前が友達の話をしているところを、父さんは見たことがない。本を読んで知識を蓄えるのもいい。だが、少しはその……友達でも作って、もっと人生を豊かにしてほしいんだ」


「あら真白ちゃん、いつも早いのね。今から家でお勉強?偉いわね、本当。うちの馬鹿息子も、真白ちゃんを見習ってくれればいいんだけどね。いっつも友達と遊んでるみたいで、帰って来るのも遅くって」





 ああもう、みんなうるさい!





 私のことは放っておいて。私は今のままでいいの。


 みんなが私を否定する。私の生き方を否定する。

 土足で私の領域に入ってくる。干渉してくる。


 私はそんなに不幸?そんなに哀れ?

 人と接しないことが、そんなに悪いことなの?


 そんな思いが、たまに爆発しそうになる。

 今日がそうだった。

 特に何かあった訳じゃない。とにかく疲れた。そんな感じだった。


 私は別に、人に評価を求めていない。悪く思われたって構わない。

 でも流石に、こう毎日否定されると疲れる。

 そう思っていると、なぜか涙が溢れて来た。

 私はこの世界の異物なんだろうか。

 そう思うと、どんどん涙が溢れて来た。





 そんな時、声が聞こえた。


 え?

 何、今の声。


 どうして私が泣いてること、知ってるの?


 ここは私の部屋で、私以外誰もいない。

 高校に入った頃から、この部屋には両親ですら入って来なくなった。


 そう。私が私らしくいれる場所。誰も私を否定しない、私の聖域。


 なのに今、確かに声が聞こえた。





「……誰かいるの?」


 顔を上げ、恐る恐る辺りを見渡す。

 誰もいない。

 なんだ、幻聴か……私、ちょっとやばいかも。

 そう思った時、再び声が聞こえた。


 ――泣いているのかい、真白――




 やっぱり幻聴じゃない!




 しかも声の主は、私のことを名前で呼んだ。

 あ、でも……ちょっと待って。

 違う。聞こえてるんじゃない。

 頭の中に直接伝わって来てるんだ、今の声。

 そう思うと、ますます怖くなってきた。


「誰?ねえ、私こういうの、好きじゃないんだ……姿見せてよ」


 ――すまない。怖がらせるつもりはなかった。ただ真白が、本当に辛そうにしてたから――


 穏やかで優しいその声は、これまで聞いたことがないものだった。

 父さんでも弟の浩次でもない。大体二人は、こんな品のある声じゃない。


 ――話しかけるつもりはなかった。今のように怖がらせてしまうだけだからね。でも……なぜだろう、話しかけてしまった――


 声は聞こえるのに姿が見えない。でも最初に感じた恐怖心は、なぜかなくなっていた。

 それよりも、私を気遣ってくれる声の正体が気になった。


 あれ……変だな。


 私は人に干渉されることを望んでいない。そのはずなのに。

 今、私に声をかけてきた人のことが気になっている。

 どうしてだろう。




 ――私はずっと、ここにいたよ。そしてずっと、君を見ていた――


「ここって……でも、どこにもいないじゃない。それにずっとって、どういうこと?」


 ――哀しみに打ち震える君の姿に、思わず声をかけてしまった。だが、君がそれを拒むのであれば、それも仕方ないと思っている。元の関係に戻るつもりだ――


「元の関係って……ますます分かんなくなったよ。謎だけ残して消えるなんて、その方がよっぽど残酷だよ。それに……誰にも見せたくない私の涙、勝手に見ておいて」


 ーーそれに関しては、本当にすまない。弁解になるか分からないが……安心してほしい。君が泣いている姿を見た訳じゃない。感じているだけなんだ。説明が難しいのだが、私は君たちのように、視覚を通じて認識しているのではない。そもそも私には目がないからね――


「分かりづらい……本当、分かりづらい説明。ますます混乱しちゃったし、弁解にもなってない。どっちにしてもあなたはこの部屋で、私のことをずっと見てた。そのことは変わらない。

 でも……どうしてかな。あなたにずっと見られてたって言われても……嫌な気がしない」


 ――ありがとう、真白――


「それで、なんだけど……あなたに会わせてほしい。この部屋にいるってことなんだったら、その……隠れてるの?もう怖がったりしないから、私の前に出てきてほしい」


 ――もう君は、私を見ているよ――


「……え?」


 ――君の視界の中に私はいる。そのまま歩いてきて欲しい――


 私は彼(勝手にそう思った)に言われるまま、ベッドから起き上がった。

 目の前には机がある。私は恐る恐る、前に進んだ。


 ――見えたかい?――


「見えたって……机があるだけなんだけど」


 ――その上にいるだろう、私という存在が――


 彼に言われて、私は机の上をみつめた。

 机には電気スタンドと教科書が何冊か。あとは……




 ……え?


 まさか?




「……」


 私は無言で、机の上に置いてあった小石を手にとった。


「まさか……ね」


 ――正解だ。はじめまして、真白――


 彼の満足そうな声がした。



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