第7話 神は語らず

神は語らず――


『ハサン=ウズン=ザシャンの回顧録』より



   ***



 ハサン=ウズン=ザシャンは目の前の惨状に、自分がどこで正しき星運ハルタナから外れてしまったのかと自問した。


 戦況は最初こそ中央に戦力を集中させたカラマン朝艦隊が優位に立ったが、左右の海賊艦隊が受けた帆船団による砲撃被害が想像以上に深刻であったことと、帆船団の突破にシャルーク艦隊が手間取ったことから、左右に展開したヴェクトールとジルバーノの艦隊による側面と後方からの包囲攻撃が始まる前に中央のルイ艦隊を撃破することができず、形勢の逆転を許してしまった。


 まずシャルークが戦死した。エリティア艦隊による包囲に死を覚悟したこの歴戦の海賊は、惨殺された部下の恥辱にせめてもの一矢を報いようと残兵をまとめ、接舷し合った船を伝ってエリティアの老将ジルバーノの乗艦にむかって突撃を敢行したが、冷静にこれを迎え討つジルバーノの放った大弩の太矢に貫かれ、海へと転落して波間に浮かぶ死体のひとつに成り果てた。


 右翼が瓦解すると中央のハサンの旗艦に迫る敵兵が倍加した。精兵で固める旗艦も衆寡敵せず徐々に劣勢を強いられ、遂に帆柱に掲げられた大軍旗が敵の放った火矢に炎上し、散り散りに燃え落ちた。


「これが神の望んだことアブ・ミザールであるというのか!」


 ハサンは叫んだ。抜き放った宝剣を振るって敵兵の返り血をその豪奢な長衣に浴びながら、ミザールにむかって絶叫した。


ミザールよ! これが私の星運ハルタナか!?」


 敵が押し包んでくる。ミザールは答えず、しかし代わりにこの問いに答える人の声が聞こえた。


使徒ムーラークでもないものに、ミザールが答えなどするものか」


 敵兵を背後から斬り伏せ、ハサンの前に現れたのはラシード=ベグだった。彼は曲刀の血を払うと、ハサンの腕を掴み寄せて言った。


ミザールは認めるだけだ。ここで貴様が死ぬことを認めさせる訳にはいかん」


 中央の味方の敗色を悟ったラシードはハサン救出のためにここまで血路を開いたが、その理由は決して忠義心などではなかった。軍議で主戦論を張ったラシードには、同じ主戦論者であったハサンの死により敗戦の責を負わせられる危惧があった。また皇帝の寵臣であるハサンの生還は、その君臣間の情によっては功績に変わり、うまくすれば再起の星運ハルタナを掴む機会にもなると踏んだのである。


「認めるだけ……」


「認めさせればそれが正しき星運ハルタナだ! 私はそう生き、これからもそう生きる! ものども己の星運ハルタナを開け!」


 ラシードはそう呼ばわって周囲の残兵をまとめると、ハサンを連れて再び血路を開き、自身の船へとたどり着いた。


 その頃には左翼のラシード艦隊も敵右翼のヴェクトール艦隊の包囲を受けて崩壊寸前であった。しかし右翼のシャルーク艦隊よりも早く中央のルイ艦隊にぶつかり、かなりの打撃を与えていたため前方に抜け穴が生じていた。ここからラシードとハサンは、わずか四隻の船で逃げのびる。これがカラマン朝艦隊三百隻の唯一の生き残りとなった。


 ラヴィネの戦場を離れるこの四隻の後方で、神聖同盟とエリティアの艦隊が勝利を告げる狼煙のろしと万雷の歓声を上げる。


 その下ではこの歓声を聞くこともない無言の死体が信じる神の違いもなく平等に、血に赤黒く染まった海の波間に揺られていた。

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