第肆章の伍【テロル・前哨】

 はじめに、閃光弾がはじけ飛んだ。

 激しい光が炸裂し、署内が真っ白になる。突然の襲撃。十数名の襲撃者に、首都警察の対応は完全に後手に回った。

 襲撃は一階からだった。生活安全課、そういう非常時の対応に弱い課が、最初の戦地になった。加えて、その日は教会からの要請で、第主雅蘭大教殿の辺り一帯に交通整理を敷いていた。人手は不足を極めていた。銃弾と叫び声が、幾重にも飛び交い始めた。

 炸裂した閃光弾のまき散らした光と煙の中から、二人の女性が現れた。一人は歪な鉄の腕で、ナイフのような黒い指でライフルを構えている。そしてもう一人、金髪碧眼の少女が辺りに視線を走らせながら、鉄の腕の相方に言った。

「サンジョウさん、すみませんが、約束は……」

「分かってるわよ。誰も殺さないってやつでしょ? やらないように気を付けてるわよ」

 サンジョウが、面倒くさそうに答えて、器用に鉄の指で引き金を引いていく。次々に手足を撃たれていく警官。悲鳴とうめき声が辺りを満たす。待合に溜まっていた来客たちは、パニックの中、外に向かって猛然と駆けていった。ユリアはライフル銃を構えるだけで、発砲はしない。その時、彼女の視界に、一人の少年の姿が映った。

 テロリストと警察の応酬の狭間はざま、来客用の机の下に、彼は縮こまっていた。顔には恐怖が張り付いている。逃げ遅れたのだろうか。ユリアは、少年の両親が辺りにいないかと見渡す。周囲には、襲撃者と飛び散るコンクリイトコンクリート片、そして巻き上がる硝煙の匂いしかなかった。

 ユリアは覚悟を決め、上方に向けて引き金を引く。それは威嚇射撃だった。そして、床すれすれの低い姿勢でもって、ユリアは豪雨のごとき銃声が響く前線へと飛び出した。行き交う銃弾の間をくぐり抜け、少年のそばに滑り込んだ。

「大丈夫?」

 ユリアは声をかける。少年は今にも泣き出しそうだった。ユリアは少年の手を引いた。そして再び戦地を横切って、サンジョウ達の下に戻る。

「早く向こうから外へ逃げて」

 ユリアは言った。少年はあどけなさを残す顔を横に振った。

「ダ、ダメなんです」

「何やってんのよ!」サンジョウが二人に声を上げた。「移動を開始するわよ! 目標のいる地下へ向かわないと……急がないと特殊部隊が来る!」

 銃声が鳴りやみ、一階の全区画は襲撃者の制圧下に置かれた。襲撃者たちは地下へと続く階段へと向かい始めた。

「ダメって何が?」ユリアが問う。

「僕、ここに、捕まった人がいて……そ、それで、本当は、僕が……僕が」

 少年の言いたいことが、飲み込めない。

「ぼ、僕が、僕が、こ、殺したんです……だから、自首しようと思って……」

「ちょ、ちょっと待って、誰を殺したの?」

「そ、それは……」

「ユリア、早くっ!」サンジョウが叫んだ。

 だが、もうすでに遅かった。階段に向かう通路には分厚いシャッタアシャッターが降ろされ、署の出入り口には堅牢な防護壁が立ち塞がっていた。そして、間もなく照明が落とされた。

「クソッ!」

 サンジョウがナイフの爪をシャッタアに突き刺した。

 暗闇の中、少年はユリアに答えた。

「僕、お、お父さんを殺したんです……」

「お父さん?」

 少年は頷いた。

「こ、国会議員をやってたんです」

「国会議員……っ!」

 その時ユリアは気が付いた。この少年が、あのソウジ・アイゼン殺しの犯人だと言うことに――。

 次の瞬間、ごう音がとどろき、入口前の防護壁が少しずつ、少しずつ上へと開いていった。そしてユリアたちは見た――その向こう側に、鈍い陽の光を背景に、特殊武装で身を固めた黒ずくめの警官たちが待ち構える姿を。


 × × ×


 革命――下位階級が武力もしくはその他の力を持って、上位階級に取って代わり、それまでの政治体制を破壊する行為。

 歪な鉄の腕に賛同する者たちの中には、壱號たちの行動を革命と呼ぶ者が、確かにいた。だが、と壱號は思う。彼自身、全くそんな事は考えていなかった。気高い理想など、何一つ持ち合わせてはいなかった。ただ、やられた仕返しをしたいだけだった。この国の民の平穏無事な暮らしのその下に隠された理不尽な思想や制度が、どれだけ自分たちを苦しめてきたか。それを知らないで生きてきた呑気な間抜けどもに、それらを突き返したいだけだった。

 そう。だから、やることは単純だった。今の体制に安寧と胡坐をかいている者共に暴力を振るうだけだ。その中心たる教会を叩き潰すだけだ。そして今、その準備は整った。

 一発の銃弾が、第主雅蘭大教殿だいすがらんだいきょうでん一帯を警護するシヱパアドの一人を撃ち抜いた。地面に積もる白い雪に赤い脳漿が飛び散った。薄紅色の足跡を刻みながら、壱號たちは、御聖廟を囲う御教殿に歩みを進めていった。

 辺り一帯は、日中にも関わらず、人気ひとけが全くなかった。恐らくここらの住民には、戒厳令かいげんれいが敷かれているのだろう。今鳴った銃声に対し、市民が誰一人と顔を出さないことがまさしくそれを証明していた。

「恐ろしいほどの静けさですね……」

 壱號の隣を歩くニノミヤが呟いた。

「嵐の前のって奴だろう。だが、御聖廟まではすぐそこだ。どうせあの角でも曲がれば、シヱパアドが待っててくれるだろうよ」

 歪な鉄の腕たちが教殿に面した大通りに出ていくと、数ブロック先に――壱號の言った通り――大勢の教会警護隊が待ち構えていた。黒い軍式聖衣に身を包み、手にした銃火器を、壱號たちに向けている。

「お前たち、止まれっ! 止まれーっ!」

 部隊長格の男が拡声器を使い、壱號たちを牽制した。壱號たちは歩みを止め、退屈そうに対向する一群を見た。

「壱號さん……僕、こういうの戦国時代に観たことがありますよ」ロクムネが軽薄な口調で言った。

「戦国時代って何?」

「映画ですよ、映画。ハマグリ御門の何とかって、知らないですか?」

「知らねえよ……で、何だよ、これ? 止まれと言われたから止まってみたけどよ、行ってもいいんだろ?」

「まあ、従う道理は全くありませんね」

「では、私から行きましょう」

 そう言って、歪な鉄の腕の一人、ヨツヤが足を一歩前へ出した。そして、一発の銃声。壱號たちの足下の雪が弾け飛んだ。

 一瞬の静寂。

 次の瞬間、戦闘が始まった。襲撃者たちが大声を上げながら、突撃をしていった。銃弾、銃声、悲鳴、流血。激しい攻防。一挙に両者の距離が縮まり、混戦の様相を見せ始めた。

 だが、鉄の腕を持つ者たちは、その狂乱の中を悠然と進んでいった。この程度の雑兵ぞうひょうどもは相手にするまでもない、そう言うかのような歩き方だった。何人かのシヱパアドがもつれ合う集団の中を抜け出して、壱號たちに襲いかかった。

 金属音が響く。全ての銃弾が弾かれる。そして、目に見えない程の速さで、鉄の腕が彼らを弾き飛ばした。壱號の長いその腕は、まるでしなる鞭のように、周囲三メヱトルに入る敵兵を一人残らずなぎ倒した。壱號の顔に歪な笑みが浮かんだ。

 そして他の鉄の腕たちも、その理不尽な力を遺憾なく発揮した。吹き荒れる赤銅の炎。繰り出される蒼い双剣。空気を焦がす黄色い雷撃。サンジョウを除いた八人の鉄の腕は、迫る敵を縦横無尽に切り刻み、殴りつけ、打ち倒していった。

 部隊長格のシヱパアドが銃剣を構えて、壱號に突進してきた。半径数メヱトルの空間を食らい尽くす壱號の領域に、一歩ずつ侵食していく。撃った弾丸は弾かれる。だが、着実に距離を縮めていく。男の雄叫びが上がる。そして銃剣が壱號の顔面に迫った。

 あまりにも分かり切っていた結末。隊長格は視角の背後から、信じられない速度で襲いかかってきた鉄の腕に、身体を貫かれる。何が起こったかを理解する間もなく、その刹那、今度は身体が宙に浮いた。空に投げ出され、男が地面めがけて落下し始めた時、壱號の腕が、続けざまに第二撃、第三撃を撃ちこんだ。全部で十数撃。赤い血の雨が辺り一帯に降り注ぎ、隊長格の男は粉々に散った。

 壱號の笑い声が上がった。

 わずかに残ったシヱパアドたちは、折れかけた士気を鼓舞するかのように、悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げ、やぶれかぶれに最後の攻撃に打って出た。


 × × ×


「ユリア、誰も殺さないなんて無理」

 ユリアはサンジョウを見た。鉄の指のナイフが、わずかな振動始める。電メス、全てを切り裂く鋼鉄の刃。ユリアが止めようと声を上げようとしたその時、武装警官がおごそかかつよく通る声で命令した。

「発砲」

 と同時に、激しい雷雨の様な銃撃戦が再び始まった。逃げ遅れた市民が悲鳴を上げながら外へと駆け出した。突撃の命令を受けた武装警官たちが確固たる足取りで署内に侵入を開始する。

 ユリアは少年を抱きかかえて、走った。わずかでも安全な場所に、向かわなくてはならない。

 その時、一陣の旋風が辺りを駆け抜けた。武装警官が宙を舞った。サンジョウがその力を発揮したのだ。切り裂かれる肉。溢れだす鮮血。そして、勢いを取り戻した襲撃者たち。攻防は激化した。

 ユリアは絶望的な思いで、その惨状を見た。人が、死んでいく。血が、床を染めていく。彼女は止めようと思った。だが、出来なかった。声は出なかった。足がすくんだ。銃撃の爆音の中に彼女は取り残された。そして一発の銃弾が、彼女の髪をかすめた。ひるみ、慌てて机の下に屈みこむ。少年が彼女の腕を強く掴む。

 何もかもが間違いだったんだ。こんなこと、しでかさなければ良かった。何一つ上手くいかない。長老も、ニイダも死んだ。ゴダイには会えない。もうあの頃の様な日常はどこにもない……でも、でも、それでも、だ。それでも死ぬわけにはいかない。死にたくはない。したらば、やるか、やられるか、だ。

 武装警官がユリアの前に立ちはだかる。相対し交差する二丁のライフル。死を、覚悟する。だがそれでもユリアは引き金に指をかけた――その時だった。

 爆発と轟音。彼女のすぐ後ろの壁に、大きな穴が穿うがたれた。武装警官の攻撃ではなかった。予期しない破壊に、襲撃者も警察も皆、一様に動きが止まった。

 立ち上る砂ぼこりの中、壁の向こうから、二人の男が現れた。

 ユリアは目を疑った。

 ゴダイがそこに立っていた。

「攻撃を止めろっ! お前らの目標はここにいる!」

 もう一人の男がそう叫んで、右手で拳銃を構え、左手に警察手帳を掲げた。それから男は戦闘の中心部へと歩き出した。ゴダイもそれに着いていく。その時、ユリアはゴダイと目が合った。ゴダイは一瞬歩みを止め、驚き、そしてホンの微かな笑みを見せた。そして小さく固く頷いた。

 何かを言う間もなく、ゴダイはそのまま戦場を横切って行った。

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