ep2 森の家の来訪者
人は竜に勝った。
幾百年の均衡を破ったのは竜だ。街は次々と業火に焼かれ、人々の紅い声に包まれた。
だが人にも知恵があった。次第に抵抗を始めた人の前に竜の進撃はやがてその勢いを潜め、反旗の刃に竜の身体は引き裂かれた。
そして遂に人は竜の最後の砦を落とす。それが丁度一年前の今日。まぁ町の人間がいつもより過剰反応だったのはそのせいもあるのかもしれない。
「シチュー美味しかったねアルフ!」
食卓の木皿を片付けていると、ラミアが机に身を乗り出す。
「そいつは良かった」
「うん!」
頬を朱に染めほほ笑むその姿には、如実に純粋さが現れている。
その無垢さ故に街での出来事は辛かっただろうが、今は元気になったようで何よりだ。
「ねーねーアルフ、片づけ終わったら雪合戦しよ!」
木皿を洗い場に入れると、ラミアが俺の傍らをぴょんと跳ねる。
「やらない」
「えーなんでー?」
「お前は竜だからいいかもしれないけど、人間の俺にこの寒さは堪えるんだ」
買い物行くのですら億劫だったのにまた外に出るなんてもはや拷問だ。
「む」
ラミアは不服そうに呻ると、暖炉の前まで歩き膝を抱えて座る。ちょっと怒らせちゃったか?
「まぁそう怒るなってラミア。買ってきた果物むいてやるからさ」
リンゴを片手に言うが、ラミアは暖炉の火を見つめたままぶっきらぼうに呟く。
「雪合戦」
この竜はよほど雪合戦をやりたいらしい。
まったく仕方ないな……。
「ちょっとだけだぞ」
言うと、ラミアがぱーっと明るくこちらを見上げてくる。
嬉しそうで何よりだと椅子にかけてある外套に手をかけると、誰かによって木の扉が二度叩かれた。
こんな辺境の森の家に一体誰だ?
万が一があるのでラミアを奥の部屋に引っ込ませると、臨戦態勢を整える。
ゆっくり近づき扉を開くと、すかした表情で立つ見知った眼鏡男の姿があった。
「……ヘスキアか」
「久方ぶりだなアルフ。入らせてもらって構わないか?」
「ああ」
ヘスキアを適当な椅子に座らせると、棚からティーポットを取り出し茶葉と共に湯を注ぐ。
「
ヘスキアが尋ねてくるので、淹れた紅茶を目の前に置いてやる。
「そうだな」
「そうか。早いものだ」
ヘスキアはどこか懐かしそうに呟くと、慣れた手つきでカップを手に取り紅茶の香りを堪能する。
しばしの沈黙の後、ヘスキアの目が眼鏡越しにまっすぐこちらへと向いた。
「あの竜とは一緒なのか」
あの竜、恐らくラミアの事を言っているのだろう。
唐突な問いではあったが、不思議と焦りは来なかった。
「一緒だ」
答えると、ヘスキアは「そうか」と短く返し何を考えているのかその目を閉じ腕を組む。
「悪い事は言わない。別れろ」
ヘスキアから言葉が放たれたのはおよそ数秒の沈黙の後だった。やはりこいつも言うのか。
「なんで別れる必要がある? そこまで軽蔑する対象なのか竜っていうのは」
問うと、何か思う事でもあったのかその表情に驚きの色が見て取れる。
「よもや貴様からその言葉がでようとはな……」
「なんか不自然か?」
「当たり前だ。かつておあれだけ竜を憎んでいた男が何故こうなった」
「それは……どうしてだろうな」
確かに俺はかつて竜に対して憎しみを抱いていた。誰よりも深く。誰よりも強く。
でも不思議な事に、あの日以来あの黒い感情はてんで身を潜めてしまった。いやそれだけじゃない、心の中の何もかもが身を潜めたのだ。感情が欠如したわけでは無いが、残るのは空虚。目的も何も見当たらない、寒々しく在るだけの灰色の空間だ。
「……まぁいい。だとすればこれも無用の代物だろう」
「これとな?」
聞くと、ヘスキアは懐から何やら紙を取り出し机に広げる。
「なるほど、士官のお誘いというわけだったか。ていうかお前、城に仕えてたんだな」
紙には官位の贈与だとか土地がどうだかなど、様々な事が書かれていた。全部読んだ時にはぐっすり熟睡
できるに違いない。
「そうでもなければ俺が貴様の所に訪ねるなどあり得ん」
「そりゃそうだ」
肩をすくめて見せると、ヘスキアが再度問うてくる。
「今や我が国の戦力増強は必定。故に城としては竜を治めていた七天竜のうち五体を葬り去った元竜騎士の英雄である貴様の力を借りたい。しかし城に仕えるとなれば竜との決別は避けられないだろう。それでも人として生活を営むには決して悪い待遇ではない。だから改めて聞く、城に仕える気はないか?」
「言わなきゃ分からないか?」
「聞くのが俺の仕事だ」
一言でもちゃんとヘスキアは察してくれていたらしい。
ヘスキアは目を閉じ腕を組むと軽く息をつく。流石かつて戦線を共にした同志だ。
「ならばもうここに用は無い。そろそろ失礼させてもらおう」
ヘスキアは席を立つと、扉の前でおもむろに足を止める。
「だが同じ元竜騎士として忠告しておく。ここはこの国でも辺境だ。そして今に戦争が起きかねない相手国ウィンクルムとの境界沿いでもある」
「と言うと?」
「この辺りはじきに戦火に吞まれるだろう。もし平穏な生活を望むのならば王都に来るか、どこか戦争のない場所に移動するかした方がいい」
「そう簡単に言われてもなぁ」
「フン」
ヘスキアは一瞥をくれると、外へと出ていった。
「にしても戦争、ね」
どうにも人間っていうのは愚かというかなんというか。
共通の敵がいなくなった途端今度は内輪で揉めだすとは。
人間の行く末について思いやられていると、奥の部屋に続く扉がそっと開かれる。
「悪いなラミア。昔の知り合いだったんだ」
「ううん……」
どこか元気なさげに顔を伏せると、おもむろにラミアは俺の服の裾をつまんできた。
「アルフ、どこかに行ったりしないよね?」
途切れ途切れに話を聞いていたのだろう。物静かにラミアは聞いてくる。
「行かないよ。そういう話だったけど断った」
誤解を解いてやると、顔を上げたラミアから爛々とした目線が飛ばされる。
「ほんと⁉」
「ああ行かない」
「ほんとに⁉」
「ほんとだって言ってるだろ。ほら、雪合戦するんじゃないのか?」
あまりにも眩しすぎたので目を逸らすと、一足先に出ていくとする。
しかしすぐにその光は俺の横に並ぶと、暖かい手を当たり前のようにつないでくるのだった。
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