第37話 朝練のうた
龍の剣士という話は俺も知っていた。この大陸の西部地域に分布する昔話である。簡単に言えば突如現れたドラゴンを人間の身でありながら主人公が撃退するというものだ。
「その話とキールが強いこととどう関係があるんだ?」
「私の小さい頃、その話を聞いた時電流が走った。人の身でありながら地を裂き、ドラゴンをも倒す剣を振るう男に憧れた」
「憧れって……でも龍の剣士は架空の……」
「そうだ。私は架空の人物に憧れを抱き続けている。だから私の鍛錬は終わらない。龍の剣士の主人公に追いつくまで私は強くなり続けなければならない。それで……鍛錬に歯止めが効かなくなった。周りからは変に思われるよ」
キールは少し恥ずかしそうにポリポリと頭をかいた。
俺は彼女の言葉を聞いて驚くと共に自分の至らなさを痛感した。もちろんキールと俺では目指すべき目標とジャンルが違う。しかし何かを目指す姿勢としてキールの姿勢は尊敬できるものだ。
「すごいなキールは。俺も詩人として大成したいなんて言ってるけど……キールと比べちゃ練度はまだまだだ」
戦士としての力量を表す階段が百段あるとしてキールはもうすでに五十段は軽く超えているだろう。一方で俺は詩人としての力量を表す階段のまだ十段目くらいだ。
「多分周りにおかしいって思われるぐらいやらなくちゃダメなのかな」
俺は深くため息を吐いた。少し背もたれに寄りかかり、天井を見つめた。キールは架空の目標を見据えて、絶対に追いつけない目標を追いかけている。ちょっとくらいぶっ飛んでいなくては目標は達成できないのかもしれない。
キールはしばらく俺のことを不思議そうな目で見つめていた。
「どうした?トルバトル」
「いや……俺もキールみたいな姿勢で事に臨まなきゃって思ったんだ」
「そうか。私たちが高みに到達すればネスト様に拾ってもらった恩を返せるな。これから道は長いだろうがお互い頑張ろう」
キールは拳を突き出した。俺とそれに応じて拳を突き出し、コツンと当てる。俺たちは薄暗い食卓で密かに約束した。より成長しよう、と。
キールは架空とはいえ特定の人物を追いかけて力を得ようとしている。となれば俺ももう少し具体的な目標を設定した方がいい気がしてきた。
俺は詩人を一人しか知らない。ならばその人を目標にしよう。師匠、つまり風の詩人ミンネを超えることを俺の目標にするのだ。それを達成した時俺は胸を張って詩人として大成したと宣言できる。
しばらくしてキールは仕事もないので寝ると言って席をたった。後に残ったのは項垂れるように眠りこけているドルカと俺だけだ。
「さて……俺もドルカ起こして寝るか」
「起きてるぞ」
「わぁ?!」
俺は素っ頓狂な声を出してしまった。ドルカはよく実った枝のように頭が下に向いているが意識はあったようだ。
「なんで言ってくれなかったんだよ」
「ボクは空気は読めるんだ。二人が真面目くさった話をしてたからな」
ドルカはすこし偉そうに胸を張った。どうやらドルカはマナーは基本的にはあまり守らないが、空気は読めるらしい。
「そうなのか。気を遣ってくれてありがとう」
「まぁ良いさ。お前らの話は勉強になった」
そういうとドルカは椅子を後ろに引いた。
「おやすみ」
俺はドルカが何を言いたいのか分からなかった。しかし考えるに俺たちの話を聞いてドルカも何か成長をしたいと思ったということだろう。それならば良いことだ。
俺もテーブルから離れてベッドに向かった。そこから翌朝のことまでは全く覚えていない。風呂に入ったか怪しいレベルだ。
朝は喧しい音と共にやって来た。ドタドタと盛大な足音を立てて俺が寝ている部屋へとドルカが突入して来たのだ。
「起きろって言ってるぞ!」
「だ、誰が?」
「キールだ」
俺は眠い目を擦りながら体を起こした。窓の外を見るとまだ薄暗かった。まだまだ出発までは時間がある。そのはずなのに何故キールは俺を呼ぶのだろうか。
思考にモヤのかかったような状態のまま俺は外へ出た。早朝の冷たい空気が身に染みる。ネスト様の領地は温暖であるとはいえ、朝や夜などは少し冷える。
「キールはどこだ?」
「キールは別荘の裏庭だぞ」
ドルカは朝から元気だ。俺の手をぐいっと引っ張って裏庭の方へと案内してくれた。そこには木剣を振るうキールの姿があった。彼女はこの冷える中で袖のない服を着ていた。
「おはようキール。どうしたんだ?」
「昨日言っただろう。お互いもっと頑張ろう、と。朝練だ」
俺は嫌な顔を見せてしまいそうになった。たしかに昨日お互いに高みを目指して頑張ろうと言ったが朝練を始めることになろうとは思わなかった。
だが約束してしまったものは仕方がない。詩の腕を磨きたいというのは本心だ。それに詩作や表現の幅を増やす努力をする時間は多いに越したことはない。
「わかったよキール。俺も朝練する」
「あぁ、それが良い」
せっかく朝練をすることになったのだから何か特別なことをしたいものだ。いつもはやらないような詩の練習方法。と言っても詩の練習方法に正解なんてないのかもしれない。とりあえず俺は師匠に習った練習方法を試してみることにした。
俺はキールとナイフ術の練習をし始めたドルカをじっと観察した。二人は目にも止まらぬ速さで獲物を振るう。それを見ながら俺は羊皮紙にペンを走らせた。これが俺の朝練である。
しばらくするとキールとドルカが休憩を始めた。コップから溢れんばかりの水を一気に喉に流し込む二人に俺は近づいた。
「キールの動きは猛虎のような激しさの中に洞窟の深くにある湖のような静けさがあるな。それに憧れの高みに手を伸ばし続ける姿は戦士の理想系だ」
「え?あ、うん……そうか……ありがとう」
キールは少し顔が引きつっていた。俺は多分おかしなことを言ってはいないはずだ。俺は次にドルカへと目線を送った。
「朝の眠さは鉛のように身体にのしかかる……でもドルカからは気だるさが砂粒ほども感じられないよ。君の満ち溢れんばかりの元気は周りの人に活力を与える……それはまるで」
「おいちょっと待て」
なんだ?せっかく良いところであったのに水を差されてしまった。ドルカは先ほどのキールのように微妙な顔をしている。まるで苦いものを口に入れた時のようだ。
「なんだよドルカ」
「なんだよ……やたらボクらのこと褒めてくるし、言い回しがなんか……普段の会話じゃないし」
「比喩が大事なんだよ。言葉の引き出しを増やして比喩を使う練習だ」
比喩はやたらめったら使えば良いという訳ではないが、適切に使えば効果を発揮する。俺はその練習を朝練で行うことにしたのだ。俺の比喩はなかなか良かったはずだが、二人にはあまり受けていない。
「えー……なんか変な言葉使いだったか?」
たしかに比喩の練習だから会話に比喩が多かった。しかし表現としてそこまでおかしかった点はないはずだ。
キールは少し頬を赤らめていた。そして伏し目がちに、そして言いにくそうに言葉を紡ぎ始めた。
「あの……表現はわかりやすいが……むず痒いんだ」
「そりゃ褒めてるからな」
「……まぁ、そうか。トルバトルとしてはその朝練は効果はあるのか?」
「うん。結構言葉の引き出しを無理して開けた気がするからな」
洞窟の深くにある湖なんて一瞬じゃ出てこない。それに人の様子を比喩で表すのは俺にとっちゃ難しい。だからこの練習は結構効く気がするのだ。朝から言葉の引き出しを無理やりこじ開けたので頭をスッキリしてきた。
「これは良い朝練だ。もっと比喩で褒めていいか?」
「うぅ……」
何か言いたげな顔だ。口をモゴモゴさせている。俺はハッとした。キールたちの立場に立ってみればいきなりベタベタに褒めらるのは流石に恥ずかしいものがあるのだろう。
「ボクとしては恥ずかしいからやめてほしい」
ほらもう答え合わせが来た。俺はため息をついた。結構いい練習方法なのだが、キールとドルカに迷惑をかけるわけにはいかない。
「ごめん、わかったよ。他の人とか者を比喩を使って褒めるよ」
俺がそういうと二人はホッとしたようだ。
しかし他の人を褒めると言ってもあたりには朝早くということもあって誰もいない。こりゃもう物を褒めるしかない。俺は練習に戻った二人を尻目に近くにあったネスト様の別荘を囲む柵を見つめた。
「……城壁のようだな。或いは主君を守る騎士と言ってもいい。君のような立派な柵は見たことがない。この邂逅には名をつける価値がある……」
「と、トルバトル?平気か?」
俺が柵を口説いているように見えたのだろう。起きて来たネスト様にガチで心配されてしまった。この誤解を解くのに俺は数分をかけることになった。
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