第35話 決着のうた

 闇夜に冷たい風が吹く中両者は睨み合う。リーブスの背丈は一般的な成人男性ほどだ。しかしその四肢は全身を覆う毛の上からでもわかるほどに鍛え抜かれている。さらに指先から伸びる黒い爪は剣のように鋭かった。リーブスはキールを一瞥すると鼻を鳴らした。


「おい小娘。降参するなら今のうちだぞ」


「そっくりそのままお返しする」


 舌打ちをするリーブス。彼は冷静に見えるが目の前の小娘に刃向かわれているこの状況が気に入らないようだ。目が殺気立っている。だらりと下げた腕を胸のあたりまで持ち上げると十本の爪全てをキールへと向けた。


 かたやキールは深く呼吸をし、開戦を待っている。


 緊迫した空気があたりに充満している。周りで見ているこの村の門番たちも、ネスト様もドルカも俺も指一つ動かさなかった。静かな時間だけが流れていった。


 しかしその時は急に来た。リーブスが爪をギラつかせながらキールへの距離を詰め始めたのである。どんどんと両者の距離は縮まっていった。

 

 そしてついにはリーブスが手を伸ばせば爪でキールを切り裂けるような距離まで接近した。


「おい小娘。なぜ動かない。俺はもうお前を掻っ切れるぞ」


「やってみればいい」


 リーブスの堪忍袋の緒が切れたのはこの瞬間だった。キールの挑発に乗ったリーブスは罵詈雑言を吐き散らしながらキールの周囲の空間ごと抉り抜くような一振りを繰り出した。


 俺は思わず目を瞑る。あの距離からリーブスの攻撃を躱すのは不可能だ。まだ岩を素手で抉る方が可能性があると思えるほどだ。確実に何か硬いものが折れたり切れたりするような音が響いた。それがどうかキールの肋骨でないことを願いながら俺はゆっくりと目を開けた。そして続けて目を見開くこととなった。


 攻撃したはずのリーブスの爪の半分から上がスッパリと切れ、地面に散らばっていた。


 リーブスは状況に頭がついていっていないようだ。俺だってついていけない。確実にキールは切り裂かれたとばかり思っていた。しかし結果は真逆。切り裂かれたのはリーブスの爪だ。


 リーブスはやっと思考を再開したようで、慌ててキールから距離をとった。


「こ、小娘!何をした!」


 魔獣に発汗の機能があるのかどうか分からないが、あるとしたら確実にリーブスは今汗がダラダラだろう。それほどまでにキールの行為は理解という感情からかけ離れていた。


「お前の爪を切っただけだ。今度はこちらから行くぞ」


 キールは剣をリーブスの腹あたりの高さに構えるとそのまま針のような直線を描いて突っ込んだ。その速さは放たれた弓矢の如く。弾かれるように動き出したキールは目で追うのがやっとだ。


 リーブスはキールの刺突を間一髪で回避する。ハラリと毛がその場に散らばった。


 キールは続けてリーブスとの距離を詰めた。相手の腹あたりを薙ぐような斬撃。しかし今度はリーブスもしっかりと反応して残っている爪でキールの剣を防いだかに見えた。


「柔い」


 キールはそう言うと相手のガードごと押し込むように剣を振り抜いた。耳を塞ぎたくなるような金属音が響く。


 俺の視界には何かが宙を舞ったのが見えた。棒状のそれはクルクルと空中を踊り、地面に突き刺さる。その棒状の何かの正体を見て俺はもはや苦笑いをするしかなかった。リーブスの爪が再び切られ、宙に舞い、地面に突き刺さったのだ。


 反撃すべくリーブスは残った爪をでキールに斬りかかる。手をめいいっぱい開き、三方向から爪の剣がキールは狙う。


 流石にキールも3方向からの剣を受けるほど自信過剰ではない。キールは駆ける馬のように軽やかなステップで地を蹴り、移動する。


 外れた爪は地面をたやすく切り裂いた。


「なぁっ?!」


 思わず俺は声を漏らしてしまった。マチ村の土壌はかなり硬い筈だ。普通の剣で複数回切り続ければ刃こぼれしてしまうほどだという。しかしリーブスの爪はいとも簡単にここの土壌に深い谷のような爪痕を残して見せた。


「尋常ではない切れ味だな」


「嫌味にしか聞こえんぜ」


 リーブスは連続して爪を振るった。キールの右脇腹に、左側頭部に、左足に。当たれば真っ二つの恐怖の爪がキールを続け様に襲う。一方でキールは眼球をを絶え間なく動かし、相手の行動を見切っているようだ。


 爪が空を切る音と時折聞こえる金属音。俺は何がなんだかわからなかった。両者獲物を振る速度が速すぎるのだ。彼らは一秒にも満たない時間の中で思考し、体を動かしている。理解不能の領域だ。しかしただ一つだけわかることがあった。キールが優勢だ。


「はぁ……はぁ……小娘……名は何という」


 複数回の攻防が終わり、両者一旦距離をとったところでリーブスは荒い息の中訪ねた。


「キールだ」


「そうか……キール、お前は俺が出会った人間で一番強い……倒しがいがある……」


 リーブスの爪は残り一本となっていた。戦いの最中、キールが意識の間隙をついて切り捨ていたのである。リーブス自身も肩で息をし、疲労が溜まっている。それでもなお彼は牙を見せて笑った。そしてそれに呼応するようにキールも歯を見せた。


 俺に剣の知識はないし、そもそも戦いについてよく知らない。しかし俺は直感していた。この戦いはもうすぐ終わる。


 キールとリーブスはほぼ同時に地を蹴った。この一撃で決めると言う心づもりが透けて見えるようだった。


 キールは上から、リーブスは下から各々の武器を振り抜く。


 直後、村ごと下に一メートルほど沈み込むよな衝撃が発せられた。発生源は言うまでもなくキールとリーブスのあたりだ。


 直後に土煙が夜の冷たい空気を塗りつぶした。キールのリーブスの姿を飲み込み、俺たちから視界を奪った。


 しばらくするとだんだんと煙が消えていった。そしてそこに見た景色に俺は胸を撫で下ろした。


 リーブスの爪は粉々に砕け、ほぼ粉末と言ってもいいほどだった。そしてリーブスの真下の地面には蜘蛛の巣状にひび割れが広がっている。

 

 リーブスは全ての爪を切られ、砕かれ、大の字になって地面に背をつけていた。そしてそれをキールが何も言わずに見下ろしている。


 しばらくの間両者は無言だった。しかしリーブスが呼吸を整えた後、口を開いた。


「参った。俺の負けだ。爪を全部叩っ斬られるとは思ってもなかったぜ。特に最後の技はヤベェ。あんな強力な振り下ろし……人間に可能なんだな」


「技の名をシタタリウガチという。師の技だ。まだ師の精度や威力には及ばないがな」


「……世界は俺が思ってたより広いようだな」


 リーブスはため息をつくと、上半身起こした。そして気怠げな目線をネスト様の方へとよこした。


「ご覧の通りこのザマだ。俺たち魔獣はアンタのところで暮らす代わりに労働力を提供する。俺が負けたんだから俺の手下たちも納得するだろう」


「そうか。力強い労働力が手に入って嬉しいよ。これからよろしく頼むよ」


 ネスト様はリーブスにそう言うと、今度はキールの方に向き直った。キールは剣を鞘に収め直していた。彼女は息切れ一つしていないようだ。ゲイルさんとの特訓で化け物じみた技と体力をを彼女は手に入れていたらしい。流石に末恐ろしくなった。キールとは喧嘩をしないことを俺は心の中で決めた。


「キールご苦労様。流石の活躍だ」


「ありがとうございます。ネスト様」


 ネスト様はキールに近づくと、乱雑に彼女の頭を撫でた。突然のことにキールから可愛らしい声が漏れた。


「ウチの兵は最高だ」


「や、やめてください……」


 そうは言いつつもキールは顔を赤らめている。そして頬が緩んでいるのを俺は見逃さなかった。後でドルカあたりが揶揄うだろう。

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