第32話 村のうた
魔獣はネスト様の領地の最東端であるマチ村に迫っているという。マチ村は魔法都市グリンを有するネスト様の領地とは思えないほど魔法が普及していない。
「おい、早く乗れ」
魔獣シグレトリがクチバシで自らの羽毛を櫛のように撫でている。その上に乗るのはシグレトリの契約主であるドルカだ。軽いはずのドルカの重みで羽毛がかなり沈み込んでいることから、シグレトリはかなり羽毛がふかふかなのだろう。
マチ村にはシグレトリに乗せてもらって移動することになっていた。シグレトリは一度羽ばたけば街一つを通り過ぎてしまうほどの力を持つ。シグレトリの力を借りればマチ村までひとっとびだ。
「シグレトリには五人まで乗れるが……ネストの安全のために今回は四人までだ」
「ありがとうドルカ」
ネスト様はそう言うと軽い身のこなしでシグレトリに飛び乗った。
マチ村へと行くメンバーは四人。俺とネスト様、ドルカとキールだ。ネスト様曰く魔獣が多いところへ行くのだからゲイルさんも連れて行きたいらしい。しかしネスト様とゲイルさんが館に不在というのは防犯上良くないということがわかっている。どこかの元怪盗のおかげである。
キールと俺もシグレトリに乗り込む。ベッドのようにふかふかの羽毛は顔を埋めたくなるほどだ。
「皆乗ったな?飛ばすぞ!いくぞシグレトリ!」
ドルカの掛け声と共にシグレトリが咆哮した。耳を塞ぎたくなるほどの高音だ。シグレトリは深く沈み込むように構えると、地面スレスレを泳ぐように駆け出した。こんなに助走が取れるのはネスト様の館の庭が広いからだろう。
グングンと加速するシグレトリ。魔獣の強靭な足が大地を抉っては蹴り出す。その度に俺たちは不思議な浮遊感に襲われた。そしてシグレトリが翼を広げて、羽ばたき、最後の一二歩で最も強く地面を蹴ると斜め上へと道が開かれた。
「わぁぁ!」
俺は思わず声を漏らした。風呂上がりの比にならないほどの爽快感だ。強くも心地よい風が全身を撫でる。
飛んでいる。そう実感した時胸の高鳴りが耳に聞こえそうなほどだった。
街がミニチュアのように小さくなっていく。豆粒よりも小さくなっていく市庁舎。砂粒ほどになっていく民家。見るもの全てが新しく見えた。
雲も手をのばせば掴めそうだ。シグレトリに捕まりながら、そっと片手を離してみる。怖くないと言えば嘘になる。しかしこのドキドキに叶うものなどないのだ。俺は思い切って手を伸ばしてみた。
「あれ?」
「何をしている?トルバトル」
俺の後ろに座るキールが首を傾げた。
「雲を捕まえられそうなんだ。あわよくば一欠片持って帰りたい!」
「詩人らしい感性なのかもな。だが雲は掴めないぞ」
「マジかよ!」
残念だった。しかし俺は笑みを止める術を持たなかった。雲をつかめなくてもよかった。飛んでいる。ただそれだけで込み上げる高揚が俺に笑顔をもたらす。
「トルバトルは飛ぶのは初めてかい?」
ドルカの後ろに乗るネスト様が風邪で金髪を靡かせながら尋ねてくる。俺はその時ハッとした。一応は今は勤務中なのだ。はしゃいでばかりではいけない。
「も、申し訳ありませんネスト様。飛ぶのは初めてで興奮してしまって……」
「いいんだよ。俺も初めて魔法で飛んだ時には感動したものさ。世界がガラリと変わったような気がした。是非とも飛行の魔法を覚えてみるといい。役立つし楽しいぞ」
「はい!」
楽しい飛行はすぐに終わってしまった。下の方にマチ村が見えてきたのである。
マチ村の第一印象は過疎という言葉がよく似合うという感じだ。民家は数えるほどしかない。川の近くに置かれている水車小屋もグリンの街のものと比べるとかなり小さい。
シグレトリは村で一番大きな木製の家の庭へと着陸した。ネスト様の別荘だという。俺はドルカとネスト様に続いて庭へと降りた。最後に足をつけていた地とはえらい違いだ。ネスト様の館の庭は芝生が柔らかいカーペットのように広がっている。庭師のカナメの手入れが行き届いていたのだろう。しかし今俺が降り立った地面は古びたレンガの表面のようにひび割れ、ゴツゴツとしていた。転んだら痛そうだ。
俺はネスト様の別荘からあたりに広がるマチ村の家々を眺めてみた。グリンの街は石造りの家が並んでいて、至る所で魔法の道具が稼働していた。しかしこの村には魔法の片鱗も見せない。
このような村は珍しくない。魔法の技術は大陸すべてに行き渡っているわけではないのだ。師匠と旅をしてきたからわかる。
「キールはこういう村は初めてかい?」
ネスト様があたりを見渡しながら懐かしそうにする。そんなふうに余裕のあるネスト様に対して尋ねられたキールの様子は絶好調とは対極にあった。
「はぁ……はぁ……はい……は、初めてです」
キールの顔は青ざめていた。鳩尾のあたりを抑え、手に膝をついている。
「不甲斐ない……飛行……で……酔った……」
思い返せば飛行の途中からキールはやたら静かだった。だがまさか酔っていたのは思いもしなかった。
「ふん、だらしないぞキール。ボクを見ろ!快活そのものだ!」
「ふん……私たちに負けたくせに」
青ざめた顔でキールは精一杯の返し。それを聞いたドルカは少し顔を膨らませた。本当にコイツらは和解しているのか俺は不安になった。思えば和解の詩を歌って以来キールとドルカが実際一緒に働いているのをみたことがなかった。もしかしたら一緒に仕事をするのが今日が初めてなのかもしれない。そうだとしたら二人から目が離せない。
「はいはい、仕事中だぞー」
ネスト様が宥めるとキールもドルカも睨み合うのをやめた。くるりとネスト様の方へと向き直る。俺もネスト様の方へと体の向きを直して背をただした。
「まずキールは平気か?休んでいても構わないが……」
「心配ありません。ゲイルさんとの訓練に比べれば屁でもありません」
「そうか。なら早速仕事に行こう。よく魔獣の被害にあっているのは村の東らしい。そこの門番たちにまずは会いにいく」
ネスト様の説明が一通り終わる。早速俺たちはネスト様の別荘から村の方へと歩き出した。時々村民たちが不思議そうに窓枠から顔を覗かせているのが見えたり、ヒソヒソ話をしているのが聞こえてきた。
「どうして皆ネスト様に注目しているのかですか?」
「注目されているのは君たちだ。以前この村を訪れた時にはお供がゲイルたちだったからな。部下の新しい顔ぶれに皆驚いているのさ」
「なるほど」
たしかに以前のお供がゲイルさんという規格外の体躯を持つ男だったのなら、この代わりようには驚くだろう。まず俺もキールもドルカもゲイルさんと比べるまでもなく小柄である。縦幅も横幅も比べるのも烏滸がましいぐらいだ。
ひそひそ話や奇異の目線を浴びながら俺たちは村の東端までやってきた。あたりには畑が広がり、川のそばには水車小屋が見える。その水車小屋近くに槍を持った男が一人あくびをしながら暇そうに立っていた。
「おいおい、魔獣の被害が拡大しているのに油断しすぎじゃないか?」
ネスト様は呆れるようにその門番に声をかける。その門番はしばらく状況が理解できていないようだった。目を細めてネスト様をじっくりと観察し、ゴシゴシと目を擦った。そして彼が正真正銘の領主であることを理解するや否や青ざめた。
「ね、ネスト様!!申し訳ありません!」
「次から気合を入れてやってくれればいいさ。で?魔獣の様子を聞きたいんだ」
「は、はい!魔獣は夜になると活動を活発化し、畑や食料倉庫を襲撃してきます」
「なるほど……じゃあトルバトル達の出番は夜だな」
門番は不思議そうに首を傾げ、俺達の方に目線を向けた。
「そ、その子供達に何をさせるのですか?」
「彼らは俺の部下だ。言葉での魔獣の説得を試みる」
俺はコクリと頷いた。
一方で門番は目を丸くしポカンと口を開け、槍を落としてしまった。
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