第26話 充足のうた

 俺とベルアさんは地下牢へと向かう。だんだんとランプの光が当たらないところが闇に飲まれていく。風もふかず、ひんやりとした空気がその場に止まっているだけだ。ゴツゴツとした岩肌がそのまま壁になっており、地面をくり抜いたような空間であった。


「……なんか寂しいところですね」


「うんうん、そりゃ牢だからね」


 俺たちの目の前には鉄格子で蓋をされた部屋がいくつも並んでいる。そして一番奥の牢屋に捕らえた怪盗五人が収監されていた。彼らは虚な目をしてこちらを見つめる。


「……なんだ?どこに連れて行かれるか決まったのか?」


 赤髪の怪盗が虚でありながらも鋭い眼光を向けてくる。俺はその視線に思わず気圧されそうになった。フードを被っていた時には全く見えなかった彼らの顔はほおがこけているだけでなく、少し汚れていた。少し注意してみると彼らから土の匂いが漂ってくる。それだけでなく、フードやマントを取り払った彼らの四肢には傷が目立つ。おそらくこの街に来るまでにとても苦しい思い、痛い思いをしてきたのだろう。


 「ご飯を持ってきた」


 俺はベルアさんの助けを借りて食事の乗ったカートを鉄格子の前に移動させた。それを見て怪盗たちに少しざわめきが起こった。


「……そんな大層な飯を持ってきて何が目的だ。当て付けか?」


「違うよ。お前らが食うんだよ」


 どうやら赤髪の怪盗は俺とベルアさんが彼らの目の前で当て付けのようにご飯を食べるものだと思ったようだ。正直傷つく。そんな性格の悪いことを俺がするわけがないのだ。俺は人を煽るのが得意なのと、一言多いとよく言われる以外はいい奴らしいのだ。俺が彼らの言う事を否定すると、彼らの目が丸くなった。


「それをボクらが食っていいっていうのか?」


「そうだよ。俺とベルアさんはもう昼食を取ったからな」


「……」


 赤髪の怪盗は口を結んでじっとカートに乗ったスープを見つめていた。しばらく怪盗はスープに熱い視線を送っていたが、急に目線を切った。


「……ボクらはここに盗みに入ったんだぞ?なぜ施しをする」


 俺は彼のいっていることの意味がわからなかった。


「施しじゃねぇよ。腹減ったんだろ?じゃあ食うんだよ」


 そう言って俺はスプーンを手に取った。野菜や肉が揺らめく熱々のスープにスプーンを浸してひとすくい。そしてスプーンにスープや具材を乗っけて怪盗の口に突っ込んだ。


「もごっ……熱っ……!な、何すんだお前!」


「腹減ったら食うんだよ!お前らが間違ってたのは、腹減ったから助けてって言葉で言わなかったことだ!今なら言えるだろ!」


 怪盗が腹をすかしたがために食料を奪いにくると知ってからずっと俺は悶々としていた。俺にとって小さい頃から言葉はそばにあった。優雅で力強い師匠による言葉の羅列だ。言葉には力がある。魔法使いでなくても、勇者でなくても言葉に力は込められる。だから言葉で人々はやりとりをするべきだと思っている。


 無論それは甘い考えだ。武力を持って動かなければいけないとかもある。そのためにゲイルさんやキールのような戦士がいる。しかし基本的に人は言葉を介してコミュニケーションするべきだ。それが竜巻の詩人の考えだ。


 赤髪の怪盗はスープを飲み込んだようだ。すると怪盗は先程までの威勢が嘘のように大人しく、しおらしくなってしまった。そして涙声で言葉を絞り出し始めた。


「……だって……だって……言葉より前に周りはボクたちから力づくで奪っていくじゃないか。俺たちが言葉で何か……助けを求めようとしても……そんな暇なかった」


 俺は怪盗の言葉をベルアさんとともに黙って聞いていた。

 怪盗の気持ちはよくわかる。食べ物がなくなると人々は荒む。俺が旅してきて見た中にもそんな村は少なくなかった。


 怪盗のいうことは正論なのだろう。一般常識なのだろう。言葉が通じない状況だってきっとあるのだ。しかし俺はそれを真っ向から否定する。この館は普通では無いのだから。


「ここでは言葉が通じる。ここはお前らが見てきた世界じゃない」


「ボクたちが見てきた言葉の通じない、荒んだ世界とどう違うってんだよ」


「……ここの剣士は化け物だ。一つの技で城を倒壊させる。ここの庭師は怖い。切ることが大好きだ。ここの料理人は情が深い。怪盗に普段と同じ食事を提供する。ここのリュート弾きは別格だ。眠気を誘うほどやさしく奏でる」


 俺は鉄格子に手をかけて半ば叫ぶように赤髪の怪盗に言葉を放った。


「お前らが見てきた状況や世界とココは訳が違うんだ。環境が変わったなら試してみろよ、言葉の力を」


 俺の言葉を赤髪の怪盗は肩を震わせて聞いていた。赤髪で隠れた目元から雫が落ちる。そして怪盗と俺は初めてしっかりと目を合わせた。睨みつけるわけでもなく、対等にしっかりと、だ。


「お前名前は?」


「竜巻の詩人トルバトルだ。こっちはリュート弾きのベルアさん」


「そうか……ボクはドルカだ……なぁトルバトル……」


 ドルカは虚な目の奥にたしかに光を持ってこちらを見つめていた。そして乾いた唇から言葉を絞り出す。


「腹が……減ったんだ。食べ物をくれないか?」


 それを聞いてホッとした。やっと言った。やっと言ってくれた。やはり言葉で伝えるべきなのだ。


「おう!いっぱい食え!」


「おやおや、君が作ったわけじゃ無いだろう?」


 揶揄うように言いながらベルアさんは大鍋からスープを皿にとりわけ始めていた。

 たしかに今のは料理長や料理人の方々のセリフだったのかもしれない。でも彼らにいっぱい食べて欲しいのは本当だ。


 俺もベルアさんが食事を取り分けるのを手伝った。肉や野菜がゴロゴロと入った濃厚なスープが密度の高い滝のように器に注がれる。それをドルカたちはよだれを垂らして見つめていた。


「ほい、どうぞ」


 俺とベルアさんでスープを配り終えると、彼らは貪るように食べ始めた。だれ一人喋らず、自分の器と向き合っていた。そしてしばらくすると、彼らの目から涙が溢れ始めた。俺とベルアさんはそれをただ見守る。彼らにしかわからない苦しみがあったろう。そこから脱することができた彼らの喜びもまた彼らにしかわからないのだ。


 しかしただ見守っているだけでは俺たちは終わらない。


 ドルカたちがお腹いっぱい食べたあと、俺はパチンと手を叩いた。目を丸くしてドルカはこちらに鉄格子ごしの視線をよこした。


「俺は竜巻の詩人トルバトルと申します」


「おやおや、早速始めるんだね。じゃあ……リュート弾きベルアと申します」


 彼らは心がすり減っている。そして心のすり減りは食事では完全には元通りにならないのだ。心の充足には楽しみや興奮が一番。師匠の言葉である。


 ドルカたちは子供のような興味の目線をこちらによこしていた。


「ここに歌わせていただきますのは剛腕を振るい、清涼な声を持つ風の詩人ミンネの詩……」


 ベルアさんのリュートが奏でられ始めた。そして俺はそれに合わせて言葉を紡ぐ。


「離れない   鉄の匂い

こびりつく   鉄の影

吐き気催す   風のなか 

女ひとり    ただ歌う

風に靡く    その髪は

どんな糸より  上質で

風に乗せられ  その声は

どんな歌より  和ませる

彼女その歌   響かせて

幾多の傷を   癒したもう

彼女その歌   響かせて

幾多の戦い   止めたもう

戦場の中    ただひとり

平和を願う   その女

女の器     海の如く 

強き腕は    皆守る」


 俺が初めて人前で歌った詩である。正直なんでこの詩を選んだのかわからない。おそらく言葉の力を俺に教えてくれた師匠の詩だから無意識のうちにセレクトしたのだろう。とはいえ土壇場で合わせてくるベルアさんの技量は凄まじい。というよりもはや怖かった。


 一方で怪盗たちは俺の詩に目を瞑って聞き入ってくれているようだ。彼らの心を器としたら、それが満タンになっていくのを俺は肌で感じた。


 

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