第10話 館のうた

 館にもらった自室はお高い宿屋のように綺麗だった。寝転がって二、三回転できるほどベッドは大きく、カーテンはやたら厚手だ。ドアには様々な飾りが拵えてあり、昨晩はソワソワと落ち着かなかった。しかし詩を作るのには適した空間だと言える。大きな窓の外には街で生活を営む人々がよく見える。これなら題材にも困らない。武勇詩やシルヴェンテスは出かけて材料を集めなければならないが、それを抜きにしてもここの執筆環境は素晴らしいものだ。


 早速俺は仕事をもらっていた。六日後の宴会でうたう詩を作ることだ。この宴会が俺の館での最初の仕事となる。これはミスできない。


 今回歌ってほしいとされる詩のオーダーがあった。オーダーされて歌うのは珍しいが、ネスト様の言いつけらしいので仕方がない。俺を拾ってくれた恩に報いるべく今できる最高の詩を歌うだけだ。オーダーは三つ。自然に関する詩、誰かの武勇詩、そしてネスト様自身の詩である。そう考えると俺は昨日ネスト様に会ったばかりだ。すごい人なのはなんとなくわかるが、詳らかにどんな人なのかはわからない。自然の詩を作ることはできたが、ネスト様の詩というのがどうにも作れない。


 筆が進められなってから半日、俺は机の前で唸っていた。全く思いつかない。なにせネスト様のことを何も知らないのだから仕方がない。このままできませんでした、では洒落にならない。


 俺は机から離れた。このまま机に向かって唸っていても埒があかない。ネスト様のことがわからないのならば聞きに行けばいいのだ。無論、ネスト様自身にインタビューなんてことはしない。家臣の方々にインタビューしてネスト様がどんな人か調べるのだ。


 善は急げということで俺は部屋を出た。幸い館の中ならネスト様の自室は以外は行動自由だ。

 駆け抜けられそうなほど広い廊下に出ると、俺は人を探して歩き始めた。俺は来たばかりなので、迷わないように十歩に一回ぐらい自分の位置を確認しながら進む。すると目の前に大きな階段が現れた。馬車が二、三台横ならびになっても通れそうなぐらい大きな階段を降りていくと、大きな窓が右側に見えた。


「へぇ……ここから外が見えるんだ」


 窓の外を眺めながら階段を降りていくと外から勇ましい声が聞こえてきた。よく目を凝らすとゲイルさんが大木をプレート状に切り出したような剣を振り回していた。


 なんであの人はあんな石レンガみたいな分厚い剣を片手で振り回しているのだろうか。あの大きさでは重さもかなりのものである筈だ。


 呆れつつも俺は玄関から館の裏庭に出て、ゲイルさんの元へと向かった。ネスト様のことを聞くならまずはゲイルさんからにしようと思ったのだ。彼なら比較的話しやすい。なにせこの館は初対面の人ばかりだ。


 ゲイルさんは館の裏庭で鍛錬をしているようだった。息一つ切らさずに分厚い剣を振り回している。その勢いときたら凄まじく、空を切る音で俺の話しかけた声が聞こえていないほどだった。


「ゲイルさん!」


 四回目でようやく彼はぴたりと剣を止めた。そしてこちらに向き直った。


「トルバトルか。裏庭は鍛錬場になっている。あまり近づくと危ないぞ」


「すみません、でも聞きたいことがあって」


 ゲイルさんは目を丸くした。そして剣を置いた。剣を置くだけで地響きがしそうなほど剣はでかい。


「聞きたいこととはなんだ?」


「実は今度の宴会でネスト様の詩を歌うことになっているんですが……俺まだネスト様のことあまり知らなくて」


「ふむ……それは無理もない。まだ来たばかりなのだからな。まずトルバトルはネスト様のことをどう思う」


「誠実な方だと思います。あと実績をちゃんとみてくれます。俺はそうやって拾われましたから」


「俺も同感だ。あの方は事実とデータを見る冷静なお方だ。しかしそれだけではなく、情にも熱い」


 俺はメモを取り出してゲイルさんの言葉を一言一句漏らさぬように準備をした。


「俺は十五年前まで……まぁ……荒れていてな。その頃は人にキツく当たっていた。しかしそんな俺をネスト様は何回も、そしていつでも気にしてくれたのだ」


「ゲイルさんが荒れてた?想像つかないですが……ネスト様は懐が広いのですね」


「そうだな。懐が海のように広い。それがあのお方のいいところの一つだろう」


 器の大きさというのは詩にも使いやすい題材だ。俺は思わぬ詩作の材料の入手に歓喜した。そして情報の提供者に俺は頭を下げた。


「ありがとうございます。ゲイルさん」


「うむ。お前の詩にも期待している」


 ゲイルさんはそういうと裏庭で再び剣を振り始めた。


 さて、彼のおかげで詩作がずいぶん楽になった。俺が今ネスト様について知っていることは、実績を見てくれること、人間コレクターであること、そして懐が広いことだ。いいことづくめじゃないか、ネスト様。俺が詩人として仕える人がネスト様でよかったと心から再認識した。


 しかしまだ詩作の材料に足りはしない。もっといろんな人から情報を集めるべきだ。ゲイルさんが剣を振る音から離れ、裏庭から引き返した。


 すると正門近くの庭に動物の形をした植え込みが現れた。まるで緑色の動物がそこらじゅうに生きているかのようだった。正門の近くに広がる花畑には最初気づいていたが、この美しい植え込みたちには気づかなかった。これほどまでに美しいものを見逃していたとなれば師匠がいたら怒られるに違いない。


そんなことを考えながら植え込みを見ていると、後ろから足音が聞こえた。後ろを振り向く。そこには片目を長い黒髪で隠した少女が立っている。彼女は身の丈ほどの大きなハサミを持ってこちらに怪しいものを見る視線をよこしてきた。


「誰……不審者……ネスト様に……通報……する」


「ちょ、ちょっと待ってください!ほ、ほらバッジあるでしょ!新しくネスト様に仕えることになった詩人のトルバトルと申します!」


 銀のバッジを見せながら、確実に年下であろう少女に敬語で自己紹介をする。ネスト様に仕えるものなら誰でも付けているという銀のバッジをだ。彼女は目を細めて俺の胸のバッジに顔を近づけた。彼女の胸元にも同じものがつけられている。彼女もおそらくここで働く使用人か何かであろう。


 少女が俺のバッジを確認し終えると次は俺の目をじっと見つめてきた。


「トルバトル……よろしく……私はカナメ……あと敬語じゃなくていい」


「よ、よろしく、カナメ」


 カナメは一通り自己紹介し終えると、植え込みの前まで移動した。そして大きなハサミで器用にチョキチョキと植え込みを綺麗に刈り込んでいった。


「この植え込み……全部カナメがやってるの?」


「うん……私庭師だから……ネスト様に任された」


 カナメは身の丈ほどのハサミで数ミリ単位の刈り込みを行なっているように見えた。その技術は驚嘆に値する。針の穴に糸を通すような精密さだ。俺は正直彼女の技量に見惚れていた。


「トルバトル……なんでここにいるの……詩を作らないの?」


 彼女の意見はもっともだ。俺は詩人として雇われたのだから詩を作っていない今の俺は邪魔でしかないだろう。しかし俺は詩の材料集めの途中なのだ。ここは少しカナメにも協力してもらう。


「あ、あのさカナメ。宴会でネスト様の詩を歌うことになっているんだ」


「そう……楽しみ……それで?」


「でも俺は来たばっかりだから……ネスト様のことをあまり知らない。だからこうして館での働く人にネスト様の話を聞いて回っているんだ」


 カナメはハサミを使う手を止めると、顎に手を当てて考え始めた。


「ネスト様のことを……知りたいってこと?」


「うん、カナメから見たネスト様はどんな感じなの?」


「ネスト様は……魔法が……すごい」


「魔法?」


「特にバリア……硬すぎて……切れない……いつか切れるように……なりたい」


 カナメはハサミを見つめてニヤリと笑った。その顔からはある種の狂気が見て取れる。

 これは2番目にしてとんでもない人物に話を聞いてしまったかもしれないぞ。

 

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