第16話 人形に宿った、誰かの記憶

 すぐに助けに——ダメだ、間に合わない!

 助けに行かなくちゃいけないのに、動くのが遅すぎた。


 人形の放った光は、容赦なく教頭先生を襲う——


「危ない!」


 いや、違う!

 光が襲う刹那、御堂君が教頭先生を突き飛ばした。


 教頭先生は短い悲鳴をあげて床に倒れたけど、おかげで黒い光からは逃れることができた。

 だけど、それと引き換えに。


「うわっ!?」

「御堂君!」


 人形が放った光は、あたしが見ている目の前で、御堂くんの体を貫いた。

 そんな、嘘でしょ!


 その光景を前に、あたしは愕然としながら立ち尽くす。

 目に映る全てがスローモーションのようにゆっくりに見えて、同時に後悔の念が押し寄せてくる


 どうしてすぐに動けなかった?

 どうして教頭先生や、御堂君を止められなかった?

 どうして最初の攻撃で、人形をやっつけられなかった?


 こうなることを防ぐ手立てなんていくらでもあったはずなのに、招いてしまった残酷な結果。

 人形が放った呪いがどれほど強力なものかはわからないけど、霊力の無い御堂君があんなにまともに浴びて、無事でいられるはずがない。


 案の定御堂君は、力が抜けたみたいに足をふらつかせ、ゆっくりと床に向かって崩れ落ちて行く……。


 ——ダンッ!


 いや、踏み止まった!

 倒れそうになっていた御堂君。だけど足を前に踏み出して、踏ん張りをきかせている。

 けどどうして? さっきの光には呪いの力が込められていたはず。あたしならともかく、御堂君は霊力を持たないはずなのに、どうして効いてないの?


「み、御堂君、平気……」

「うおぉぉぉぉっ!」


 あたしの声なんて聞こえていないのか、彼は声をあげると近くに落ちていた鞄を取り、人形に向かってフルスイング。

 直撃を食らった人形は、勢いよく地面に叩きつけられた。


 マジ? 人形をやっつけちゃったの!?


 通常、生きた人間は幽霊に触ることはできないから、叩こうとしても無駄。

 だけどあれは人形に魂を宿したもの。実体があるから、物理攻撃だって可能なのだ。

 けどそれにしたって、普通の人があんなのを目の当たりにしたら、戦うかどうか以前に足がすくんじゃうけど。彼はよく動けたもんだよ。それに。


「御堂君。君、大丈夫なの。さっきあいつの攻撃食らってたでしょう!?」

「は、はい。少しクラクラしましたけど。なぜか平気なんです」


 足元をふらつかせながら、よくわからないといった様子で答える。

 つーかそんなふらふらなら、無事だったとしても人形にケンカなんか売らないで。大人しくしてなさいって。


 まあ平気ならいいけど、それよりも警戒すべきは人形だ。

 御堂君の一撃を食らったけど、まだ決定打になったとは思えない。


 すると案の定、倒れていた人形はムクリと起き上がり、さっきと同じようにフワフワと浮き始める。

 ええい、しつこいやつめ!


「御堂君下がって! 先生も、生徒達のことをお願い!」


 呆然と立ち尽くしていた校長先生と、床に倒れていた教頭先生にも指示を出す。


 さっきは御堂君を危険な目に遭わせちゃったけど、もう二度とあんなヘマはしない。


 人形はまた、さっきのビームみたいなのを撃とうとしているのか、あたし達に向き直る。だけど、そうはさせないよ!

 動き出した人形めがけて、床を蹴った。


「除霊キィィィィィック!」


 ——ギヤァァァァッ⁉


 必殺の飛び蹴りが、人形の顔面にクリーンヒット。

 叫び声を上げながら人形は後ろに大きく吹っ飛び、壁に叩きつけられる。


 除霊キックなんて必殺技っぽく言ってるけど、実はただの飛び蹴り。

 だけど実体があるコイツには下手に術を使うよりも、物理攻撃でボコボコにしてやった方が手っ取り早いわ。さっきの御堂君を見て、それがよくわかった。


 蹴飛ばされた人形は首がありえない方向に曲がって、メチャクチャ不気味な姿になっちゃったけど、おかげで相当弱ったみたい。

 さっきから感じていた圧は、もうほとんど消えている。

 よーし、一気に決めさせれもらうよ。


「心に風、空に唄、響きたまえ——浄!」


 ——ヴアァァァァッ!


 手のひらから放たれた浄化の光が、人形を包み込む。

 人形に宿っていた魂は徐々に消えていき、これで終わり……のはずだったけど。


 浄化の光を灯す中、不意に頭の中に声が響いた。


 ——××って、本当にグズね。


 痛っ! 何だこれは?

 不意に聞こえてきたのは、とても冷たくて鋭い声。ガツンと頭を殴られたような気がして、途端に目の前が真っ暗になった。


 何だ? 何が起きた?

 人形が攻撃してきたのか? いや違うこれは……。


 浄化の術を使うと希に、対象となるモノの念や思いが、テレパシーのように頭の中に流れてくることがあるのだ。

 たぶん今起きているのはそれ。とするとさっきの声は、あの人形の記憶。もしくは人形に術を施した、術者の記憶だろう。


 すると今度は、頭の中に映像が浮かんでくる。

 場所は、どこかのトイレかな。茅野中学の制服を着た髪の長い女子生徒が一人、床にうずくまっていて、その周りを同じく制服を着た女子が、数人で囲っている。


 不思議なことに、彼女達の顔はまるで黒いクレヨンで塗りつぶしたみたいになっていて、誰が誰なのかは全くわからない。


 うずくまっている女子生徒は、気分でも悪いのか顔を伏せたままあげようとしない。

 周りを囲んでいる子達は、そんな女子生徒のことを心配しているのか? 

 いや、違う。そうじゃない。


 周りにいた子達は中央にいる女子生徒の事を、口汚く罵っていた。



 ——コイツ本当に使えないわねえ。お金持ってこいって言ったのに、千円も用意できないなんてさ。

 ——何にもできないのね。あんた、生きてる価値あるの?

 ——これはお仕置きが必要ね。


 一人がそう言うと、仲間のもう一人が水の入ったバケツを持ってきて。あろうことかうずくまっている女子生徒めがけてひっくり返した。


 当然、水をかけられた女子生徒はずぶ濡れ。

 顔にペタンと張り付いた前髪からポタポタと水滴が落ち、制服は透けて肌の色が伺える。

 水をかけられた女子生徒は自分の体を両手で抱き締めながら、声を殺して震えた。


 ——あははっ。ひょっとしてあんた泣いてんの? でもあんたが悪いんだよ。あたし達との約束を破ったんだから。

 ——明日はちゃんとお金持ってきてよね。でないと、こんなもんじゃすまないよ。


 ずぶ濡れの女子生徒に、容赦なくぶつけられる言葉の数々。

 こんなの、見ているこっちが辛くなる。

 止めろお前達、止めないか! 


 だけど叫んでも、声は届かない。

 当たり前だ。これはあたしの中に流れ込んできた、誰かの記憶。もう既に起こってしまったことなんだ。

 いくら腹を立てたところでどうすることもできずに、ただその光景を見ることしかできない。


 そうしていると囲っていた女子の一人が、濡れた女子生徒の髪を乱暴に掴んで、顔を上げさせた。


 ——そうだ、何ならお友達の幽霊にでも持ってきてもらったら? あんた見えるんでしょ、幽霊が。あははははははっ!


 瞬間、髪を掴んで笑っている女の子の顔が、塗りつぶされていたはずの顔が、何故かハッキリ見ることができた。

 笑っているのは、人形に襲われて倒れていた女の子。たしか、玲美ちゃんって言ったかな。

 間違いない、その子だ。


 彼女は笑っている。人を傷つけ、苦しめながら、楽しそうに笑っている。

 玲美ちゃんだけじゃない。周りにいる他の女子達も誰一人止めようとはせずに、ケラケラと笑っている。

 それはとても醜悪で最低な、悪魔のような笑いだった……。




「……村さん……火村さん!」


 不意に聞こえてきた御堂君の声で、ハッと我にかえる。

 ちいっ、あたしとしたことが、すっかり誰かの記憶に取り込まれちゃってたよ。


 気がつけばもう浄化は終わっていて、さっきまで動いていた人形は、静かに横たわっていた。


 いったいどれくらいボーッとしていたんだろうね。

 御堂君は心配そうに、あたしの顔を覗きこむ。


「顔色が悪いですけど、平気ですか? それにこの人形、今は動いていませんけど、また襲ってきたりしませんか?」

「あ、ああ、それなら大丈夫。もうちゃんと除霊したから」

「ならいいですけど。それで、火村さんは平気ですか? どこか痛かったり、怪我したりしてませんか?」

「あたしならこの通り、ピンピンしてるから大丈夫。それよりも……」


 人形にやられた女子生徒、玲美ちゃんへと目を向ける。

 意識を失っている彼女は、校長先生に背負われていた。


「何だかよくわかりませんけど、その人形はもう大丈夫なんですよね。私はこの子を、保健室に運びたいのですが、よろしいですか?」

「あ、ああ。すぐに休ませてあげて」


 人形を除霊したのだから、もう彼女の呪いも解けただろう。まだ眠っているみたいだけど、しばらくすれば目を覚ますはず。ただ。


 さっきの記憶……あの玲美って子が、誰かをいじめていたってこと?


 今見た光景が、フラッシュバックしてくる。誰かに水をかけ、口汚く罵り、悪魔のように笑っていた彼女——玲美ちゃんの姿が。

 ん、そういえば。


 思い出したのは、ここに来るきっかけとなった、怪談語りの動画。

 動画の中で仮死魔霊子は、茅野町の中学校には悪魔がいるっていっていたっけ。

 もしかして、その悪魔って言うのは……。


「玲美、玲美大丈夫!?」

「待ってなさい。すぐに保健室に運ぶから」


 女子達や校長先生に声をかけられながら、保健室へと運ばれて行く玲美ちゃん。

 だけどあたしは手を貸す気にはなれずに、その光景を冷ややかな目で見つめるのだった。




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