第1節(その2)

「存じ上げてます。叔母さんの件ですよね?」

 おそらくその一言を耳にしたユディスの表情は、露骨に疑わしいものを見るような顔つきになっていたに違いない。

 口をあからさまにへの字に曲げる彼女を前に、少尉はしどろもどろになりながら先を続けた。

「ええと……このたびは、なんとお悔やみを申し上げればよいのやら」

 いかにも手馴れないたどたどしい口上を、ユディスが適当な所で遮った。

「お悔やみはこの際どうでもいいけど……そもそも、どうして少尉が私の叔母のことを知っているの?」

「それは、そのう……」

 マティソン少尉はもごもごと口ごもりながら説明した。いかにもな話し下手のたどたどしい話ぶりにユディスは苛立ちを隠しきれなかったが、出て行けと叫ぶのをどうにか我慢して事の次第を聞き出した。

 曰く、叔母の死去に際してアーヴァリーの役場に届けがあり、それが爵位のある人物にまつわるものであったので、王都に取り急ぎ一報が寄せられたのだという事。その子爵家の令嬢が王都に居を構えているというので、憲兵隊の元にも報告があったのだという事。諸々の部署を渡り歩いてきた案件とはいえ、直接郵便が届くのとほぼ同時となれば、それなりに耳が早いと言えただろうか。

「いきさつはそれとして、どうして憲兵隊がそんな事を気にかける必要があるの?」

「僕も疑問に思ったので、上官に質問してみました」

 曰く――彼も今日は非番だったにも関わらず、今朝方上官に呼び出されその件を告げられたのだという。わざわざ呼びされた理由を当然疑問に思った彼に上官が語って聞かせたのは、このたび死去したアドニス・アンバーソンなる子爵家のご婦人が、単に爵位があるという以上にどのような人物であるか、というあらましであった。

「魔導士アドニス・アンバーソン。黒き竜を退治した英傑の一人」

「……」

「全然知らなかった。君の叔母さんは、すごい人だったんだね」

 そのように感心したように言われたところで、ユディスとしては誇らしいどころか内心うんざりした気持ちにならざるを得ないのだった。もしかしたら露骨に聞こえるように舌打ちをしてしまっていたかも知れない。

「その私の叔母のことで、私に何か聞きたい事がある、という事なのね?」

 憲兵である彼がごく個人的にお悔やみを言いに来ただけならまだしも、上司の指示でやってきたというのであれば事は世間話では済みそうにはなく、むげに追い返すわけにも行かなさそうだった。話がこじれた場合はその上司とやらが令状を持って踏み込んで来るのかも知れず、そうなるとことさらに迷惑だった。

 ユディスはため息混じりに、少尉を自室に通すしかなかった。

 片付けの行き届いた部屋とは言いがたいが、今なら荷造りの真っ最中だという言い訳が使えたかも知れない。ソファの上に開け放たれた旅行鞄に、これから詰め込まれる予定の着替えのたぐいが、綺麗に畳まれるのを待ったまま乱雑に投げ出されていた。

 マティソン少尉がぎょっとしたのは、そうやって物があれこれ積み上げられた中に、ひと振りの剣が、あまりに無造作に投げ出されていた点だった。

 もちろん、ユディスが騎士であったり軍人であったりするわけでもない。一人暮らしであっても子爵家に連なる家柄のご令嬢であれば、所有財産として剣の一振りぐらいは持っていてもおかしくはなかったが、それが居室に何気なしに放り出されて置かれているとなればさすがに自然な光景とは言い難かった。

 ユディスは少尉が何に目を止めたのかに気づいたが、往来の真ん中で所持物を咎められたわけでもなし、敢えて弁解しなくてはとも思わなかった。マティソン少尉も、女性の一人暮らしの部屋を……ましてやこれから荷造りされる旅行の持ち物の委細をじろじろ見るのも礼を欠く行為だと考えたのか、敢えて追及はせずに、一つわざとらしく咳払いをして話の先を続けた。

「話を聞けばなるほど確かに、黒竜退治の英雄の一人が亡くなったとなれば、王国にとっても大きな出来事であるには違いないかと。……むしろ、使いが僕でいいのかとすら思うくらいにね」

 全然知らなかった、すごい話だ……とマティソンはもう一度素朴に感激してみせるのだった。

 むろん、それはもう二十年以上も前の話だったから、そんな事件があった事を仮に聞き知っていても、誰と誰が連座していたかなど、委細を知らずとも不思議ではなかった。現にマティソン少尉も上司から知らされるまで、そもそも黒竜退治があったことを知っていたかも怪しかった。

 だがそんな彼でも、黒き竜の名そのものを聞いたこともない、ということはさすがになかったかも知れない。黒竜バルバザードの名は、王国に災厄をもたらすものとして、ずっと昔から語り継がれてきた忌まわしき名前であったのだから。

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