#03 永遠と刹那と零 ―#612◯―

「お邪魔しまーす!」

「ただいまー」


 そう言って我が家に入ると、一気に香辛料の入り乱れた香りが私たちを容赦なく襲う。今日のカレーも間違いなく美味しい確定だ。

 ツナは靴も揃えずに、私の家にも関わらずタタタっと先に入ってリビングに直行してしまう。勝手知ったる他人の家とはまさにこのことか。

 とはいえこれはいつものことなので、特にツッコむこともせず、惨めに転がったツナの靴を揃えてから後に続く。こういうところきちんとすればツナはもっとモテると思うんだけどなぁ。彼氏持ちの余裕、ってやつなのかな?


「レイちゃーん、今日もゴチになりまーす」

「おーツナちゃん! 今日も相変わらず可愛いねー!」

「レイちゃんも相変わらずカッコイー!」

「「いえーい!」」


 毎度思うけど、なんでこんなに仲いいのこの二人。


 私でもママとハイタッチとかしないし。まぁ小さい頃からうちに来てるからこうなるのもわからないでもないけどね。ママこと神代零かみしろれいもツナのことは娘同然と言って憚らないし、ツナもこういう性格だから、いい意味で遠慮しない。だから彼女はママのことを『レイちゃん』と呼ぶし、ママもそれが嬉しいみたい。それが証拠にうちにはツナの着替えや歯ブラシが常備されてるし、私すら持ってない『ツナ自分専用エプロン』まである始末。


「じゃーレイちゃん、お手伝いするからエプロン取ってくる!」

「はいよー、いつものところツナちゃんタンスに入ってるからねー。あ、そういえばうちのパパがまた新しいTシャツ送ってくれたから。それもタンスに入れといた!」

「え? マジ!?」

「マジマジ」


 ウキウキしながら自分のタンスがある部屋へ向かうツナを横目に考える。

 他人の家にまで自分のタンスがあるって考えられる? うちはママと私の二人暮らしにしては広いから、タンスくらい余分に置けるからいいんだけどさ、週末はほぼ泊まってるから効率的と言えばそうなんだけど、ツナの着替えた洗濯物とか私が洗って畳んでるんだよ? ぶーぶー。


 なんてことをテーブルで頬杖ついて考えてると、カレーを煮込むママがこちらを見ずに背中で話しかけてくる。


「そういえば永遠とわ、パパから荷物届いたよ。倉庫に運んでおいたから開けてみたら?」

「ほんと!? ちょっと見てくる」


 パタパタとスリッパを軽快に打ち鳴らしながら、『倉庫』と呼んでる私の部屋の隣にある、一般住宅には不釣り合いな重たいドアを開けた。


 十畳ほどの洋室の灯りを点けると、床に無造作に置かれた大きな段ボール。厳重に貼られたガムテープを剥がして中を見ると、黒くところどころにキズのある古びたケース。逸る気持ちを抑えつつケースを開けると、オレンジがかった煤けたギターが姿を顕にする。


(おー……中が空洞のフルアコースティックギターは初めてだなぁ)


 慎重にネックを掴んでそれを持って椅子に座り、そのギターのネックやボディーの塗装、ペグやピックアップなんかを一通り眺める。ネックには名刺くらいの紙が弦の間を縫うように挟まっていて、


『Dear IVY #621◯ JOE』


 と書かれている。これはパパがいつもすることで、ツアーの先々で気に入ったギターを見つけると、私のために買って送ってくれる。段ボールに貼られた送り状を見るとクセのある字で『LA』と書かれていて、おそらくロサンジェルスの楽器屋で見つけたんだろう。


 スマホで『#621◯ ギター』と検索すると、大量の画像が出てきた。なるほど、結構有名なギターなんだな。中が空洞のギターって初めて持つけど、随分とぶ厚いボディだね。そしてスマホをさらに見て、どうやらこのギターの前に送られてきたアンプで鳴らすのがいいみたい。というかこのギターのために先に送ってきたとしか思えない。とりあえずアンプは後回しにして、手早くチューニングを合わせて生音で爪弾いてみた。

 中が空洞のギター、初めて弾くけど普通ソリッドボディのギターとは明らかに『鳴り』が違うね。ただ私にはちょっと弦の太さゲージが太いかも。そのまま何も考えずに弾いていると、ドア上にあるランプがチカチカと点灯した。この部屋は楽器を鳴らすために防音になっていて、ドアをノックしても何も聞こえないから、その代わりに音楽スタジオにあるようなランプが付いている。


「永遠ー、カレーできたよ!」

「うん、わかった、今行く」


 呼びに来たツナはリビングに戻らず、倉庫に入ってくる。というかツナ、相変わらずエプロン姿も似合って可愛い。若奥様オーラ出てますよ。


「おー……今度はこのギターなんだ。なんかでかくない?」

「うん、そうだね、ちょっとでかいけど、弾けるよちゃんと」

「ところでこれで何個目?」

「何本目、ね。えっと……」


 指折り数えて七本目、と答えると、半ば呆れたようにツナは「凄いジョーに愛されてるよね永遠って」と返してくる。


 ジョーは私のパパ以前に、イギリス人のプロミュージシャンでもある。なかなか話すには時間がかかるから要約すると、パパとママは結婚はしていないけど、認知? っていうのはされていて、ちゃんと生活費なんかは渡されている。というか世界的に結構著名なバンドのギタリストなので、その生活費はかなりの額が振り込まれてるみたいだけど、私は気にしたことはない。ツアーで日本に来る際は必ず会う――パパの立場上、密会になるんだけど――し、時々ビデオトークで話もして、近況報告なんかもしたりする。ただ、ツアー先世界のどこかからの通話がほとんどだから、時差的に厳しい国に居る時はパパも気を遣って、基本連絡は取らないようにしてくれている。メッセは飛んでくるけどね。


 ところでツナは、ママを『レイちゃん』と呼ぶように、パパのことも『ジョー』と呼ぶ。まぁツナは外国人だろうが躊躇しないし、パパも『親日家』なんて言われてるくらいで、しかもかなり流暢に日本語も話せる(いつか日本に住むという夢のために猛勉強してたらしい)からコミュニケーションもバッチリで、結果パパとツナは殆ど会ったことがないにも関わらず、めっちゃ仲がいい。そんな人懐っこいツナのことをパパはママ同様に娘扱いしてる。洋服とか送ってくる時には必ずツナのぶんも送ってくるしね。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 私はまた、七本目のこのギターを手癖任せに爪弾く。ツナは予備の折りたたみ椅子に座って、目を瞑って頭を左右に揺らしながら私のギターを聴いてくれている。これもいつものこと。


「相変わらず『アイヴィー』のギターはいいね。私だいすき」

「ありがと、ツナ」


 ここには今私たちしかいないから、『アイヴィー』って呼ばれても否定しない。少しだけ、穏やかな時間を#612◯が紡ぎ出す。うん、このギターも気に入ったよパパ。

 

 こら! という声に弾かれると、ドアの前でママがお玉を持って仁王立ちしてる。


「ってかミイラ捕りがミイラになってどうすんのツナちゃん?」

「げっ! そうだった。永遠、カレーカレー!」

「うん、ギター仕舞うから先行ってて」


 そう言ってツナを送り出してから、ギターをケースに仕舞おうとすると、これもいつもの通りなんだけど、ギターケースにはブリティッシュグリーンの掌大のステッカーが入っていた。それはパパが私のためにオーダーで作ったもので、植物で、私のミドルネームでもある『アイヴィー』を象ったステッカー。これをピックガードに貼って、初めて私のギターになる。これはあとで貼ることにして、私は重たいドアを閉めてリビングに向かった。うん、いい感じでお腹が空いてきた。

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