変化する
最近、あうあが妙に冷たい気がする。
(何か嫌なことしたかな……。)
この前、日がすっかり暮れてからのっそりとベランダに出ていくあうあを不審に思ってついて行ってみた。彼女は一人、ベランダの端の手すりにもたれかかっていた。陰になってあうあの表情は見えなかったが、月をじっと見つめていることは分かった。寄り添って紬も同じように下弦の秋月を見上げる。
「綺麗だねぇ」
こんな陳腐なワードしか出てこないことに、紬は苦笑する。一方のあうあは黙ったままだ。
秋の爽やかな風が吹きぬけた。長袖Tシャツ1枚しか着ていない紬は寒さに震え、くしゃみを堪えきれなかった。このままだとまた体調を崩しかねない。見れば、あうあも同じように薄着だ。
「こんなところにずっといたら風邪引いちゃうよ、あうあ。部屋の中に戻ろう」
「いやだ。まだここにいる」
あうあは紬に顔を見せないまま、ピクリとも動かなかった。
「でも……」
「ここにいるったらいるの」
「そう……早めに中に戻るんだよ」
あうあはこの時、何の返答も返してはくれなかった。
(これが原因……?いや、特に気に障るようにことは言ってないはずなんだけど……)
あれから、紬があうあに話しかけても生返事しか返してくれなくなった。ふらっと何処かに出掛けて家にいないこともしばしばある。何かあったのだろうか。
ベッドでゴロゴロしながら考え込む。この頃は何となく全身が重い。
すぐそばにはあうあが静かな寝息を立てていた。若干透けて見える肌に、紬とよくにた目元と鼻、口。もし自分に妹が出来たらこんな感じなんだろうな、とつい思ってしまう。最近避けられてはいるが。
「……って7時半じゃん」
(これじゃあ間に合わないっ!)
慌てて用意を始める紬。
「いってきまーす」
まだ起きていないのか、それとも起きていて聞こえた上で無視しているのか、あうあからの返事は返ってこなかった。紬は少し目尻を下げた後、学校に向けて爆走した。
教室に駆け込む。肩で息をする。周りを見回す。クラスメイトの中にはまだ座っていない子もいた。
間にあった。
以前の紬なら俯きながら、黙って自分の席に向かっていたことだろう。でも今は違う。
「おはよー」と、穂香がこちらに顔を向けてくる。胸の奥がじんわりしてくる。自分から意識しなくとも、自然と口角が上がった。
「おはよう」
噛みしめるように、言う。
チャイムが鳴った。
チャイムが鳴り終わった。今日はバンドの練習があるはずだ。軽音楽部に復帰した訳では無いが、穂香から1曲聴いて行ってくれないかと誘われていた。
帰りの支度を済ませて、穂香の席へ向かう。彼女は自席で周りの子と喋っていた。
「穂香、行こう」
呼びかけるが、彼女はまだお喋りに夢中だった。
「穂香」
聞こえてないのか、中々振り返ってくれない。なんで?心の錘が意識され始めてしまう。故意なのか、と疑ってしまう。
「穂香!」
(いつになったら気が付いてくれるの?)
「穂香……」
4度目でようやく振り返ってくれた。穂香は、ああ紬居たの、という顔をした。
「行こっか」
「うん」
正直、笑顔を上手く取り繕えていたかは分からない。
(3回も声を掛けたのに気づいてもらえないなんて……私ってそんな影薄いの?それとも無視されてる?)
ネガティブな考えに蓋をして抑え込もうとする。しかし不安の靄は滲み出てきて留まるところを知らなかった。……朝の全身のだるさがぶり返す。
バンドの練習に顔を出すのは止めた。行けるような体調ではなくなったからだ。
穂香が紬を家まで送ってくれた。穂香は体調を終始気遣ってくれたが、それどころではなかった。生返事ばっかりしていたと思う。
「紬!」
自宅の最寄り駅に着き、もう一人で帰れるからと断った紬を穂香が呼び止めた。
「今日、何かあった?」そう言って紬の目を一心に見つめてくる。
狼狽える紬。穂香を疑ったことに少し罪悪感を覚えた。もしそうならば、彼女がこんな真剣な目をする筈が無いのに。
「だって……」自分でも気が付かぬうちに声が震えていた。「私今日穂香のことを何回も呼んだんだよ……?でも全然気づいてもらえなくて……」
本人に直接言うのはどうなのかもしれない。それでも紬は一人で抱え込んでいるものを作りたくはなかった。ちょっと大げさかもしれないが、この前の様にはなりたくなかった。
「うわ、ごめん。自分最低だね。ほんとごめんよ……」
心の錘は、消えた。同時に、罪悪感が上ってきた。
「こっちこそごめん!無視してるのかな、とか疑っちゃった、ごめん」
穂香はぽかんと口を開けっぱにした後、すぐに笑った。
「そんなこと、する訳ないじゃん。安心して」
「うん」
「じゃ、体調気をつけてね。明日、学校で待ってるから。無理にとは言わないけど」
「うん。じゃ」
〈学校で待ってるから〉
家に帰る途中も、軽い眩暈と穂香の言葉がじんわりと残り続けていた。
学校で、待ってくれている人がいる。これだけで、どんなに安らぐことか。そして、家で待ってくれる人ーあうあは居るだろうか。今の紬へと変えてくれたのは彼女なのに。
「ただいまー」
「おかえり」
玄関であうあがちょこんと座っていた。
「つむぎ、はな………」
「あうあ!」
喜びのあまり飛びつく紬。そのままあうあのもうほとんど透明ではなくなった白い頬をふにふにする。急に激しく動いたからだろうか。突然、視界がぐにゃりと歪んだ。眩暈が、酷い。
「ごめん、あうあ、ちょっと……」
覚束ない足を懸命に動かして、自室に向かう。そんな様子の紬をあうあはじっと見守ることしかできない。なんとかベッドに横たわると、強い睡魔に襲われた。
寝ている紬を、紬とよく似た顔立ちのあうあが傍らに立って見下ろした。
「……つむぎなら、どっちを選ぶの?」
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