162 疑ってるよ

 やよいの事件以降、京子とこれだけ距離が離れるのは初めてだった。

 佳祐けいすけがシロなら何も問題はないと思うのに、大袈裟なくらいに不安が込み上げてくる。


 ざわついた気持ちに胸を押さえて、綾斗あやとは「はい」とキャッチの相手に返事した。


『綾斗、今いい?』


 久志ひさしだ。

 綾斗は本棚の上に鎮座するだるまに視線を投げる。北陸を離れて本部異動になった時、久志に餞別としてもらったものだ。


「構いませんよ、どうしたんですか?」

『綾斗の声が聞きたくなってさ。京子ちゃんとは仲良くやってる?』


 まさに今この電話で彼女との通話を寸断されてしまった所だが、明るい声のトーンにホッとした。葬式以来ずっと塞ぎがちだった久志は、何度か電話した時も『心ここにあらず』状態だったからだ。


「お陰様で、仲は良いですよ。けど、今彼女九州に行ってるんです。聞いていませんか?」

『えっ。京子ちゃん、福岡に居るの?』

 

 けれど戻ったかに見えたテンションが落ち込むのもあっという間だった。

 久志の声に焦燥しょうそうが混じって、綾斗は重なる不安を押し退けるように「久志さん?」と眉をひそめる。

 京子が九州に居て何か都合が悪いのだろうか。


「修司を九州で訓練させるって話を貰って、二人で視察に行っている所です」

『あぁ──言ってたね。聞く耳持たなかったけど、それ今日なの?』


 今回の件は、北陸の訓練室長であるマサが了承しているという話だ。マサも今は施設員という立場だけれど、元は久志や佳祐と同じキーダーだった。


「今日行って、明後日までの予定です。向こうで何かあるんですか?」

『いや、大丈夫だと思う』

「思う、って」


 ハッキリとしない言い回しに苛立つ。

 こんな久志は初めてだ。今まで彼なりの正論で散々振り回してきたのに、失速したまま地に足が付いていないようなことを言う。


 やよいを殺した犯人が佳祐かもしれないと疑っているのは、通夜の時に久志がそれを本人に問い詰めているシーンを目の当たりにしてしまったからだ。

 佳祐本人は違うと言ったが、その時の衝撃が強すぎていまだに『かもしれない』という疑念が晴れない。


「久志さんは、今も佳祐さんを疑っているんですか?」


 だから直球を投げた。そうしないと絶対に答えてはくれないと思った。

 久志は『そう見える?』と少し考えるように呟いて、


『疑ってるよ』


 淡々とその答えをくれる。


『だから僕がずっと溜め込んできた言葉を吐き出すタイミングだと思ってる。僕は自分が納得できる答えを貰いに、アイツの所へ行ってくるよ』

「ずっと……って?」

『僕に何かあったら、後は頼むね』

「別れの言葉みたいに言うのはやめて下さい! 俺は久志さんの代わりになんてなれませんよ?」


 細かく問い返す暇など与えてはくれなかった。これは久志の決意表明だ。

 粛々しゅくしゅくとした通夜の時でさえ久志は正面から佳祐に噛みついていた。マサが居なかったらあの場で戦闘にもなりかねなかっただろう。

 いつも穏やかな彼をここまで突き動かすものは何なのだろうか。


『綾斗と別れようなんて思っちゃいないよ』


 久志は自虐的に笑う。


「久志さんは、それを言う為に俺に電話してきたんですか?」

『最初に言っただろ? 僕は綾斗の声が聞きたかったんだ』

「そういうのは、最期を予感した恋人同士が使うセリフですよ?」


 もし疑いが現実となれば、久志は佳祐と戦うつもりだろうか。

 不安な綾斗の気持ちを酌んでか、久志は『心配かけてごめんね』と謝る。


『けど僕は強いから平気だよ。だからいい? この事は誰にも言わないで。佳祐にも、京子ちゃんにも。僕のこの二月ふたつきが無駄になってしまうから』

「何する気ですか? 久志さん!」

『じゃあ、また連絡するね』


 衝動的に上げた声に耳も貸さず、久志はそのまま通話を切った。


「久志さん……」


 綾斗は声を震わせる。


「そんな事言われたら、じっとしてなんか居られなくなるじゃないですか」


 もし久志が佳祐のブラックボックスに触れてしまえば、向こうに居る京子や修司にも影響が及ぶだろう。


「誰にも言うなって言うなら、俺が行くしかないですね」


 明日が土曜で非番な事を幸運に思う。

 綾斗は暗転するスマホのホーム画面を照らして、航空会社のアプリを開いた。






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