122 好きな相手に「好き」という事

「あーちゃん!!」


 くるくるに巻いたツインテールに大きなリボンを付けて、フワフワのドレスを着た心美ここみが、満面の笑みを広げて綾斗あやとの胸に飛び込んだ。『うれしい』というストレートな気持ちを、全身で思う存分に表現している。


「心美ちゃん、ピアノ上手だったね。これどうぞ」


 腰を下げた綾斗にスイートピーの花束を差し出されて「きゃあ」とはしゃぐ彼女は、懐いているというよりも小さな恋人のように見えた。


「あーちゃん、だいすき!」


 京子はふと湧いた大人げない気持ちをぐっとこらえる。こんなに自分の気持ちを表現で来たらと、子供の無邪気さに嫉妬しっと心さえ抱いてしまった。


「お二人もいらしてたんですか。素敵なお花をありがとうございます」


 心美の後を追い掛けてきた母親の美和みわが、フォーマルなスーツ姿でにっこりと頭を下げる。初対面の時に見せた悄然しょうぜんとした顔とは比べ物にならない程に穏やかだ。


「龍之介くんにチケットを譲ってもらったんです。俺、昔から先生のファンで」

「そうだったんですか。龍之介くんて先生の息子さんですよね? アルガス関連のお仕事をしてらっしゃるって聞いてます」

「あーちゃん、ありがとう。またここみにいにきて!」

「分かったよ。今度また行くからね」


 花に顔を埋める心美の頭をそっと撫でて、綾斗が立ち上がった。

 心美の小さな手首に結ばれた銀環は、少し重そうに見える。


「最近変わりはないですか? 今度IDカードの更新があるんで、日を見て伺わせてもらいますね」

「分かりました」


 ここで綾斗が業務連絡を挟む。

 急に大人の話になって、心美は一緒に演奏した子供たちとの写真撮影に行ってしまった。ロビーの壁を覆う豪華な壁紙を背景に、ご満悦な顔でポーズを決めている。

 そんな彼女に手を振って、京子たちは席へ戻った。


「私も小さい時からID持ち歩いてたけど、こっち来るまではずっと鞄の底に入ってたな」

「俺もそんなものだよ。使う機会なんてないしね」


 キーダーのIDカードは、15歳になる以前と後とでは仕様が若干違っているが、どちらも写真の入った二つ折りのものだ。10年更新だと言われているが、たまに仕様が変わったりで結局その頻度は高い。

 顔の変わりやすい子供については、更にその期間が短くなっている。

 

 京子が小さい頃はキーダーが少ないせいか、事務的な事は殆ど施設員がしていた。だから大舎卿だいしゃきょうが福島まで来たのは銀環を結んだ一度だけだ。


「心美ちゃんかぁ。私もあんな風に素直になれたらいいな」


 ふと二人の抱擁ほうようを思い出して京子がボヤく。


「さっきのこと?」

「うん。だって心美ちゃんは綾斗に会って、嬉しくて抱き付いたんでしょ? 好きだってちゃんと言えて……簡単な事じゃないよ」

「俺はいつだって歓迎するけど。何なら今でも構わないよ」

 

 挑発的な目を光らせる綾斗に、京子は赤面して「できません」と断った。

 今いるのは観客席のど真ん中だ。


「大人だもん。そんな顔したって無理だよ」

「残念。なら後で」


 そんな事をしている間に高々とブザーが鳴って、後半の演奏が始まった。1時間半程で生徒のプログラムは全て終わり、講師演奏へ入る。


 アンコールかと思ってしまいそうな割れんばかりの喝采かっさいが、元ピアニスト・相葉紗耶香を再びステージへ迎えた。

 席に着いた彼女にシンとホールの音が止んで、その音を待ち構える。

 横に座る綾斗の緊張が、京子にもはっきりと伝わって来た。


 曲目はプログラムに書かれていなかったが、そこは龍之介のサプライズだと期待する。

 だから、最初のメロディが流れた瞬間の綾斗を逃さずに見守ることができた。



 




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