55 バレンタインに橋の上で

 小雪の舞う厚い雲の下、町のど真ん中を流れる川の真上で彰人あきひと桃也とうやを待ち構えた。

 数十メートルある橋は待ち合わせスポットになっていて、横を通る車よりも人の数の方が遥かに多い。

 駅から歩いてくる途中、すれ違った女子高生のグループが、彰人だろう男の噂で盛り上がっていた。


『橋の上に居た人、カッコ良かったよねぇ。モデルかな? 彼女のこと待ってたのかな?』

『羨ましい。きっとそうだよ、だって今日はバレンタインだもん』


 仕事じゃなかったら、そのまま引き返していたかもしれない。


「俺で悪かったな」


 カフェのコーヒーを片手に白い息を吐き出す彰人を見つけて、桃也は苛立ちながらその肩を掴んだ。


「お前、目立ちすぎ」

「そんな風に振る舞ってるつもりはないけど?」


 突然の声掛けに驚く様子も見せず、彰人は「やぁ」と目を細めた。振り向いたその笑顔に、また通りがかりの女子が奇声を上げる。

 帰宅時間と重なるせいもあるが、記憶よりも人が多いのは今日の日が悪いせいだ。

 

「バレンタインにこんなトコ指定してくんなよ。落ち着かねぇだろ」

「分かりやすくていいでしょ? それとも彼女と別れたばかりのメンタルにはキツかったかな」

「お前それわざとだろ」


 今日がバレンタインだなんて、ここに来るまで気にもしていなかった。

 年始から暫く海外に居て、三日前から一時帰国している。諸々の手続きや会議で今朝九州から飛んできた所を狙うように、彰人から連絡が入った。

 面倒だと思いながらも申し渡しがあるからと言われ、隙間時間に会う約束をしたのだ。


「京子ちゃんには理由付けて会わなかったくせに、僕が呼んだら来てくれるんだ」

「はぁ? 気持ち悪ぃ言い方すんじゃねぇよ。仕事の話だっていうから来たんじゃねぇか」

「まぁね。それよりさっき京子ちゃんにチョコレート貰ったよ」

「──会ったのか」


 意識してないつもりなのに、眉間に力が入った。


「僕はコージさんのヘリで来たからね。美弦みつるちゃんと一緒にチョコ作って、本部中の男子に配るんだってさ。ちょっと無理してる感じだったけど、元気だったよ」

「手作り……って、食えんのか?」


 記憶の底に閉じ込めてあった過去を思い出して、桃也は思わず息を詰まらせる。

 そんな桃也に、彰人は「どうしたの?」と笑った。


「元恋人だからって、酷い事言うね。平次へいじさん直伝のレシピらしくて、美味しかったよ」

「食ったのか」


 昔、一度だけ彼女の手作り料理を食べたことがあった。

 『レシピを見ると分量で混乱する』んだと訳の分からない事を言って、『自己流』のカレーを出された。ルウを使ったカレーだというのに、何故か不味いというのが率直な感想だった。

 けれど今考えると、それも楽しかった思い出の一つだ。


「アイツはカレーすら作れない女だぞ?」

「それでも好きだったんでしょ?」

「料理失敗して悩む顔見るより、俺が作ったのを何でも美味いって言って食べる顔見てるのが幸せだった」

「けど、君はキーダーを選んだ。あの家に戻る選択は考えなかったの?」

「考えたよ。けど、俺は結局キーダーを辞められなかったんだ。俺はアイツがキーダーで居たい事も知ってるのに、キーダーを辞めて俺と結婚しないかって言ったんだぜ? 卑怯な男だろ?」


 冷たい空気と町の雑踏が、ぶり返す気持ちをそこで留めてくれる。

 空港で別れたあの日からずっとわだかまっていた想いを、やっと吐き出せた気がした。

 相手が彰人で良かったとも思う。


「そんなことあったんだ。けど、思ってる事を正直に伝えるだけなら卑怯なんかじゃないし、後ろめたい事なんて何もないよ」

「そうか? 俺はあの時決めてたんだ……結婚しようって言って、少しでも考えるような素振り見せたらきっぱり諦めようって」

「きっぱり諦められた?」

「……努力してる」

「そっか」


 彰人は残っていたコーヒーを飲み干して、川の流れへ視線を落とした。


「こんなこと僕に言われなくても分かってるんだろうけど。人間には節目ってのがあって、大切な人が側に居なきゃならない時があるんだよ。後からのフォローも含めてさ。普段駄目な奴でも、そこだけは駆け付けなきゃならない。それができなかった事が君の敗因なんじゃない?」

「……そうかもな」


 キーダーになってからの数年で、桃也が京子と過ごした時間は数えるばかりだ。

 夏に彼女が怪我したことを知ってもすぐに連絡しなかったことを、今でも後悔している。『恋人』という言葉だけで彼女を縛った罪は深いだろう。


「好きだったんだけどな」

「君がそんなに落ち込むなんてね。僕が慰めてあげようか?」

「気色悪ぃことすんなよ。で、お前はどうなんだ? アイツの事……」


 記憶操作のせいとは言え、彰人は京子にとっての『初恋の王子様』だ。彰人が彼女に対して満更でもない事は少なからず感じている。


「京子ちゃんの事興味ないって言ったら噓になるけど、負け戦に挑むつもりはないよ」

「負けるなんて、決まってねぇだろ?」

「それを君が言う?」

「……俺はアイツにだけは渡したくねぇって言いながら、アイツに全部任せてた。俺が今行かなくても京子は1人じゃねぇって、仕事を優先させたんだ」


 綾斗が自分の変わりになどならないと思っていたのに、離れてしまった距離はいつしか『好き』と言う気持ちを保てなくなるほど、彼女を苦しませていた。


 ──『俺は嫌いだ。お前が京子の隣にばっか居るから』

 綾斗に突き付けたその気持ちは、今も変わらない。綾斗にとられるくらいなら、彰人と一緒になって欲しいと思ってしまう。


「彼を認めたって事?」

「……認めてねぇよ」


 彰人は「子供なんだから」と髪をかき上げて、今度は橋の柵に背を預けた。


「そろそろ仕事の話をしようか。新しい仕事はどう? 順調?」

「まぁな。京子を諦めてまでこの道を選んだんだ、俺は上り詰めるからな?」

「うん、応援してあげる」


 この仕事をするために全てを諦めた。

 後悔はしていない。


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