49 苦手な事

 京子が桃也とうやと別れて一ヶ月が過ぎた。

 桃也は正式にサードになったらしいが、異動がアルガス内で大っぴらに公表されることはなく、今まで通り彼の肩書は本部所属の監察員だ。


 彼がキーダーになってから二人でマンションに居る時間は殆どなかったが、彼が『帰って来るかもしれなかった』時と『もう帰って来る事はない』今とでは気持ち的に大分差がある。

 元々一人で住むために購入したマンションなのに、彼の少ない荷物が無くなっただけでやたら広く感じてしまった。


「気分転換に部屋の模様替えはしたの。ベッドを入れ替えて、家具の場所を変えたり。けど気持ちに余裕が出た分、暇な時間が増えちゃって落ち着かないって言うか……」


 食堂へ移動しながらそんな話をすると、美弦みつるが「そうですねぇ」と人差し指を顎に当てながら京子を横から覗き込んだ。


「好きな事すればいいと思いますけど。時間持て余してるなら、今度一緒にご飯食べに行きませんか?」

「うん、それは大歓迎!」

「やった。あ、けど男子からのお誘いがあった時はドタキャンしても全然構いませんからね!」


 握り締めた紙袋をくるりと回して、美弦は強めにそこを主張する。そして、ふと思い立ったように勢いを緩め、溜息を漏らした。


「どうした?」

「あぁいえ、やっぱり遠距離って大変なんだなぁって思って」

「人それぞれだと思うけど。心配してるの?」

「……ちょっと」


 ぷっくりと頬を膨らませて、美弦がぼそりと本音を零す。


修司しゅうじは美弦にベタ惚れだから大丈夫」

「……そうなのかなぁ」


 今年になって、美弦の元気がないと思う事が増えた。

 元々バスクだった修司が去年の五月にキーダーになって、この四月から北陸支部に併設された訓練施設に入ることになっている。

 たった一年の別れだと思えば割り切れるのかもしれないが、桃也のようにそのまま戻って来ないという前例が彼女をナーバスにさせているようだ。


「桃也は特別だから。それより今日は何作るの? そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」


 以前美弦に『平次が講師の料理教室』とやらに誘われて、あまり深くも考えないまま参加表明した京子だが、その詳細は明らかにされてはいなかった。

 昨日『エプロンだけ持って来てください』とだけ言われて今に至るが、何やら意味深な笑みを浮かべる美弦に少々不安になってしまう。

 

「私が料理しないの分かるでしょ? あんまり手の込んだレシピだと拒絶反応起こしちゃうかも」

「京子さんが苦手なのは分かってますよ。拒絶反応なんて大袈裟です」


 桃也と住んでいた頃は彼が全部家事をやってくれたが、キーダーになって家を離れてからはずっと平次に頼りきりだった。アルガスにくれば朝昼晩と食堂でご飯を食べることができるというのが頭の隅にいつもあって、ここ数年自分で料理を作った記憶がない。

 けれど少しくらい料理をしなければという焦りもあって、今回美弦の誘いに乗った次第だ。

 どうせ作るなら家で一人でもできそうな物が良い。昔失敗したことのあるカレーのレシピが良いなと思っていたが、現実はそううまく行かないもので──


「京子さん、今日は何月何日だと思ってるんですか?」

「今日? 何かあったっけ?」


 首を傾げる京子に、美弦は呆れるように額を押さえた。

 最近、自分に対する彼女の物言いが綾斗あやとに似てきた気がする。


「二月十一日……うーん……」

「もう京子さん、こんな日にカレーでも作ると思ったんですか?」

「ちょっと。美弦って特殊能力持ってたの? 私、カレーだったらいいなって思ってたんだよ」

「カレーなんて煮るだけじゃないですか! あれで変な味になる方がおかしいですよ。バレンタイン直前ですよ? チョコ作りに決まってます!」

「──はぁ?」

「京子さんまだ準備してませんよね?」


 ──『京子さん、もうチョコ買いました?』

 ──『バレンタインのってこと? 何かいつも前日になっちゃうんだよね。今年もそんな感じかな』

 

 先週のそんなやり取りを思い出して、京子は食堂の手前で足を止めた。

 折角料理をする気になれたのに、チョコ作りなど何の役にも立つ気がしない。


「ねぇもしかして、最初からチョコ作る予定だった?」

「勿論です!」


 普段から食べる専門の自分が他人に渡すチョコを作るなんて、わざわざ自分から恥をかきに行くようなものだ。

 ムキになる美弦の勢いに抗って、京子は「やだ」と小声で抵抗した。

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