64 想いを断ち切る呪文

 銀次ぎんじにその現場写真を見せられた時、ロングヘアの後ろ姿を朱羽あげはだと思った直感は外れていなかったらしい。彼が言った「京子だろう」という言葉を鵜呑みにしたが、実際にウィルを確保したのは朱羽で間違いなかったのだという。


 けれど、何故そんなことになっているのか。

 唐突な綾斗の言葉に龍之介は真相を聞こうとしたが、廊下の奥に別の人物が現れて出し掛けた言葉を飲み込んだ。


 「よぉ」とやって来たマサに、龍之介は頭を下げる。


「あれ、マサさんも呼ばれたんですか?」


 綾斗は何事もなかったように彼へ声を掛けた。


「いや、俺は後でいいってよ。少年はこんな時間まで居て親御さん心配するんじゃねぇのか?」

「彼は朱羽さんと一夜を過ごすらしいですよ」

「ちょっ、綾斗さん! その言い方は語弊が……」

「そういうことなんじゃないの?」

「ま、まぁ……」


 龍之介が釈然としない解釈に押し黙ると、マサがヒュウと口笛を鳴らして「頑張れよ」と声を掛けた。


「京子は寝てたから、朱羽に挨拶していこうと思ってな。全く、二人とも無茶しやがって。あいつら似てると思わねぇ?」

「俺はそうは思いませんけど」


 綾斗がきっぱりと否定すると、マサは「あはは」と大口を開いて笑う。

 車での話題に触れるのかと龍之介は冷や汗をかくが、彼はじっと綾斗を見つめるだけでそれ以上何も言わなかった。


「マサさん、これからセナさんのマンションに行くんですか?」

「まぁな」


 その名前を出しただけで、マサの表情が穏やかになる。きっとそれが彼の相手なのだろう。

 程なくして扉の奥に人の動く音が聞こえて、疲れ顔の朱羽が現れた。


「失礼しました」


 扉を閉める音に重ねて朱羽は大きく溜息を吐き出すが、視界にマサを捕らえて疲れ切った瞳がカッと見開く。


「マサさん。居たんですか」

「お前に会いにな。暫くこっち居るからよろしくな」

「よろしく、お願いします……」


 裏返る朱羽の声。彼女の気持ちを知ってか知らずか、マサは再び豪快に笑う。

 「じゃあ、行くわ」とあっさり背を向けたマサを、朱羽は「マサさん!」と飛びつくように呼び止めた。


「何だ?」

「結婚おめでとうございます」


 彼女なりの精一杯の笑顔で、祝福の言葉を贈る。

 それが龍之介には想いを断ち切る呪文のように聞こえた。


 振り返ったマサは「おぅ」と目を細める。


「ありがとうな。急だけど、式の招待状送っといたから来てもらえたら嬉しいよ」


 朱羽は「はい」と答えた。けれど、気丈に振舞う彼女に龍之介の胸が痛む。

 マサの背を見送る朱羽は、二人に小さな声で尋ねた。


「これでいいのよね?」

「いいと思いますよ」

「……そうよね」


 龍之介は掛ける言葉が見つからなかった。けれど綾斗が言うように、それでいいと思う。

 目が合った彼女に「はい」と頷いて、腰の横にぶら提げた拳をぎゅっと握り締めた。

 自分がマサの代わりになれるとは到底思えないけれど、彼女の隣に居られたらいいと思う。


「じゃあ、俺も中入ります。オジサンたち待たせると煩いんで。ガイアたちに動きがあったら、すぐ知らせて下さい」


 浅く頭を下げて、綾斗は部屋へ入って行った。

 ここが『拷問部屋』と言われる由来になった三人の男が気になって、龍之介は閉まりかけた扉の隙間を覗き込むが、何も捕らえることができないままバタリと視界は遮られてしまった。




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