59 底へ

 上官への報告を手短に済ませ、朱羽あげはは階段を下りていく。

 今回の件でアルガスへ戻されるだろうと少し覚悟していたが、その話が出ることはなかった。ウィルを捕まえた時に京子へ手柄をなすり付けた事も、まだバレてはいないらしい。


「あぁけど、知ってたからって事もあり得るわね」


 会話を整理して、ふとそんな考えに行き着く。

 どちらにせよ、上にとってはあまり関心のない話題なのかもしれない。『誰が』ではなく、『キーダーがウィルを捕まえた』だけで満足なのだろう。朱羽にとっては好都合だが、実際上の人間が何を考えているかなんて、下の人間は分からないのだ。


 ──『君が思うように動いて構わないからね』


 帰り際に言われたその言葉が妙に引っ掛かって、朱羽は地下へ降りた。

 そこへ踏み込むのは久しぶりだ。半地下にある資料庫の前を通り、先にある階段をさらに深く下りた所に入口があって、奥に扉が三つ並んでいる。


 朱羽の侵入を捕らえた監視カメラが、ジリと動く。

 物々しい雰囲気は、地下という理由だけではない。照明の色や壁紙は他と大差ないが、かつての閉鎖されていた時代の名残か、どことなく染み付いた気配が漂っている。


 一番奥の扉を塞ぐ護兵ごへいに「ご苦労様」と挨拶して、朱羽は覗き窓を一瞥いちべつした。

 大柄な男だ。他に何人かいる護兵の中でも、戦闘力の高いメンバーがここを任されることが多い。


「少し外してもらえる?」

「分かりました」


 青い制服の胸元に拳を叩くのは、彼にとって『了解』の合図らしい。男は素直に従って、その場を離れた。


 改めて扉の奥を覗くと、仄暗ほのぐらい部屋に男の影が見える。食事中らしく、簡易な机でスープをすすっている所だった。

 朱羽に気付いた影がぐらりと揺れて、その容姿が照明に映える。

 男の髪は記憶のそれよりも短く刈られ、逆に無精髭が伸びていた。一瞬別人を思わせるが、振り向いた切れ長の目が、脳裏に張り付いた表情と重なる。


「ちょっといい?」

「はぁ?」


 男はスプーンを皿に打ちつけて立ち上がる。

 「誰だ」と凄む態度は、収監中の罪人とは思えない程だ。

 

「私を覚えているかしら?」


 男はのっそりと近付いて扉のすぐ手前で足を止めると「あぁ」と唸るように声を零した。


「忘れられない顔だな」


 ニヤリと細めた目に生気を光らせて、ウィルは「久しぶりだな」と笑った。


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