55 綾斗と京子、そして桃也

「京子さん大丈夫ですかね」


 車内に漂う缶コーヒーの香りと重い空気に龍之介は何か話題をと考えて、そんな事を切り出した。

 公園での戦闘後、アルガスに呼ばれた朱羽あげはと慌ただしく乗り込んだ軽自動車の運転席には何故かマサが座っていたのだ。

 アルガスへ行くのは面倒だとボヤいていた朱羽が、マサと一緒というシチュエーションに言葉を失って、押し黙ったように俯いている。


綾斗あやともついてるし、心配いらねぇよ。あぁ見えて京子は頑丈だからな」


 来た時一緒だった綾斗は、京子と救急車に乗って行ってしまった。取り残された彼の車は、施設員が鍵を預かってアルガスへ移動させるらしい。


「それにしても、綾斗のヤツ京子にべったりだな。まさか好きなんじゃねぇだろうな」


 マサはそれがネタであるかのように「あっはは」と笑うが、車内に緊張が走って再びシンと静まり返ってしまう。

 龍之介が気まずい空気を感じていると、


「そうだと思いますよ?」

「はぁ?」


 ポツリと答えた朱羽に、マサは驚いてルームミラーを覗いた。

 前情報のお陰で龍之介も京子たち二人の関係は分かっているつもりだ。けれど朱羽が言っていたように、京子には特別な様子は感じられない。甲斐甲斐しく献身的な振る舞いは、綾斗の一方通行のように見える。


「あの二人は何年も一緒に居るけどよ、京子にはちゃんと相手がいるだろ」

「だから……そういうことなんですよ」

「片思いって事か? マジかよ」


 朱羽は声に出さずに頷いて、そのまま唇をきゅっと結んだ。彼女が綾斗を自分に重ねて、マサの言葉を受け止めてしまったのかもしれない。


「けど……そうだな」


 マサは何か言い掛けた言葉を飲み込むように、コーヒーの缶を自分の口に押し当てた。一口飲んで吐き出した溜息が妙に重い。

 そんな彼に、朱羽は「マサさん」と呼び掛ける。


桃也とうやくんの噂聞いたんですけど、本当なんですか?」

「あぁ──誰からだ? 京子か?」

「いえ、噂で……」


 龍之介にはさっぱり分からない話だが、彼女が仕事モードへ切り替わった。


「長官たちが桃也のことえらく気に入っててな。まぁ、アイツは言われるだけのモン持ってるから、俺らにゃ何も言えねぇんだよ」


 マサもまた、ハンドルを握り締めながら淡々と返事する。

 朱羽は何か考えるように首を傾げ、「そうですね」と頷いた。


「能力を買われてるんだから喜ばしい事だけど、京子は──」

「アイツ泣き虫だからな。けど選ぶしかねぇんだよ、二人とも」


 京子とその恋人の話だという事は分かるし、それがあまり良い内容でないことも分かる。

 深刻な話なのかと目を瞬く龍之介を、朱羽が隣の席から覗き込んだ。シートに立て掛けられたさすまたの柄が、境界線のように彼女との距離を離している。


「ごめんなさいね、龍之介。分からない話してもつまらないわよね」

「俺は構いませんけど……」

「ううん。それよりマサさんは明日帰ってくる予定じゃなかったんですか?」


 話題を変えた彼女に、マサも「いいだろ?」と肩の力を抜いた。


「予定なんて適当だ。俺はキーダーじゃないからな、ヘリが今日こっちに来るって聞いたから便乗してきただけだよ。まさか騒動の真っ只中だとは思わなかったけどな」

「すみません……私が油断してました」

「悪いのはあいつ等なんだから、お前が謝ることじゃねぇだろ? あの事務所に被害を出さずに慰霊塔まで持って行けたのは良い判断だったと思うぞ」

「マサさん……」


 肩をすくめる朱羽をマサは「上出来だ」と褒める。


「一旦逃がしちまったが、すぐに策を考えねぇとな。あの手榴弾タマだって本物だろうし」


 アルガスの周辺には護兵ごへいを配備したと、出発前に施設員が仲間に伝え回っていた。護兵とは、アルガスで唯一「兵」と呼ばれ、銃を扱う警備部隊だ。


「朱羽、キーダーはお前だけじゃない。一人で何かしようとするなよ?」

「はい……わかってます」


 黙った朱羽を振り返って、マサは「無茶するな」と宥める。


「さっきパラシュートで下りた時、最初お前だって気付かなかった。暫く会わないうちに、随分可愛くなったな」

「そ、そんなことないですっ!」


 ハッと顔を起こし、バタバタと手を振る朱羽。

 そして車内には再び沈黙が広がったのだ。


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