22 涙か雨か

 建物を出た小さな屋根の下で、綾斗あやとの車を待った。


「初めてのアルガスはどうだった?」

「貴重な体験でした。皆さん優しい人ばかりだなって」


 京子に綾斗に本郷、そして施設員に至っても、みんな良い人に見えた。


「キーダーって言っても普通の人間だからね。そうだ龍之介、来た時に私と綾斗くんが片思い同盟だって話したでしょ? 京子の事見てどう思った?」

「えっ……?」

「綾斗くんは、ずっと京子が好きなのよ」


 朱羽あげはの唐突な暴露話に、龍之介は戸惑う。


「けど、京子さんは……」

「指輪してたでしょ。彼が居るの。けど、恋愛ってそれだけじゃ難しいみたい」

「そうなんですか?」


 京子の恋愛はうまく行っていないという事なのだろうか。

 「うん」と頷いた朱羽に寂しさを垣間見て、龍之介は開きかけた唇をぎゅっと閉じた。

 朱羽は背後のアルガスを一瞥いちべつして重い息を吐き出す。


「ここに来ると、色々思い出しちゃって駄目ね。楽しかったことも多い筈なのに、そうじゃない事の方が胸に残ってる」

「朱羽さん……」

「私は勝ち目なんてないって諦めてたけど、綾斗くんは違うんじゃないかな。だから、同盟メンバーとしても私は彼を応援してるつもりよ」

「…………」

「京子の彼もカッコいいんだけどね」


 悪戯な顔をする彼女の視線が、龍之介の背後に移る。

 京子が見送りだと言ってやってきて、龍之介は動揺する気持ちを抑えた。


「わざわざ来なくてもいいのに」

「そう言わないでよ」


 朱羽の表情は、空と同様に晴れないままだ。

 土砂降りの雨。夕暮れにはまだ早いが、灯り始めた外灯がやたら明るく感じる。

 京子は手にした真っ赤な傘を開いて、暗い空を見上げた。


「たまには飲みにでも行かない? って誘いに来ただけだから」

「貴女に心配されるほど弱ってないわよ。そっちこそ大変なんじゃない? 色々噂は聞いてるわ」

「そっか……なら今度話させて」


 傘をくるりと回す京子に、朱羽は疲れたように苦笑いして見せた。


「いいわよ。貴女が酔い潰れて迷惑かけないって約束してくれるならね」

「ほんと? ならお願い」


 にっこりとはしゃいで、京子は再び遠い空へと目を凝らした。

 青いスポーツカーのエンジン音にヘリコプターの重い起動音が混ざるのに気付いて、龍之介も彼女の視線を追う。


 西の空にポツリとあった黒い点が、薄暗い灰色にみるみると銀色の胴体を形どる。

 ヘリはこの建物の屋上に下りるらしく、大きな腹に紫のテールランプを光らせながら轟音を立てて頭上を通り過ぎた。


「やっと帰ってきた。結構かかったね」

美弦みつるちゃんたち?」


 京子は機体に向けて子供のように手を振って、「そうだよ」と答えた。

 どうやら、ヘリからの降下訓練とやらから戻ってきたようだ。


 コンコンと音がして、到着した青い車の窓から綾斗が覗き込んでくる。

 「じゃあ帰るわ」と後部座席のドアに手を掛けたところで、朱羽が京子を振り向いた。


「私はね、彼の一番辛い時期に側に居ることができなかったから。ずっと支えたあの人を選んだことに納得はしているのよ」


 騒音の中拾った彼女の声は涙を含んでいるような気がしたけれど、頬を濡らした雫が涙なのか雨なのかは、龍之介に判断することはできなかった。


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