【番外編】14 出発の朝に
最後の朝は、夜明け前から雨が降っていた。
ヘリで本部を発つ十時に合わせて、一時間前に家を出る。
「気を付けてね」
見送りの京子は、昨日からやたら大人しかった。
今日がオフの彼女にアルガスまでの同行を断ったのは、一時間延ばしたところで余計に辛くなると思ったからだ。それでも付いてくると言うような予感がしたが、彼女は「分かったよ」と素直に了承してくれた。
キーダーになって訓練のために
あの時「淋しい」と言った京子は、監察員になると伝えた時も「分かった」と言ってくれた。
彼女の我慢が目に見えているのに、言葉通りに解釈したフリをして甘えてしまう。
「次はマサの結婚式の時に帰るから。上に無理言って、一日だけ空けてもらったんだ」
「ホント? どうするのかなって思ってたんだ」
マサとセナの結婚式があるのは4ヶ月後だ。こんなに早く『次』の予定が決まるのは初めてだった。
会う理由が彼女でない事を申し訳なく思いながら、桃也は「嬉しい」と目を細める彼女の頭に手を乗せて「ごめんな」と謝る。
京子は、「ううん」と首を振った。
──『彼女が求める相手はさ、側にいてくれる人なんだと思う』
彰人の言葉が、今になって胸に刺さる。
まだ銀環をしていない頃、京子は出張に行くと『早く戻りたいから集中する』と言って、一切連絡をしてこなかった。
監察の仕事が楽でない事は、彼女が一番理解している。だから今逆の立場になっても、彼女からの連絡は一切ない。
そして自分も、忙しい、疲れた……色んなことを理由にして、連絡することを後回しにしていた。
そんな一つ一つの事が、彼女との距離を離してしまった気がする。
今日こうして家を出る前に、彼女に話さなければならないことがあった。
一度心は決まったはずなのに、戻る日が近付くごとに迷いが出て、伝える事さえ
けれど、今を逃せば暫くの間心に留める事になるだろう。仕事に支障が出るのはどうしても避けたかった。
「なぁ京子。俺……」
言い掛けた言葉を飲み込む桃也に、京子が「どうしたの?」と首を傾げる。その嬉しそうな表情に心が痛んだ。
「何かあった?」
「俺サードに来いって言われたんだ」
意を決して、一息に告げる。
京子は思考が止まったかのようにきょとんとしてしまった。
沈黙が起きて、震えた唇から小さく本音が零れる。
「やだ……」
固まった頬に細い涙が伝うのが見えて、桃也は「悪ぃ」と彼女を強く抱きしめた。
「京子、俺やっぱり……」
「違うの、ただちょっとびっくりしただけだから」
これ以上の距離は無理なんだと思った。頭が
「凄い事でしょ? 受けるべきだよ」
「京子……」
『サード』なんて言葉はアルガスに居てもあまり聞く事はない。けれど、キーダーならその意味を何となくは理解できる。
支部にいる京子たちキーダーが『表』なら、サードは『裏』の顔だ。
実態は曖昧で、メンバーもはっきりとはしない。ただ、佳祐がそうだろうと何となく思っていたし、彰人もそんなことを言っていた。
──『君に任せたいと思うんだ』
修司のトレーナーとして本部へ一度戻ることが決まってすぐに、胸像と同じ顔をした長官から直々に話をされた。
家族を失った桃也にとって、マサが兄のような存在だとしたら、アルガスの長官は父親の代わりのような人だ。だから彼への恩を返したいという思いもある。
──『けど、俺は……』
──『
名誉なことだという事は分かる。話を貰った時、やりたいと思ったのが本音だ。なのに、すぐ返事ができなかった。
今でさえ少ない京子との時間が、サードになれば更に制限されるのは目に見えていたからだ。
「今度、京子の意見を聞かせて欲しい」
どうしても決められない選択を彼女に託そうとする自分を卑怯だと思う。
「どういう意味なの?」
「それも、ゆっくりできる時に話そう」
京子の声が震えていた。桃也の胸にしがみ付く彼女の薬指には、小さな石のついた指輪がある。
耳にこびりついた彼女の本音を受け入れてしまったら、もう向こうには戻れなくなってしまう。
この数週間、数えきれない程のキスをしたのに、別れの1回ができないまま桃也はマンションを後にした。
小さいリュックを片方の肩に掛けて、しとしとと雨の降る町を歩いてアルガスへ向かう。
修司と
「お疲れ様です」
彼と二人だけのシチュエーションは、今まで殆どなかった気がする。彼が二人きりの会話を望むなら、その内容は察しがついた。
「おぅ。修司のこと頼むな」
「みっちり指導しておきますよ」
多分、彼を苦手だと決めつけているから、今まで話す機会を無意識に遠ざけていたのだと思う。
形式ばかりの会話をして相手が切り出すのを待ったが、先に桃也から口を開いた。去り際に見せた京子の不安げな表情が頭に張り付いていたからだ。
「なぁ綾斗、お前俺の事嫌いだろ」
──『君の嫉妬の相手は僕じゃないでしょ?』
いちいち頭で回想してくる彰人に眉をしかめる。
いつも側にいる綾斗が京子に気がある事は、だいぶ前から知っている。自分が監察員という帰れない選択をした以上、そこに差が出るのは最初から分かっていた。
急に踏み込んだ話だと思ったが、綾斗は冷めた表情のまま淡々と返事を返す。
「嫌いじゃないです。そういうのとは違います」
「そうか。俺は嫌いだ。お前が京子の隣にばっか居るから」
「それが言いたいだけですか?」
綾斗は躊躇うような素振りから真っすぐに視線を突きつけて、
「俺は京子さんが好きです」
そんなのは京子の周りにいる奴なら誰でも知っているだろう。
暗黙の了解どころか、桃也が彰人から
綾斗の事を憐れむ奴だっている。それでも思いを伝えて来るのは、自分と京子の『恋人同士』という確実たる関係が揺らいでいるからだと思う。
「そんなの分かってんだよ。だから……いや、俺さ。サードに呼ばれたんだ」
真剣に話したら負けそうな気がして、わざと話を逸らした。
なのにその一言が綾斗を動揺させるどころか、言っている自分の冷静さをも奪っていく。
「京子さんは知ってるんですか?」
「さっき言ってきた。それ以上は話さなかったけどな、俺は受けようと思ってる」
そう言えば綾斗は喜ぶだろうか──そんなことが頭を
「俺が京子さんと今の距離を保っていられるのは、京子さんが桃也さんを好きだからですよ。それなのに──」
「俺だって京子が好きだよ」
取り乱しそうになる気持ちを抑えて、気持ちを伝える。
「けど俺にサードの役目が務まるんなら、全力でやりたいんだ。あんな事件を起こした俺を、アルガスは受け入れてくれた。だから、期待に応えたい」
蘇る血の記憶に込み上げる衝動を抑えつけて、桃也は自分の想いを吐き出す。
京子の話題から逸れて、普段ろくに話もしない綾斗にその事を言うのは、自分でも不思議だった。
今、彼女は家で泣いているのだろうか。
「俺、間違ってるか?」
どっちも手に入れようなんて考えが甘いことは分かっている。
そんな質問の返事が簡単でない事も分かっていて、わざとその質問をぶつけた。
「間違っていないですよ。ただ……」
「俺はどうしたらいいんだろうな」
「情けねぇ」と呟くと、綾斗は真横に結んだ唇をそっと緩めた。
「俺はただ、京子さんの事も考えて欲しいって思うだけです。桃也さんがキーダーになった理由に、京子さんは入っていないんですか?」
「俺は……」
京子の側に居たい、助けたいと思った。
それは嘘じゃないけれど、それを最優先させたいのならキーダー以外の選択をするべきだという事を知ったのは、銀環を付けて彼女の側を離れてからだ。
彼女への想いを連ねた所で、行動が伴わなければ何の意味もないのかもしれない。
「俺は卑怯なヤツなんだよ」
「けど、サードなんてなりたくてなれるものじゃない。やりたいこととできることが同じなのは、素晴らしい事だと思いますよ」
そんな綾斗の言葉は、桃也に聞き覚えのあるセリフを思い出させた。
──『やりたいと思った時その力が自分に備わっているなんて凄いことじゃないか。誰かを守れるなんてカッコイイだろ?』
「お前、俺の親父みたいなこと言うのな」
「そうなんですか?」
「まぁな。けど、お前にアイツを譲る気はねぇよ」
「譲られようなんて思ってませんから」
綾斗はそれ以上何も言わなかった。
ただじっと向けて来る視線を逃れて、桃也は「偉そうに」と嫌味を吐く。自分が劣勢だと自覚している証拠だ。
「じゃあな」
別れの言葉を残して、桃也は早々にその場を離れた。
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