【夢小説特別編】ユキのクリスマス

 こんな寂しいクリスマスを迎えるなんて思ってもみなかった。

 ジャスティのラジオでやっていたプレゼント企画に応募して、一生分の運を使い果たして当てた海外旅行。当然自分が行くつもりだったのに、まだ終業式前の出発だからと、代わりに両親が旅立ってしまったのだ。


「いいなぁ、ハワイ」


 大人気アイドルグループ・ジャスティ。

 彼女たちが初めてハワイ公演をするという事で、航空券付きのプラチナライブチケットを、ペアで5組にプレゼントするという企画だった。

 絶対行きたいと思って、ハガキを30枚も書いて勝ち取ったチケットなのに。

 ジャスティに会えないどころか、ひとりぼっちのクリスマスイブがやってくるとは。


 リビングでぼんやりとサンドイッチをかじりながら、クリスマス一色のテレビを見つめる。

 毎年頼んでいたケーキもキャンセル。適当に食べてねと渡されたお金で選んだクリスマスディナーは、コンビニで買ったサンドイッチとホットコーナーのチキンだ。


 そんな質素な夕飯を五分で食べ終えると、暗くなりつつある空を伺って、カーテンを閉めようと立ち上がった。

 高層とまではいかない12階建てマンションの10階。都会では大分低く感じてしまうが、向かいにある大きな公園のお陰で見晴らしは良かった。


 今日の東京タワーは温かいオレンジ色だ。その少し横にズレた位置には、同じくらいの高さまで伸びた白銀に光る塔が建っている。

 まだここに住んでいなかった7年前にそこで大きな事故があって、何人もの人が亡くなった。その慰霊塔いれいとうだとは言うけれど、私にとってはイルミネーションの一つでしかない。


「まだ六時じゃん」


 このまま何もしないで寝てしまったら、高2のクリスマスが終わってしまう。

 去年は一緒にカラオケへ行った友達も、数日前に無理矢理彼氏を作ってしまった。


「今年も行こうねって約束したのに」


 恋人ゲットの駆け込み需要の波にも乗れず、家族でケーキを食べることも出来ない。

 急に自分がみじめに思えて、再びソファに座ろうとした足を自分の部屋へ向けた。


 コートを羽織って、マフラーを首に巻き付ける。千円札が二枚入った小さな財布と、ホッカイロとスマホをポケットに入れて家を飛び出した。


 エレベーターを降りると、エントランスの向こうにはすっかり夜が広がっている。風に舞う雪は、ホワイトクリスマスを呼ぶのだろうか。


 人通りの少ない路地を抜けて駅へ向かい、そこから一番近い繁華街で電車を降りた。

 カップルや家族連れの波に紛れ込んで、私はその町で彼と出会う──。



   ☆

 イルミネーションに包まれた街に皆が心を躍らせているのに、何だろうこの気持ちは。

 色とりどりの光を見て「きれいだね」と共感する人がいないだけで、部屋に居た時よりも寂しい気持ちが募るばかりだ。


「失敗した」


 敗北宣言をして、やっぱり帰ろうと足を止めたその時、ビルの隙間から飛び出てきた大きな影にぶつかった。


「きゃあ」


 どっかのドラマか漫画で見たようなシチュエーションだ。

 尻もちをついた衝撃に「痛ぁい」と訴える。


「ごめんね、大丈夫?」


 こんな日に最悪だ。

 しかし、差し伸べられた手に相手を仰ぎ見て、突然心臓が強い鼓動を打ち付ける。


「濡れちゃったかな」


 申し訳なさそうに歪められた顔に「大丈夫です」と答えて、ひんやりと冷たい彼の手を握りしめた。


 すぐ横のショーウィンドウの灯に照らされた彼は、芸能人かと疑う程に整った顔をしている。彼氏いない歴十六年の女子校育ちには刺激が強すぎて、コートの雪を払いながら思わず目を逸らした。


「良かった。じゃあね」


 けれど、パンをくわえた女子高生が、曲がり角でイケメンとぶつかって恋が芽生える話があるのなら、こんなシチュエーションもアリだと思う。

 颯爽さっそうと立ち去ろうとした彼を、「ちょっと待って」と呼び止めた。


 スーツにビジネスコートを羽織った彼とは歳が少し離れているのかもしれない。

 けれどこのまま『さよなら』と別れてしまえば帰る選択肢しか残っていない気がして、少しだけ勇気を振り絞った。


「行かないで」

「……え?」


 振り返った彼は、困り顔を浮かべる。

 そりゃあそうだ。名前も知らない初対面の相手に、何を求めるというのか。


「く、クリスマスイブの夜に、こんな、か、可愛い女子高生とぶつかっておいて、ごめんで立ち去ろうっていう訳?」

「あぁ、もしかしてこれからデートだった? 気分悪くさせちゃったかな」

「――違うけど」


 そんなことは聞かないで欲しかった。


「じゃあ、僕はどうすればいい?」


 これはチャンスだと自分に言い聞かせて、勢いのままに要求を吐き出す。


「きょ、きょっ、今日だけでいいから。一緒に過ごして。恋人が居るなら諦めるから……」


 言ってる途中でその可能性を悟り、テンションが急降下する。

 こんなイケメンがイブの夜に暇なわけがないのだ。

 急に恥ずかしくなって下を向くと、彼は「うーん」とうなった。

 ぶつかったことを理由に、彼を困らせてしまったらしい。


「ご、ごめんなさい」

「いや、そうじゃないよ。仕事の途中だったから」

「えっ……」


 予想外の返事に戸惑うと、彼の胸で着信音が鳴った。

 「はい」と出る口調で、仕事関係プライベートではないとわかる。

 もうこのまま逃げ帰ろうと思い、彼に「すみません」と頭を下げてきびすを返すと、


「待って」


 彼の空いた手に腕を掴まれた。

 握り締められた感触に思わず顔が緩んでしまう。

 「ね」とはにかんだ彼に、そこから動くことができなくなってしまった。


 「うん、そうだよ」と再び電話の向こうの人物と会話を始めた彼は、「じゃあ、お言葉に甘えて」と締めて、通話をオフにした。


「もう上がっていいって。デートしようか」


 そう言って、銀色の腕時計を見やる。


「一時間だけ。君、高校生でしょ?」

「いいんですか?」

「冗談だった?」


 半分冗談だったが、フルフルと首を横に振る。


「彼女いるんじゃないんですか? 奥さんとか」

「いないよ。だから、問題ないでしょ?」


 それなら私が立候補したいという言葉は、ぐっと抑える。

 この間、海外旅行を当てた時は一生分の運を使い果たしたと思ったのに、私が旅行に行っていないから、その幸運はリセットされていたのかもしれない。


「そうなんだ。どんな仕事してるんですか?」

「内緒」


 歩き出した彼の横を付いていく。どこに行くかは分からないけれど、何処でもいいと思ってしまう。

 その綺麗な横顔を見ているだけで幸せだと思うし、目が合った日にはもう頭がおかしくなるくらい全身がとろけてしまう。


「あの、名前聞いてもいいですか?」

「僕の?」


 私が頷くと、彼はふと空を見上げて「ユキだよ」と答えた。


「えっ、ユキって……女の子みたい」


 ユキと付く男性の名前もあるけれど、彼は絶対に嘘をついている気がする。空から舞い降りる雪を見て、都合よく名乗っただけだ。

 『失敗した』と苦笑いする彼。


「じゃあ、歳は?」

「そういうの、答えなきゃ駄目?」

「言いたくないなら……二十三歳って事にしておきます」

「まぁ、そのくらいかな」

「やった。お仕事は、内緒なんですよね?」

「仕事……か」


 困らせたいわけじゃないけれど、知りたいことは山ほどあった。

 偽物のユキは「そうだなぁ」とはにかんで、一つの提案を口にする。


「じゃあ僕が何の仕事してるか当てたら、本当の名前を教えてあげる」

「やっぱりユキじゃないんですね」

「そのままでも構わないんだけど。そんなに知りたいなら、当ててみて」

「じゃあ、絶対当てて見せますから!」


 雪の舞うクリスマスの夜をそんな彼と歩きながら、私は色々と妄想を膨らませた。


「モデルとか芸能関係?」

「そんな華やかな仕事してないよ」


 それが一番納得できるのだけれど。

 インストラクターに、お医者さん、美容師さん、教師やプログラマーと色々言って、まさかのパイロットや保育士まで出してみるが、どれも違うらしい。


 「難しいよ」と悪戯に笑う彼の顔は、道行く人の目を引いている。

 何で彼の隣に居るのがお前なんだという空気が痛いくらいに伝わってきて、少しだけ彼との距離を空けた。


「気にしなくていいよ。きっと僕がおじさんだから、なんで女子高生と歩いてるんだって思われてるんだよ」

「いや、それは絶対に違うと思います」

「別に何だっていいじゃない。折角一緒に居るのに、そんなこと考えてたら時間がもったいないよ」


 本当にそうだ。私は「あっ」と声を上げて、慌てて腕時計を見やった。

 もう歩き始めて五分以上経っている。一時間なんてあっという間だ。


「お腹空いてる? 何か食べようか」

「えっと、夕飯は食べてきたんです」

「ならちょっと休めるところで。ずっと外に居たら凍えちゃうから」


 人の多い通りに入ったところで、彼に手を握り締められる。


「迷子になっちゃダメだよ」


 少しだけ子ども扱いをされた気がするが、嫌な気はしない。

 にやけそうになる顔を必死に堪えて、頷くことしかできなかった。


 大きなビルの三階にあるカフェは、カップルたちで満席だ。

 入口の外にも何組か待ってる人がいたが、彼が店長と知り合いらしく列を横目にすんなりと中へ入ることが出来た。

 予約席の客が来るまでの三十分間だけという条件付きだ。


「うわぁ、綺麗」


 窓際の一番奥にある、外へ向けた二人掛けのカウンター席。

 窓からの眺めは家のベランダから見るよりもずっと低かったが、いつもより大きな東京タワーと、位置が反対になった白銀の慰霊塔が見える。


「店長さんと知り合いって事は、食品関係のお仕事なんですか? それともデザインとか設計とか……」

「ハズレ。そんなに必死に考えなくてもいいよ、僕の名前なんてそんなに知りたい?」

「知りたいです。だって、何て呼んでいいか分からないから」

「ユキでいいじゃない」


 もう意地でも本当の名前を知りたいと思ってしまう。


「さっきはあそこで何してたの? どっかの帰りだった?」

「そうじゃないです。クリスマスなのに一人で家に居るのは寂しいなと思って。それで、出掛けてみたんだけど」


 私は正直にその経緯を話した。

 本当はハワイに行くはずだったのに、両親が行ってしまったこと。一人でサンドイッチを食べたこと。

 それをずっと聞いてくれる彼の笑顔が優しかった。運ばれてきたカフェラテが甘く感じる。


「仕事以外で誰かといるクリスマスなんて、僕も久しぶりだよ。ありがとね」

「そんな。私なんかですみません」

謙遜けんそんすることないよ。それより、ジャスティが好きなの?」

「はい。受験で落ち込んでた時に励ましてもらったから。二年前、勉強サボって元旦のライヴに行ったんです。たまたま誘われたんだけど、私も頑張ろうって気持ちになれて」

「元気いっぱいだもんね、彼女たち」


 アイドルグループというだけあって、ファンは圧倒的に男子が多い。

 彼もアイドルが好きなのだろうか。


「はい。あ、けどそのライブの後、事件に遭遇しちゃったんですけどね」

「事件?」

「会場近くの公園で友達と余韻よいんに浸ってたら、突然キーダーとバスク……? の戦闘が起きたんですよ」

「二年前の、元旦……」

「あっという間だったから、ニュースにはならなかったと思います」


 コーヒーのカップをテーブルに置いて、彼は少し驚いた顔をする。


「私、その時初めてキーダーを見たんです。女の人でした!」


 思わず声が大きくなって、慌てて口を押さえた。

 それは日本人でほんの十数人しかいないという、特殊能力を使う人の事だ。

 彼等は『キーダー』と呼ばれて、この日本を守っている。

 あの日初めて見たキーダーに興奮して、私はいまだにその事を周りに自慢している。


「ほら、あそこ! あの塔もキーダーが絡んでるんですよね?」


 私は興奮気味に窓の外を指差した。

 東京タワーの横で白銀に光る塔は、七年前に起きた爆発事故を供養するものだ。


「あれはキーダーとはちょっと違うはずだけど」

「そうなんですか? けど、キーダーは隕石から日本を守ったんですよね?」


 彼は「そうだね」と笑って細めた目をその塔へと向ける。

 隕石が東京に落ちたのは、それよりももっと前の話だ。彼らが『英雄』と呼ばれるきっかけとなった事件だという。


 とにかくキーダーは凄い人たちなのだ。

 あの時突然広がった白い光を怖がっていた人も居たけれど、私は全然そんなことなかった。

 キーダーの実態を詳しくは知らないけれど、憧れの対象としては十分すぎる人たちだ。



   ☆

 30分なんてあっという間だった。

 約束の一時間まであと15分。急に込み上げる寂しさを我慢しながら、彼の横を歩く。

 雪はそう強くなかったが、地面がうっすらと白く染まっていた。


「弁護士さんとかじゃないですか?」

「はずれ」


 この問題も解けそうになかった。

 一歩一歩削がれていくタイムリミット。今自分が歩いている方向の先が駅だと分かった途端、もう終わりだと思ってしまう。


「まだ少しあるかな」


 彼は銀色の時計を見やって、「どうしよっか」と私の顔を覗き込んでくる。

 帰りたくない。

 これで最後になんてしたくない。


「さよならなんて、言いたくないです……」


 小さく、小さく、囁いた本心は、きっと彼に届いてはいない。

 急に視界が霞んで、それが涙だと理解した途端、大粒の雫が頬を伝って地面に落ちた。

 びっくりした彼が、私の背にそっと手を置く。このまま抱き締められたいと思うのに、そんな上手い展開にはならない。


「だ、大丈夫です」


 拭っても拭っても止まらない涙。子供みたいに泣きじゃくって、ぐしゃぐしゃの顔を彼に向けた。

 あと五分。このまま泣いていたら、それだけで終わってしまう。


 そう思うと少しだけ涙が引いて、どこからか子供の泣き声が聞こえてきた。

 ベーカリーの外に飾られたサンタのイルミネーションの前に、泣きじゃくる小さな男の子と、困り顔の母親がいる。


 子供の右手が指さす先を目で追うと、電線に絡んだサンタクロースの風船が見えた。

 「あれか」と呟いたのは彼だ。

 どうやら男の子が手放してしまったものらしい。


「あれって危ないんですよね?」


 そんな注意書きをどこかで見たことがある。

 「そうだね」と険しい表情の彼。

 子供の声は更にヒートアップして、道行く人たちが何事かと空を見上げた。


「どうしよう。電話……したほうがいいのかな」


 私の中にはその風船を取り戻すなんて考えはなかった。これは仕方のない事だと思う。

 けれどスマホを取り出した私に、彼は「いらないよ」と言った。


「僕の負けだ」


 少しだけ残念そうに呟いて、彼は風船の真下に歩いていく。

 何だろうと思って、右手を高く掲げた彼の綺麗な横顔と風船を交互に見つめていると、そこに奇跡が飛び込んできたのだ。


 ヒュウと吹いた風が彼の柔らかい髪とマフラーを揺らしたその時、風船がフワリと電線を離れた。

 「わあっ」と男の子が歓声を上げる。


 もしそれが風の仕業なら、サンタクロースの風船は空に舞い上がっただろう。

 それなのに風船は紐を下に垂らしたまま、彼の手に吸い込まれるようにゆっくりと下りてきたのだ。


 彼の手中へと風船が納まり、男の子が駆け寄って来る。

 「どうぞ」としゃがみこんだ彼から風船を受け取って、男の子はいっぱいの笑顔を広げた。

 何度も「ありがとうございます」と頭を下げる母親と男の子を見送った彼は、呆然ぼうぜんとする私の元に帰って来る。


 まだタイムリミットは残っているだろうか。

 そんな魔法を使える人の職業なんて、考えなくても明確だ。


「何で取ってあげたんですか? あんなことしなきゃ、気付かなかったのに」

「別に、隠さなくてもいいかなって思ったから」


 穏やかに笑んだ彼に、私はその言葉を伝える。


「キー……」


 しかし、それ以上は言わせて貰えなかった。

 彼の人差し指に、唇を塞がれてしまう。冷たくて硬いその感触に、全身が震えた。


「僕の名前は彰人あきひとだよ」

「あきひと、さん……」


 「うん」と答えて、彼は私の手を掴んで歩き出した。

 駅への道とは反対方向。嬉しくて、恥ずかしくて、飛んでいきそうになる意識を必死に留める。


「でも、銀環してないですよね? キーダーはみんなしてるんじゃ?」


 キーダーは銀色の環を付けていると聞いたことがある。けれど彼の手首に巻かれているものは、銀色の時計だ。

 さっき風船が下りてきたのは、彼の仕業だとは思うけれど。


 少しだけ疑う私に、彼は小さく苦笑する。


「信じなくてもいいよ。ただ、僕は少し特殊なだけ」

「ごめんなさい。信じます!」


 慌てる私に彼はたくさんの笑顔をくれて、一枚のカードを見せてくれた。

 テレビか何かで見たことのある、キーダーの所属機関であるアルガスの章が刻印されたものだ。今より少しだけ若い彼の写真の下には、確かに『キーダー』の文字が入っている。


「遠山彰人さん……本当なんですね」


 これが最後だなんて考えたくなかった。一時間はもうとっくに過ぎている。

 「さよなら」を覚悟できずにいると、人気のない橋の上で彼は足を止めた。


「ちょっと遅くなっちゃったけど。今日はイブだから、あと一つだけお願いを聞いてあげる」


 それは突然のプレゼントだった。

 タイムリミットをあと30分時間を伸ばそうかと考えて、「ううん」と小さく首を振る。

 これで最後になってしまうのなら、後悔はしたくない。


「じゃ、じゃあ、抱いて下さい!」

「え?」


 ストレートに。いや、そうじゃない。

 頭の中で繰り返した自分の言葉は、何だかニュアンスがおかしかった。


「あ、あの、そうじゃなくて。だ、だだ……」


 抱き締めて下さいと言いたかったのに。


「ごめんなさい」


 もう消えてしまいたかった。

 混乱して立ちすくむ私に、彼は「わかった」と手を伸ばす。

 掴まれた腕を引き寄せられて、そのまま彼の胸に抱きしめられた。


 余りにも突然だった。

 コートの冷たい感触に顔を埋める。

 見上げた彼と目が合って、キスされるのかと期待してしまった。けれど、目を閉じると額に乗った掌にやさしく頭を撫でられてしまう。


 少しだけ残念な気持ちを滲ませて目を開く。

 最後の別れは自分から言いたかった。

 名残惜しくて、まだその胸に戻りたいけれど。自分からそっと彼を離れた。


「また会えるよ」


 別れの言葉より先に、彼はそんなことを言った。

 叶わない期待なんてさせないで欲しいのに。


「ほんとですか?」

「ユキちゃんに何かあったら、僕が助けに行くから」

「キーダーだから?」

「うん」


 キーダーの仕事は、交通事故とか殺人事件を処理する事じゃない。

 ちょっと不思議な、危険な、そういう事件に自分が遭遇する確率なんて低すぎる気がするけれど。


「じゃあ、待ってます」

「うん。とりあえず、大分遅くなっちゃったから、送ってくよ」


 「やったぁ」と思わず出てしまった声に、彰人さんが嬉しそうに笑ってくれる。

 それだけで今は満足することが出来た。


 雲の合間から覗いた少し欠けた丸い月を見上げて、残りの帰路を彼と歩いていく。


                                  END 



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