55 飛び出した影

 京子の趙馬刀ちょうばとうが青白い炎を吹き出すのと、彰人あきひとの視線が京子の背後へ外れたのは同時だった。

 彼が見据えた先でパンパンと乾いた銃声が無数に鳴って、京子は「ひっ」と戦慄を走らせる。


 狙われたと思って、すぐにそれが自分たちの位置まで届いていないことに気付く。

 カンカンと背後に響いたのは、銃弾が何かに弾かれる音だ。

 振り向いた芝生の上に弾が散らばっている。


「ごめん」

「京子ちゃんのせいじゃないでしょ?」


 辺りが彰人の気配でいっぱいになる。ずっと抑えられていた彼の気配が解放されて、京子のすぐ後ろに透明の壁が生成されていた。きわがほんのりと白い光で被われ、円形であることがわかる。

 狙われたのはもちろん彼だが、実弾への恐怖に京子の趙馬刀がみるみると光を失う。


「私、当たってたかも」

「そんなことないよ。きちんと僕だけ狙って来た」


 彰人の視線の先には、破壊された三階の窓がある。仄暗ほのぐらく光った照明の手前で、いくつもの黒い影が揺れていた。


「あそこから撃ってきたの?」


 距離はおよそ七十メートル。アルガスきってのスナイパーは、兵士と呼ばれる護兵ごへい達だ。

 けれど彼らはノーマルで、前線部隊ではない。今回は戦闘命令が出ていないはずだ。


「相当腕は立つみたいだけど、ノーマルごときが僕を狙ったのは浅はかだったね」


 『どうした』とイヤホンに届いたマサからの声に、京子はマイクのスイッチを入れる。


「彼が現れたの。三階から銃撃があったけど、マサさんの指示?」

『銃撃? 護兵か? 俺じゃねぇぞ……』

「でも、こっちにダメージはないよ。危ないから引かせて!」


 かれの前で、こんな話をしても良いのだろうか。

 躊躇ためらいながら報告する京子の横で、彰人が頭上へと高く手を掲げた。


「駄目っ、彰人くん!」


 彼の手から光が放たれて、三階の窓から悲鳴が響く。

 意思を反した見えない力で、幾つもの黒い影が闇へと引きずり出される。


「やられた分くらいは返さないとね」


 低く柔らかな彰人の声は、愉悦ゆえつさえはらんでいた。

 重力のまま降下する影へ向けて、京子は趙馬刀を持ったままの右手を伸ばす。


 影は四つだ。落下速度を予測して力を込めるが、二階の窓辺で一度静止した影はよろよろと再び重力を掴む。


 ビー玉とは違い、四人分の重量は想像以上だった。

 全部の影を捉えることは出来たが、気を抜けば力の軸を外し落下させてしまう。


 スピーカーから届くノイズ混じりのマサの声が、わずらわしくてたまらなかった。


「頑張るね、京子ちゃん」

「……くぅ」


 闘争心などかけらも見せず、のんびり見守る彰人に苛立つが、声にして吐き出す余裕はない。

 ここで彰人がもう一度力を放てば、四人の命など簡単に奪うことができるだろう。しかし彼は何もせず、足掻あがく姿をただ眺めている。

 徐々に落ちた四つの影は、一階の窓の位置からドスリと音を立てて転げた。


 開放された手を振り下ろした所で、京子は彰人の姿が消えていることに気付く。

 アルガスの至る所に気配が散らばって、京子にはもう個々の気配を追うことができなかった。


「ごめん、マサさん。見失った。建物の方へ向かったと思う」


 報告して、京子はまず四人の落下地点へ走る。

 飛び散った窓ガラスが足元でバリバリと音を立てた。四人全員が護兵だ。

 さっき正門にいた二人と、最初に居た少女も居る。京子の姿に四人は慌てて立ち上がり、先に落ちた銃を拾い上げて横一列に敬礼する。


「ありがとうございます!」

「ありがとうじゃないでしょ。命令なしでやったの?」

「申し訳ありません」


 一番大柄の男に続いて、三人も頭を下げた。

 白く光る三階の窓は、真下から見るとやたら遠い。暗がりの中全員が無事だったことは奇跡に近いかもしれない。


「罰則を覚悟すれば何やってもいいわけないんだからね? みんなはもういいから、地下へ行って。ノーマルには危険すぎるよ」


 声高に言って、四人一人一人と目を合わせる。毅然きぜんと構える男子三人の横で、少女が斜めに抱いた銃を震わせていた。


「ほら、早く! 命令だよ!」


 京子が四人に背を向けると、イヤホンから大舎卿だいしゃきょうの声が響いた。


『来たぞ、浩一郎じゃ』


 京子は息を呑み、指示を待つ足をアルガスの裏へ向ける。

 いつの間に門を抜けられてしまったのだろう。全く気付くことが出来なかった。

 続いたのは、息を切らせた綾斗の声だ。


『息子も来ました。二人です。マサさん、指示をお願いします』

『逃がすなよ、三人で絶対阻止だ』


 声を張り上げたマサの言葉を最後まで待たずに、京子は地面を蹴った。

 再び握り締めた趙馬刀にてのひらが汗ばむ。

 感覚を研ぎ澄ませながら、京子はふと浩一郎のことを思い出していた。


 彼は目元が彰人と似ていると、幼馴染の陽菜ひなに聞いている。

 家族ぐるみで交流のある彼女を昔はねたんだものだが、実際「一緒に」と誘われると京子は恥ずかしさから毎回断ってしまっていた。


 一度だけ彼の家に行ったのは、林間学校で迷子になった出来事からすぐのことだ。学校帰り、彰人に声を掛けられた。


 ──『今日、僕のうちへ遊びに来ない?』


 彼を意識して間もない京子は、その機会に心臓を高鳴らせながら誘いを受けた。


「浮かれてたんだなぁ」


 ぼそりと呟いて先を急ぐと、建物の陰に隠れた向こう側に強い気配を感じた。

 門に向いた正面とは違い、裏は鉄塔の明かりだけで薄暗い。


 闇の中にいた四人の中に浩一郎の姿を見つけて、京子は「あぁこの人だ」と納得する。

 陽菜が言う通りのダンディな男だ。あの日見た記憶と一致する、彰人をそのまま老けさせたような温厚な笑顔は、とてもアルガスに急襲を掛ける敵には見えない。


 非常扉の奥に地下への入口がある。

 裏口の前で円陣を組むように対峙する四人に近付き、京子はそっと綾斗の少し後ろへ移動した。

 険しい表情のキーダーに対し、余裕を見せるバスクの二人。


 彰人は京子に「いらっしゃい」と笑顔を向けた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る