31 平野の決断

 店に「わっはは」という平野ひらの豪快ごうかいな笑い声が響く。


 『恋人に会いたいから仕事を早く終わらせたい』という本音を吐き出して自己嫌悪におちいる京子に、彼は「面白ぇな」と繰り返した。


「その調子だと、恋愛も無理してるんじゃねぇのか」

「そんなことありません……」


 京子は空になった湯飲みを手元から遠ざけた。これ以上は駄目だ。


「まぁはたから見ればアホなことでも、本人にとっちゃ真面目な話だったりするからな。仕事も恋愛も、周りや相手に振り回されるこたぁねぇ。自分の価値観は大事にしろよ?」


 酔っぱらった頭にその言葉が重く刺さって、京子は「はい」と胸を押さえた。


「平野さんは、『大晦日おおみそか白雪しらゆき』のことを覚えていますか?」

「何年か前の……東京に穴が開いたやつか」

「そう。五年前の大晦日に、東京の住宅街で起きた事件です。半径八十メートルが一瞬で焦土しょうどになって」

「あぁ、そんなんだったな」


 あれだけ大きな事件でも、その土地を離れれば他のニュースと大差ないのだ。灰色の風景が脳裏に蘇って、京子は震え出す手を握り締めた。


「あれはバスクが起こしたものです。五年経った今でも、犯人がまだ捕まっていません。あの事故で亡くなったのは四人で、そのうち三人が私の恋人の家族なんです」


 平野が「そうなのか?」とグラスを置いた。


「私はあの時キーダーだったのに、すぐに駆け付けることができなかった。だから、せめてキーダーとして事件の真実を知りたい。かたきを取りたいんです」

「俺じゃねぇぞ」

「そうでなくても、貴方がバスクだと知った以上、野放しにはできません。もう後悔はしたくありませんから」


 あの日実家に帰らなかったら。

 すぐに駆け付けることができたら──毎日そんなことを考えている。

 振り返っても過去に戻ることはできないのに、彼の家族が全員死ななくて良かったのかもしれないと思ってしまう。


「だいぶ病んでるな。なぁ、俺が言うのも可笑おかしいけどよ、その被害者がアンタの恋人の家族っつうのは置いといて、そんなに自分を責めるんじゃねぇよ。言っただろ? 能力が使えるからって俺はあんた等に期待してねぇし、自分がなったとして出来るとも思えねぇぜ」


 大舎卿だいしゃきょうが隕石から人々を救って、英雄になった。キーダーは常にそうあれと言われているような気がしていた。


「わかってはいるんですよ。でも……自分に納得できることをしないと」

「真面目だなぁ。酒の飲みっぷりとは真逆だな」


 平野の顔を見上げて、京子は少しだけ彼を睨んだ。話すことは話したと思っている。

 銀環をしない能力者バスクだという自覚がなかった人間ならともかく、彼はこちらが来ることを予測していた。なら、もう答えを出す時間だ。


「平野さん。私の主観になってしまいますが、やはり能力を消した人トールを受け入れていただきたいんです」

「アンタは……」


 何か言い掛けた平野の声に重ねるように、激しく入口のドアが叩かれる。


「京子さん! 京子さん、無事ですか!」


 綾斗あやとだ。

 きっと『だだ漏れ』の気配を読み取って、京子が中に居る事が分かったのだろう。

 興奮気味の打音に眉を吊り上げ、平野は足早に入口へ向かいドアを開けた。


「無事ですか、京子さん!」


 睨み付ける平野に硬く頭を下げ、綾斗が京子の元へ駆け込んでくる。


「心配したんですよ。電話しても出ないし、あのまま倒れて救急車で運ばれたらって……」

「ごめん、綾斗。あんまり無事じゃないかも」


 綾斗は京子の酒気に眉をひそめ、「失礼します」と前髪と額の間に手を滑り込ませた。


「熱いですよ?」

「でも、これでも大分落ち着いたんだよ。倒れてるところを助けてもらったの」

「倒れたんですか!」


 えへへと笑う京子に綾斗が「京子さん!」と叱咤しったする。


「やっぱり無理矢理でもホテルに戻ってもらえば良かった。俺が居るんですよ? 無茶しないでって言ったじゃないですか。京子さん一人で突っ走らないで下さい」

「大袈裟だよ」

「倒れた人が何言ってるんですか!」


 ピシャリと言い、綾斗は改まって平野にもう一度頭を下げた。


「ありがとうございます」

「だから俺は何もしてねぇよ。……なぁ、アンタはこんな頭の固い酒乱しゅらんの下で仕事して、それでもキーダーを選んで良かったと思うのか?」


 突然何を聞いてくれるのだろう。京子は酔いも覚める勢いで、驚愕の表情を綾斗に向けた。

 しかし綾斗は悩む素振そぶり一つ見せず、一息に答える。


「良かったと思っています。後悔なんてしていません」


 平野は「ほぉ」と眉を上げて、意味深な笑みを浮かべた。

 余りにもはっきりとした綾斗の答えが、京子には法螺ほらのように聞こえてしまう。


「俺は、彼女の仕事に対する姿勢を尊敬してます」


 め言葉として受け取っても良いのだろうか。

 平野は長い溜息を吐き出した。


「……そうか。キーダーも色んな奴が居るんだな。もう少し早く名乗り出れば良かったか」

「トールになること、承諾していただけますか?」


 京子は顔をほころばせる。くるりと回した椅子から飛び降り平野に駆け寄るが、彼はすっと手を前に広げてその勢いを制止させた。


「条件がある。最後に一発撃たせてくれ。そしたら諦めてやる」


 にやりと笑う平野だが、その表情は少し寂しそうに見えた。



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