スラッシュ／キーダー（能力者）田母神京子の選択

１８ 異性を連れて実家に帰るということ

　郡山で新幹線を下りると、空気が一変した。

　寒かった筈の東京が恋しくなってしまうようなキンとした空気に全身が震え、京子は取り出したマフラーを首に巻き付ける。

　雪は大分溶けているが、建物の端に追いやられた塊が黒く残っている。

　駅前広場に飾られた点灯前のイルミネーションを横目にタクシーへ乗り込むと、十分程で京子の実家に着いた。

　純和風の二階建てで、そろそろ築四十年を迎える家だ。道路拡張の区画整理に引っかかった土地で、祖母が生前に良く「昔はもっと広かったんだ」と言っていたことを思い出す。

　それでも５ＤＫの庭付き一戸建ては、兄弟のいない京子にとって広すぎる家だった。

「ただいま」

　横開きのガラス扉をガラガラと開けると、父親の忠雄（ただお）が「おかえり」と迎えた。

「お父さん、明けましておめでとう」

「おぅ、おめでと」

　記憶よりまた髪が薄くなっているが、いつもと変わりない様子にホッとする。羽織ったかすり模様の半纏（はんてん）は、去年の誕生日に京子が贈ったものだ。

「お邪魔します。すみません、僕まで泊めていただいて」

「気にすんなって。俺は今日組合の新年会に出るから、適当に使ってくれればいいよ」

　綾斗は「ありがとうございます」と頭を下げ、京子に続いて靴を脱いだ。

　二階に荷物を上げ、茶の間に下りて仏壇に手を合わせる。京子の祖父母と母親のものだ。母親は京子がキーダーとして上京する少し前に病気で亡くなった。

　綾斗が線香をあげると、忠雄が台所から運んできたお茶をテーブルに並べる。

　コタツを勧められ、綾斗は「ありがとうございます」と力の入った正座を崩した。

「うちの実家なんだから緊張しなくていいよ」

「こういうの初めてなんで」

「んもぅ！　来たいって言ったのは綾斗でしょ？」

　東京駅のホームで慌しく買った箱を忠雄に渡し、京子もコタツに足を入れる。久しぶりの温もりが気持ち良い。

　忠雄は受け取った黄色い包装紙を見て「これかぁ」と黒い太眉をしかめた。

「甘いのいいわ、オレ。煎餅（せんべい）とかが良かったな」

「そういうこと言う？　食べなくていいよ、私食べるし。東京ばな奈好きだもん」

　ぷっと頬（ほお）を膨らませ、京子は忠雄から東京ばな奈を奪い返す。

「悪いな。まぁ、元気そうで良かったよ。大舎卿（だいしゃきょう）さんも元気か？　いつもの買っといたから、宜しくって渡しといてくれ」

　忠雄は部屋の隅に置かれた紙袋を視線で指し示す。帰省の度に忠雄が大舎卿へと用意してくれる地酒だ。

　生まれたばかりの京子に銀環を結びに来た大舎卿へ、忠雄が贈ったものだという。京子が十五歳でアルガスへ入り、大舎卿が「うまかった」と懐かしんだことをきっかけに、毎回の帰省土産になった次第だ。

「ありがとう、喜ぶよ。まだまだ元気で日本中飛び回ってるんだから」

　「そうか」と答える忠雄は、小さな印刷工場の社長だ。小柄だが還暦を過ぎたにしては大舎卿並みの筋肉で、昔陽菜（ひな）が「野生的だね」と目を丸くしていた。

　「お父さんも元気そうで良かった」と京子が安堵すると、忠雄は急に落ち着きなく綾斗と京子をジロリと見つめる。

「で、お前たち、話は？」

　「は？」と首を傾げる京子に、忠雄はにやにやと口元を緩める。

「お前たち、結婚の挨拶に来たんだろ？」

「ええええっ！！」

　驚愕する京子の隣で、黙ってお茶をすすっていた綾斗が悲鳴に近い声を上げた。

　　　☆

「ごめんね綾斗、お父さん変な事言って。怒ってる？」

「別に怒ってはいないですけど。びっくりしたって言うか」

　忠雄は勘違いの一件後、早々に新年会がある温泉へと出掛けていった。

　二人きりになった茶の間で京子の煎れ直した緑茶をすすり、綾斗は肩を落とす。

「俺、京子さんといるとそんな風に見えるんですか？」

「不服そうに言わないでよ」

「だって俺、高校生ですよ？」

「年下の彼がいるって話はしてたから。コレのせいでそうだと思ったのかな」

　左の掌（てのひら）を広げて、京子は指輪を見せる。

「左の薬指に指輪なんて、お父さんじゃなくたってそう思いますよ」

　トンと湯飲みをテーブルに置き、綾斗はスネた表情でじっと京子を見つめる。

「……そういうもの？　綾斗も思ったの？」

　京子は目の前に左手を広げた。指輪の場所なんてあまり気にしていなかったが、言われてみると意味のある場所だ。

　桃也の指輪を見ていた視線が物欲しそうに映って買ってくれたものだと勝手に解釈していたが、他に何か深い意味があるのだろうか。

「だって、ぷ、プロポーズとかされた訳じゃないし。桃也まだ大学生だし。大体、他の指には入らないんだもん」

「動揺してますよ、京子さん。まぁ今はペアリングを左の薬指にする人もいるから、何も言われてないなら深い意味はないのかもしれませんね」

　それはそれで、はっきり否定されると寂しいものだ。

「それと京子さん、これから飲みに行くって言ってましたよね。俺も連れてって下さい」

「綾斗高校生でしょ？　お父さんも居ないしコンビニもすぐそこだから、家でのんびりしてればいいよ」

　面倒そうな京子に、綾斗は「そんな」と抗議する。

「高校生の俺に知らない土地で孤独な一人飯しろって言うんですか」

　着いて行きたいと言って京子の実家に前泊した綾斗だが、それだけでは満足できなかったらしい。好奇心が人一倍強いのは知っているから、こうなる予想はしていた。

「わかったって。連れてってあげる」

　綾斗は途端ににっこりと笑顔になり、小さく「やった」とガッツポーズを決めた。