Gate of World前日譚―これは福音にあらず―

三浦常春

1話 僕も王様になりたいから

 一一七番植民地ことカップランド。その片隅にそびえる教会で、イアンの一生は始まる。始まる、というのもおかしな話ではあるが、少なくとも彼にとって「人生の始まり」はその時点であった。


 木で出来た粗末な剣を握り、ワラを束ねた人形を相手に汗を流す。


 八歳。幼少期を「愛国心」のもとに過ごしたイアンは、虚無の日々を送っていた。


「さあ、みなさん。頑張りましょう。私達に、長年の変わらぬ寵愛を授けてくださる王の為、一日でも早く国を守れるようになるのです」


 イアンが身を置くダージリン教会の支配者、神父が唱える。未だ神々しい輝きを放つ城を見上げるその様は、さながら神に仕える天使のようであった。


 天使、天使ね。イアンは一人鼻を鳴らす。


「頑張ります、神父様」


 思ってもいない言葉を吐いて、にっこりと人受けのよい笑みを作る。そうすれば周りの子供達も負けじと返事をしてワラ人形を叩き始めるのだから、滑稽と言うより他ない。懸命に戦闘訓練に打ち込む子供を横目に、イアンもゆるゆると腕を持ち上げる。


 とっくの昔に筋肉は限界を訴えていたが、それを嘆く暇はない。少しでも手を止めれば、これまで築いてきた信頼が――『王の期待に応えようとする健気な少年』像が崩れてしまうのだ。


 カップランドに生まれた子供は皆、カップランドの為に教育を受け、カップランドの為に子を作り、カップランドの為に死ぬ。そうして一生を終える。これは、いつからか定められていた理であった。


 “親なし”も例外ではなく、幼いイアンもまた国に使い潰される運命なのだと察していた。


 ここは地獄だ。箱庭の中で管理され、ゆっくりゆっくりと、真綿で撫でるように削り殺される。望んでこの地に生まれた訳でもないのに、それが当たり前だと、それどころか名誉であると教えられ、疑う余地もなく死んでいく。


 隅から隅まで管理され尽くしたこの国に逃げ場などなく、早くにそれに気づいたイアンは、土の中にいるかのような息苦しさを覚えていた。


 ふと、イアンは手を止める。首の後ろを掠めるのは、チリリとした視線。手を止めてその方を見やれば、どこにはひどく貪欲な、それでいて純粋な一対の瞳があった。


「……え」


 太陽の光を受け、きらきらと輝くその姿。幼くもキリリと引き締まったその顔はさながら人形と呼ぶに相応しく、触れ難いほどに美しい。両親に両手を引かれる、幸せの象徴のような少年は熱心に“負け組”を見つめていたのであった。


「おやおや、いらっしゃいませ。どうなさいました?」


 ニコニコと寒気のするような笑みと共に神父が近づいていく。


 その家族はお世辞にも綺麗な身なりとは言えなかったが、その目は決して神父に媚びなかった。どうやら情けを請いに来た訳ではないようだ。とすれば、美しい少年も新たな“友達”ではないのだろう。


 思わず安堵すれば、少年がずいと歩み出る。両親の手を握ったまま――いや、正確には捕らわれたまま、枷を振り切るように叫ぶ。


「ここにはっ、次の王様がいるってホントですか!」


 空気が冷え込んだ。いつもはニコニコ顔の神父も、泣き虫をいじめるガキ大将も、本ばかりにかじり付く知識欲のモンスターも。皆が皆、一様に沈黙する。そのような空気に臆することなく、少年はさらに続けた。


「王様は、小さい頃教会に住んでいて、いっぱい努力してドラゴンや魔王を退治して、それで王様になったんですよね? だから教会に行けば、次の王様に会えると思って!」


 引き締まった顔には似合わない、ひどく無邪気な表情であった。背丈から推測するに、その少年はイアンと同じ五歳であろう、あるいはその前後か。


 カップランドに生まれ、カップランドに育った同じ『子供』だというのに、目前の少年はイアンとは全く異なる人生を歩んでいるようだ。内心歯噛みをしつつ、ゆるりと木刀を降ろす。


「……どうして、そんなに次の王様に会いたいの?」


「僕も王様になりたいから」


 ひくりと口角を動かす神父がひどく滑稽で、冷え込んだ腹が愉快に染まる。


 自分も王になりたい。その願いは多くの子供が抱くものだ。しかしそれはあくまで幻想の話。ひとたび現実を知れば、喉が裂けてもそれを口にしようとは思わないだろう。


 この国は王の加護によって成り立ち、庇護によって維持されている。その崩御を先んずるどころか自らが王に成り上がろうなど、罰当たりもよいところだ。


 ああ、なんて無知で罪な少年だろうか。久方ぶりに覚える高揚をぐっと抑え込んで、イアンは続ける。


「王様はここにはいないよ」


 少年の目がこちらを向く。


「次の王様はいないんだ」


「どうして?」


 王様は変わるものだ。そう目を瞬かせる少年。ちらりと少年の両脇に控える男女を見上げれば、二人もまた微笑ましげにこちらを眺めている。


 よく見れば、二人の手首には三角の印が彫られている。他所から移住してきたことを知らせる印――なるほど、余所者たる両親の産物がこの少年という訳か。


「この国の王様は不老不死だからね」


「不老不死!?」


 パッと目を開き、少年は声を張る。喜色のにじんだ声質に耳が痛んだ。


「すごいや、きっと黄金のリンゴを食べたんだね。じゃあ王様は、やっぱりドラゴンや魔王を退治したすごい人なんだ!」


 まさかと思った。


 玉座で指示を飛ばすだけの王のどこが偉いのか。ただふんぞり返るだけが仕事のヒトが、昔話よろしく偉業を重ねた訳もなく、当然のことながら、不老不死を授けるという神の食べ物を口にする資格はない。あんなものは作り話に過ぎないのだ。


 だが無垢な少年がそれを知る由もなく、まるで卵からかえったひなが親を定めるように、ただ純真にイアンを受け入れた。


「僕はサミュエル。『貧民街』の方に住んでるんだ。……また、遊びに来てもいいかな」


 少年の訪問は毎日のように続いた。最初こそ不安定だった太刀筋は次第に安定してきて、三日後には藁人形の腕をへし折るほどになった。その上達ぶりは目を見張るものがあり、指南役を務めていた神父も腰を抜かすほどだった。


「すごいね、こんな短期間で」


「イアンがいっぱいアドバイスしてくれたお陰だよ」


 へらりと笑ってサミュエルは頬を掻く。肌が白い所為か、照れるとそれがよく分かる。


 イアンはサミュエルの友人という位置に落ち着いた。愉快な少年、という鑑定は間違いではなかったらしく、退屈で仕方なかった生活は、突如として春の風が吹いたように明るく色づく。


 だが、一つだけ誤算があった。


「サミュエルくん、今日も頑張っているね。王もきっとお喜びになるでしょう。遠征、期待していますよ」


「はい、神父様。来たるべき日には必ずや『プレイヤー』を捕まえ、王に献上します!」


 それは染まりやすかった、ということだった。この時ばかりは優等生の皮を忘れて頭を抱えたものである。

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