問題編 12,縺れ合う推理

「――犯行時刻の推理から真相に辿り着くことは到底無理なんですよ。犯行時刻が動画内の時刻であるなら未だしも、動画終了後から午前一時前に至るまで、誰もがアリバイのない中で容疑者を絞る方法は皆無ですからね」

 そんなことを平然と言ってのけた。

「お前は……」

 なぜ、それを先に言わないのか。そもそも、犯行時刻の話を広げたのは有馬だったではないか。

 安東はもはや彼の思考が理解出来なくなっていた。

 彼は真相に辿り着きたいのか、辿り着きたくないのか、あるいは既に辿り着いていて、安東達が苦心して議論する様に悦楽を満たしているとでも言うのか。

 分からない。

 安東は彼から目を逸らしつつ、

「犯行時刻から絞れないのなら、やはり銀の矢のアリバイを解くしかないのか……」

 そう呟いた。

 論点はもうないかと思っていたが、さっそく雪乃が疑問を呈した。

「……服に隠したという先ほどの議論から着想を得たのですが……どうして犯人は、銀の矢を矢筒ごと持って行かなかったのでしょうか……?」

「あの矢筒は軽いと言っても金属製だったからなあ。邪魔だったんじゃないっすか?」

 寺田はそう言うが、

「そうでしょうか。……私には九本もの矢を入れ物無しで運ぶ方が、難しく思えます」

 犯人は敢えて矢筒から矢を抜き出し、持ち運んだ。そこには何らかの意図があったのではと言いたいのだろう。

 だが、雪乃はそれ以上の推理に結び付かないようだった。

「単純な方法かもしれないけどよ、もしかして、塗り替えたんじゃあないか? ここは孤島だ。塗装に使ったスプレーなどは海に投げて隠滅出来る」

 今度は寺田が説を唱えるが、

「仮に塗装したとして、銀の矢のアリバイは崩せないだろう」

「そうか……。あー分からん。いったい犯人はいつどうやって矢を持ち出したんだ」

 寺田は脳内のSSD容量が限界を迎えたかのように頭を抱えた。

 再び、思考することに疲れてきているのだ。それは皆の表情を見ても同じで……。

 そんな中、

「分かったわ!」

 と、綾乃が驚くほどの大声を出した。

「ねぇ、隠してたとしたら……どう?」

「ん?」

 時折、綾乃は突飛な発想をすることがある。それは的外れなことが多いが、論理の飛躍が必要なミステリに於いては、彼女の推理が当たることも少なくなかった。

「……具体的に話してくれないか」

 だからというわけでもないが、安東は彼女の台詞を傾注して聞いた。

「寺田さんの言った塗り替え説の延長線上よ。阿曇さんが銀の矢を見なかったと言ったのは、嘘だったのよ。その銀の矢は、アルテミスの間のわたし達には見つからない場所に隠しておいたの。そしてアポロンの間にある金の矢を九本銀色に塗り替えて、犯行現場に残した。隠しておいた銀の矢の九本は、今朝になってから金色に塗り替えて、アポロンの矢に見せ掛けたんだと思う。これなら、銀の矢のアリバイは崩れるんじゃない?」

 誰も何も言わなかったのは、的外れな推理だったからではない。実行可能かもしれないという思いが芽生えたからだ。貴島は掃除前の午後九時十分に矢筒に入った銀の矢を確認しているが、就寝前は確認していない。しかもそれは犯人を名指ししたも同然であり……。

 寺田は今の説を慎重に吟味するようにして、問う。

「けどよ、どこに隠したっていうんだ? 俺達は女性の部屋といえど、しっかりと調べたぜ。阿曇さんだけに調べさせた箇所はなかったし、銀の矢が隠せるようなスペースなどなかったぞ」

「窓も隙間無く板張りされていたからな。隙間を通すことは勿論、隙間に挟んで隠す方法も無理だろう」

 安東も同調するが、

「そこが盲点なのよ。いい? 窓が陽光の入る隙間なく板が張ってあったってことは、内と外からは一見同じ板張りに見えるでしょ。でも、もしもそれが二重の板張りになっていたとしたらどう? わずかなスペースがあれば十分。部長さんとお姉ちゃんが調べた外側の板に外された痕跡が無いのなら、内側の板が外れるようになっているの。昨晩、阿曇さんはそのスペースに銀の矢を隠した。……再び内側の板を固定すれば、光の通らない空間に隠した物が発見されることはないわ」

 綾乃の推理に、全員が沈思黙考していた。突拍子もない説かと思いきや、有り得なくはない。むしろ逆だ。十分に実現可能な推理なのではないかと、誰もが考えを改めていた。

「だったら……。その窓を内側から触ってみれば分かるんじゃないか?」

「待って! 他の説を消すためにも、矢が塗り替えられたかどうかを実際に確認してみた方が効率的よ!」

 綾乃の言葉に、安東は頷く。寺田が休憩中にアポロンの間に片付けてしまった金の矢を取りに行こうと、息せき切って回廊に向かうが、それを阻止する声が飛ぶ。

「その必要はありませんよ」

 そこには、バトンを回す要領で、銀の矢をくるくると回転させている有馬の姿があった。

「こういうこともあろうかと、拝借しておきました」

 こういうこと、だと? 今有馬はそう言ったのか? ……つまりは綾乃が言った推理を、山小屋の騒乱のごく短時間で構築し、予め隠し持っていたとでも言うのか。

 こいつは、いったい何処まで先を見据えて……。

 有馬はぴたっと矢の回転を止める。鏃には遠山の血痕らしき黒ずんだ色が見えた。

「表面を削る最適な物ってありませんかね?」

 ニヒルに笑みを浮かべ皆を見渡す。

「ネイルケア用のヤスリなら持ってきてるわ」

「お願いします」

 綾乃は急ぎ足でアフロディーテの間まで行き、一分も掛からずに戻ってきた。有馬に渡したそれは、キュートな電動のネイルケアだ。

 見た目以上の振動音をさせながら、先端のセラミックビットを矢のシャフトに当てる。歯医者を思わせる摩擦音。削り取っていく度に舞う銀粉。しかし一向に金色は窺えない。

 試しに寺田や安東、阿曇までもが、代わる代わる様々な手法で確かめてみたが、金が下地に塗られていたとは考えられそうになかった。

「つまり、綾乃の推理は残念ながら外れていたということか」

 安東は自分で残念と言っておきながら、安堵している面が大きかった。もし塗り替えた色が物証として出ていたら、阿曇が犯人であることはまず間違いなかっただろうから。

 では、安東は誰が犯人ならいいと思っているのか。自身に問い掛けるが、答えは返ってこない。ミス研メンバーはもとより、貴島でさえ猟奇的な人間だとは思いたくない気持ちが強い。古代ギリシャを愛する女性が、神話にまつわる星座を用いて遠山を辱めたなどとは到底思えないのだ。これは論理なんてものではなく、百パーセントの感情論だった。

 綾乃はまだ納得しきれてないようで、

「わたし、アルテミスの間に行って窓を見てくるわ!」

 そう言って立ち上がった。

「待て。確認する以前に、今の推理には欠陥があると思わねぇか?」

 寺田が考えを巡らせながら、綾乃を落ち着かせるように言う。

「貴島さんは、捜索が始めるまでアルテミスの間の施錠はしたし、マスターキーも手放していないと譲らない。ということはだ。銀の矢が矢筒にあろうと、二重窓のスペースに隠されていようと、犯人にとっては手に入れる機会はなかったってことになるだろ」

「なるほど。考えてみれば室内から持ち出せない以上、この推理は成立しないわけか」

「そっか……空回りした推理をしちゃったね、ごめん」

 綾乃はぺたんと座り込み、必要以上に落ち込んでいるようだった。雪乃が慰めの言葉を妹にかける。それでも落ち込みようは強く、沈んだ眼で自嘲的な表情を浮かべていた。

「――そう言えば、部長さん。あの話はいつしてくれるんですか?」

 不意に、有馬が水を向けてきた。

 何のことだ?

「ほら、屋上から消えてたっていうアレですよ」

 ややあって気付く。動画の議論に熱中していて、もう一つ発見した事実を報告していなかったではないか。しかしあの話をしたところで、はたして解決の糸口になるのだろうか。とにかく、安東は一緒に目撃した貴島に話を振る。

「貴島さん、ハンギングバスケットの話をしていませんでしたね」

「そう言えばそうでしたねぇ」

「ハンギングバスケットだって?」

 寺田が初耳だとばかりに訝しげな眼で問うてきた。報告が遅れて申し訳ないと思いつつ、深夜に怪しげなそれを見つけたことと、今日になって例のバスケットが消失していた経緯を丁寧に説明した。

「じゃあ、犯人は何らかの理由があって穴の空いたバスケットを見られたくないと思い、回収したってことか?」

「だろうな。あのとき雨さえ降ってこなければ、……くそっ」

 つい悪態をついてしまったことで、安東は精神的余裕がなくなっていると気付く。

 それは他の人も同様で、特に綾乃は顕著だった。

「なんで……? どうして、あんな見立てをしたの……?」

 普段は怖い物なしの彼女の様子が、変調を来していた。

 声が震え出している。感情が不安定になっている証拠だ。それでも、よくここまで平静を保っていられたと褒めるべきか。

 安東には分からなかった。

 自分の状態さえ分からないのだから。

「ねぇ、猟奇的な犯行じゃないなら名乗り出てよ! お願いだから……まだ、間に合うはず……」

 安東もそれを切に願っていた。しかし、名乗り出るような人物ならば、既に自白しているだろう。

 安東は思う。仮にミス研の誰かの犯行ならば、どんな経緯があったにせよ、なぜ自分に相談してくれなかったのかと。休憩時間のときでも、いや、それ以前に、犯行後の夜中に叩き起こされても一向に構わなかったと思っている。それほどまで一人で抱え込まなければならない動機だったのか、あるいは自分など所詮サークル仲間の一人で、信頼に値しなかったのか。

 外部犯なら一応の説明が付く諸々の事柄も、銀の矢と動画があるせいで内部犯を追わざる得なくなっている。そうだ、これらの証拠さえなければよかったのに……。内部犯を信じたくない思いが、思考を転倒させていく。

 駄目だ。現実を見なければ……!

「狂った人間の仕業ではないのなら、そこには必ず意味があるはずです」

 と、有馬はあくまでも冷静に言う。

「一つ、貴島さんと阿曇さんにお尋ねしたいんですが、昨日、僕達がこの島に到着した夕方の五時前、お二人はどこで何をされていましたか?」

「今更アリバイ確認なのかい? でもなぜその時間に……まぁいいや。オレはずっと厨房にいて、君たちの為の晩餐の準備で忙しかったよ」

「私はお部屋や邸内の最終チェックを……」

「お互いにそのことを証明出来ますか?」

 二人はぱちくりと目を合わせた後、阿曇が答えた。

「台所や食堂にはドアはないからね。貴島さんが忙しくしている音は絶えず聞こえていたし、何気なく視線を巡らせたときに、姿も見ている」

「私も逆の立場で同じ事が言えると思います。台所から物音や足音、姿も見掛けました」

「どちらかが数分間、外に出た可能性はありませんか? 例えば……そうですね、クルーザーの到着に気付いて貴島さんが出迎えようとしていたことは」

「それはないね」

 阿曇がやや緊張を解いて言った。

「数秒の話ならもしかするかもしれないが、さっきも言ったように物音や姿を見てる。それに、この邸宅からではクルーザーの到着を知ることは出来ないんだ。桟橋や砂浜から邸宅が見えないように、エンジン音も届かないからな」

「なるほど……よく分かりました」

「この話は何に繋がるんですか?」

 貴島が問うが、「後のお楽しみです」と有馬は口元に喜悦の色を浮かべる。

 そして、フィナーレを迎える準備は出来たと言わんばかりに、声を大にして全員に宣言した。

「思い付く限りの手掛かりは出揃ってしまいましたね。しかし、ここに至り、犯人を特定する材料は十分に揃ったと思えます」

「……それは、凶器のアリバイも解けたということか」

 無論だというように、彼は笑みを深める。

「僕からヒントを出しましょう。顔が槍で貫かれていた理由から推理を発展させようとしている人達は、今すぐやめて、別の推理を模索するべきです。

 そしてもう一つ。着目すべきはやはり『凶器のアリバイ』であり、最大の手掛かりは『動画がなぜ無音だったのか』というところでしょうか」

 有馬が一瞥をくれる。

「さあ、事件は大詰めを迎えました。僕と同じ論理の道筋を辿る人が出来るだけ多くいることを、切に願いたいものですね!」

 解答に辿り着いた者だけが浮かべられる笑みがあるとすれば、まさに有馬の表情がそれを物語っているのだろう。

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