第7話 やりなおせるかな
日が変わり10日目の腕時計が示す数字は507となった。
前日の寝不足と、高梨の案による少しの安心感によって、よく眠れた者も多い中、急な相席が決定した古見だけはあまり眠ることが出来なかったようだ。
昨日岡部の部屋の鍵を捨てた後、このまま自室にこもるだけでは気分も滅入るので、できるだけまた皆でロビーに集まって食事をしたりしようという玉井の提案もあって、何人かが朝からロビーにいる。犯人が名乗り出ない状況に変わりはないのだが、岡部を犯人だと決めつけ、その岡部は殺しが出来ないから問題ないのだと言い聞かせることで安心できるのだ。
さすがに岡部は自重してロビーにくることはないが、彼女からしてみれば、自分のことを信じようとしてくれる人がいてくれて、元高梨の部屋に籠ることで皆が自分に対する警戒心を弱めていってくれるのであれば、それだけでとても嬉しかった。
昼までの間に岡部、飯島、知念、阿々津以外の全員が一度はロビーに顔を出した。思っていたよりも多くの者が姿を現し、このまま11人が集まった当初のような安寧な共同生活に戻ることが出来たらいいのにと非現実的な期待をしつつ、岡部以外の今日顔を見せていない3人に今日の夜ロビーで集まらないかと声をかけに行こうとする玉井だったが、空森に止められたので結局その場にいた高梨と古見が声をかけに行くことになった。
もう一度集まろうといった夜まで時間もあるのでロビーに集まった面々も次第に解散するのだった。犯人が名乗り出ていない以上、複数人となら安心して一緒にいられるが、誰かと2人きりでいる状況というのはやはり心のどこかで怯えざるを得ないだろう。
夜になるとロビーには次第に人が集まった。人のいる場所の方がかえって安心できるのだろう。岡部が犯人でない場合、その中に犯人が隠れていることになるが。
岡部を除く9人全員が集まり、自然と以前と同じロビーにある大きなテーブルの周りの椅子に座った。
「なんだか、こうして集まるのも懐かしいなあ。おい。」
柿原がそういう。
「あの時は、ほんと・・・」
顔を下に向けなあら小さい声で知念が呟く。
「もう一回やりなおせるかな。」
空森がそんな一言を呟いた。もちろんそれが理想だが、それはあまりに非現実的だ。
人が殺されている。犯人が自白しない。
しかし、それは無理だなんて野暮なことをこの場でいう者はいない。
いや、いた。玉井だ。
「それは無理だね。」
玉井がそう言い切った。どうしてわざわざそんなことを言うのかと呆れた視線が玉井に向けられる。
すると玉井は我慢していた思いをぶつけるかのごとく勢いよく話し始める。
「知念さんが考えを改めない限り、平和にはならない。本当は言うつもりもなかったんだけど、知念さん、ロビーにいた僕たちが一度解散した後に君が部屋に来て僕に持ち掛けた提案のこと、みんなに報告させてもらうよ。」
知念に皆の目線が移るが、知念は何も答えようとしない。
そこで玉井は話を続ける。
「今日、彼女は僕に言ってきたんだ。『岡部さんを殺すことに協力してほしい』って。」
一同は耳を疑った。殺す殺されるの話なんてもううんざりだった。岡部の件は部屋を移したことで解決したと思い込みたかったのに。それにこれほどかよわい女の子が人を殺すことを考えるなんて想像したくもなかった。
柿原はすぐに事実確認をするが知念はただ泣きそうな顔をして黙っている。
「なんで、君は僕の提案に賛成だっただろ。もう岡部さんを殺す必要なんてないって。納得してくれたじゃないか!」
高梨は思わず声を荒げる。これ以上どうしろと声を荒げた後に弱弱しい声でそう呟く。
消えかけの高梨の声が完全に途絶えた後、知念は恐る恐る話始める。
「だって、だって…しょうがないじゃん!」
弱弱しい声が急に感情的になり、知念は喚き始める。
「殺人犯だよ?一緒にいたくない。死んでほしい。怖い。特権がないからって何?頭イカれてるんだし、あの子が本気を出せば私なんて素手で殺せちゃうでしょ!コロ・・・嫌だ、嫌だ、嫌だからさあ・・・・!」
明知は泣きわめく知念を冷たい目で見ている。なんて非論理的なのだと馬鹿にしていることだろう。
結局知念にとっては、岡部は存在することすらも受け付けないらしい。
その後は長い沈黙が訪れた。知念の言いたいこともわからないわけではないが、そのことは全員部屋の入れ替えで一旦納得しよう話だったのに。それどころか明確な殺意をもち、協力をよびかける者まで現れた。場の空気がまたしても悪い方向へ向かっている。
「でもなんで、玉井君に協力頼もうとしたの?」
玉井のこととなると放っておけず、空森は空気を読まずそんな質問をした。
知念が答えるわけもないので、空森が空森の質問に答えた。
「知念はこう言っていた。『岡部を殺すためにあなたたちの特権が必要だ。』ってね。それと『私ならあなたの特権を最強にできる。』とも言ってきたね。」
どういう意味か説明するように柿原は知念を問い詰めるが当然知念は何も返事をしない。
皆が知念の様子をうかがう中、空森だけは顔を伏せている。
このままでは埒が明かないので、柿原は直球で質問をした。
「なあ玉井、知念はお前の特権を知ってるのか?それとお前の特権って何なんだ?」
玉井もすぐに返事をする。
「特権については内緒ってことで。でも知念の発言からして知念はおそらく僕の特権を知っている。」
「最強にできる、だとか言ったからか。」
柿原が尋ねると玉井がそうだと返事をした。
その後玉井は何か決心をつけたかのように知念の目を凝視して話し始める。
「こうやって暴露したことで君の恨みを買い、君の殺意の対象が僕へ移るかもしれない。実際今の僕の特権は何の使い道もない。あっさり僕を殺せると思っているかもしれない。だけど知念、僕らの特権はもう最強になる準備は出来ている。つまり」
その続きを言うべきではなかった。その続きを言ってしまえばそれこそ、もう関係の修復なんて絶対に不可能になる。そんな禁断の言葉を言ってしまう。
「つまり、僕はいつでも君を殺せる。」
長い沈黙の後、玉井は自分が言ってはいけないことを言ったのだと気が付いた。
岡部の件で少し落ち着いていた状況で殺すだなんだのと言いだす知念がとても憎かったのだ。だが結果として勢いで同じように、自分までも殺すだなんだと言い出してしまった。
発言を撤回しようと試みる玉井だったが、知念は恐怖のあまり泣き出して、おぼつかない足で走り、逃げるように自室に帰っていくのだった。
言いすぎでしょという阿々津の言葉に玉井は何も言い返すことが出来なかった。
結局は殺し合いなのか、それが運命なのかと。
もういいやと阿々津が席を立つ。もう今後集まるつもりはないとだけ言い残した。
阿々津が席を外すと一人、また一人とロビーから人が離れていき、ロビーには玉井と空森だけが残り、茫然自失の玉井を空森が頭をなでて慰めている。
空森はこれ以上ない満足気な表情だった。
11日目、腕時計の示す数字は506となった。昨日の玉井の件でこの日はロビーで集まることはなかった。玉井は昨日の発言を詫びようと知念の部屋に訪れるが、返事をしてくれない。それだけ彼女に恐怖を植え付けてしまったのだろう。
そして迎えた次の日、12日目。まだ残り505日、そう思って見た腕時計に示された数字は203となっていた。おかしい、昨日は506だった。今日は505のはずだ。おかしい。
その意味に気が付いた古見は急いで部屋を出て大きい声を出した。
「誰か、誰か、出てきてくれ!」
時計の数字が大きく減っている。これが意味する事象はただ一つだ。
飯島が真っ先に部屋から出てきて、古見は安心した。
「腕時計を見てくれ!」
続けて大きな声で古見が叫ぶ。遮音性の乏しい個室棟では、その指示で全員が腕時計を確認し、全員が安否確認のために部屋の外に出てくるのだった。
自然と全員が集まった。もう集まることはないと思っていたがまさかこんな形で集まることになろうとは。一昨日と同じ9人で。
おかしい、誰も欠けていない。一昨日と同じ9人が集まっている。
いいや、一人欠けている。一昨日集まりにいなかった者。
その人物の部屋の前に全員が急いで移動する。部屋の扉は閉まっている。
どれだけ扉を叩こうとも、どれだけ大声をあけても中にいるはずの人間からは返事がない。
懲役期間の大幅な短縮の理由も部屋の中から返事がない理由も当然全員わかっていた。
これらが意味することはただ一つ。
岡部裕子が死んだということだ。
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