3-後編

 ―― 綺麗。

 思わず、悠音はそう呟いていた。

 目の前に居る"存在"は、確かに先ほどの青年の顔をしていた。

 けれども髪の色が違う。そして人間にはありえない、二本の細い蒼銀の角。とうに鬼だと分かっていたにも関わらず、その姿を見るのは大きな衝撃でもあった。

 けれども ―― その美しさは"人"の姿をしていた時よりも更に強い。

 怖れよりも憧憬。そんな思いを抱かせる容姿。泣きたくなるほどに綺麗だと、そう思った。

「……どう、して? なんで姿が……変わったの?」

 悠音は目を見開いたままそう呟いた。怖れたのではない。ただ。なぜ今までその姿ではなかったのかという純粋な疑問から出た言葉だった。

 ついさっきまで。彼を鬼とは思いたくなかった自分が確かに居たのに。

 けれども今は ―― 鬼の姿に魅せられてしまっていた。その存在自体が、まるで魂を揺さぶるかのように。

「そなたが納得させろと言うたのであろうが」

 くすくすと、鬼の青年は笑う。

「だがまあ……ようやく我も真の姿に戻れたな。力が足りぬと、貧弱な人間のような姿に押し込められてしまうのだから屈辱的なことよ」

 茫然と自分の姿を見つめている少女に、実斐は可笑しそうに笑う。今度こそ、少女は自分が鬼だということを納得して慄いているのだろうと思った。

 だから。さらに脅かすようなことをさらりと言ってのける。

「そろそろ力も完全に戻ろうが……そなたは出口を探そうともせぬ。我に喰ろうて欲しいのだとしか思えぬが?」

 今まで眠りの中で蓄えてきた力は、空の器に水をそそぐかのように徐々に己が身に漲るように戻って来ている。自分の姿を取り戻すことが出来たことからも、あと少しですべての力を取り戻せるであろうことが実斐には分かっていた。

 彼女が休憩しようとこの場所に座りこんでから、既に一時間ちかくは過ぎているのではないかと思われた。

「あなたは ―― 私を"喰らう"つもりなんか、ないとしか思えないけど?」

 我に返ったように悠音は強い口調で言い返す。

 じっと青年の漆黒の瞳を見返す少女の眼差しには怖れも、憧憬の彩もすでになかった。ただ気負わぬ笑みさえも浮かんでいて、実斐は驚いたように目をまるくした。

「だって。本当に喰らうつもりなら、わざわざそんな脅かすようなこと言って急かしたりしないでしょ、普通」

 にっこりと、悠音は笑った。

 この青年が鬼だということはもう疑うべくもない。

 けれども。一緒に居た時間を思い返してみれば、その行動は本当に普通の人間と同じで。俗に言う『極悪非道な鬼』などでは決してないのだと、悠音には思えた。

 もちろん、この神苑に封じられたことを考えれば、それなりに悪いこともしてきたのだろうけれど ―― 。

「…………」

 内心を見透かされたようで、鬼の青年は嫌そうに眉をつりあげた。

 確かに自分は既にこの少女を喰らうつもりなどなかった。

 けれどもそれは、彼女が言うように自分が『良い鬼』だからというわけではない。人間を喰らうことに罪悪感などはない。この場所に封じられる以前はそれこそ幾人喰ろうたか分からないのだから。

 自分がやりたいと思ったことだけを行い、欲しい物は必ず手に入れる。自分はそういう鬼なのだ。

 いま己がしたいこと。それは、この少女を喰らうことではない。この閉じられた空間を、彼女とともに抜け出ることだ。

 そして ―― 欲しい物は自由。ただ、それだけのことなのだ。

 こんなにものんびりとしてなかなか出口を探そうともしない少女など放り捨てて、何故ひとりで封印を破ろうと思わなかったのか。なぜこの少女と"一緒に"と思ったのか。それは自分自身でも不思議だったけれど ―― 。

「……ふん。勝手にそう思うがよい。あとで後悔するのはそなただ」

 自分を良い鬼だと思いこむ少女に忠告めいた言葉を投げて、実斐はぷいとそっぽを向いた。

「はいはい。じゃあ、そろそろここから出るための鍵。探そうかな。あなたに食べられないように」

 まるで子供のような青年の仕草に、くすりと笑って悠音は言った。


 鍵を探して ―― 神苑に封じられていたこの紅い鬼を解放する。

 それが本当に良いことなのか、悪いことなのかは分からなかった。けれども、悠音はそうすることを決めていた。

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