世界は××に満ちている

きはや

第一章:鏡の世界へようこそ

1-1:ようこそ、悪夢へ


(殺される!)

 息が上がる。こんなにも全力で走ったのはいつ以来だろうか。

 そんなことを考えている場合じゃない。なのに、過去ばかりが自分の中に巡ってくる。これがいわゆる走馬灯というやつなのか? 

 ハアハアと自分の息が耳元で五月蝿い。その呼吸音を煩わしく思うけれど、それよりも心臓の音が跳ねて五月蝿い。ああ、うるさい五月蝿い煩いっ!! とにかくアレから逃げなくては……

(まじで殺されちまう!)

 紅林真琴は、自分の見たあのモンスターが一体なんなのか、なぜ自分を襲ってきているのかを理解できないまま、とにかく走った、走り続けた。後ろからはドスドスという、重みのある足音が追ってくるのが分かっていた。背筋が冷える、息が上がる。心音が壊れそうなぐらいにバクバクと耳で鳴り響く。

(なんで!? ここ、夢の中!? 俺、だって、パソコン切って、ベッド入って……っ)

 夢だろうが、怖いものは怖いのだ! 

 真琴はとにかく逃げることしかできなかった。視界の端に映った自転車。あれに乗ればとも思うが、鍵がかかっていたらアウトだ。ロスになる。今はとにかく走る、ビル街に逃げ込めば視界が悪くなって見つからない、かも!? と頭の中でマップを考え、右に曲がった。大通りまで抜けて、路地に入れば……! そう思って街を見上げると、街の街灯はなぜか全て青く不気味であった。

 走りながらも青く光る街灯に視界を奪われていると、大きな影がふわりと真琴の上を飛び上がり、そして、目の前にドスンとすごい音を立てて落ちてきた。

「っ!?」

 声も出ないとはこのことだ。さっきコンビニで見た時は人のような猿のようなと思ったけれど……ゴリラぐらいはありそうな、けれど、格好は半分人間で。頭は猿、動きも猿。牙がある、爪もある。形状だけで言えば、自分がしているゲームの中の初期モンスターと同じようにも見える。

(ミラーワールドの、「キメラ」みたいな……っ)

 真琴はとにかく必死で逃げた。方向転換をしてまたひたすらに走る。自分以外に誰も人がいないこの街。気づけば池袋の駅前だった。そう、こっちに曲がれば細い路地に逃げ込める、と思った瞬間、自分に影が重なった。人間とは思えない動きを見せた「キメラらしきもの」は自分の前を阻み、ぐるぐるとその喉を鳴らして、牙の一部を見せている。

「っ……!」

 終わった、呑気にもゲームオーバーの文字が自分の頭の中を過ぎる。いや、こんな恐ろしい現象、夢であってくれ! そう心の底から願うことしかできないのだけれど。

 キメラと対峙した真琴は、ジリジリとその足を後退させ、そして建物の方へと追いやられる。相手の動きをよめ、よむんだ! ゲームみたいに! そう思うのは簡単だけれど、キメラは素早く真琴の左肩を捕らえた。人のものではない大きな爪、猿とも違う。そして、その猿のようなゴリラのような顔の真ん中、その双眸が赤く光って見開かれた。

 剥かれた牙にハッとして、思わず体を縮こまらせて下から逃げるように這い出す。その際に引っ掻かれた爪のあと、左側で自分の肌が裂けるのを感じた。赤い血が飛び散る。骨までは行ってない。けれど、肌と肉の一部が抉れるその痛み。

(いってえええええ!)

 こんなリアルな夢いらないよ! と泣きそうになる。そう、血が流れている。どろりとした感触に腕が落ちそうになるが、それを必死で庇ってよろよろとまた逃げる。すぐにこちらに向かう気配に、真琴は生まれて初めて死というものを予感した。

 もうだめだ、と膝をつき、目をつぶった瞬間、液体の感触が自分の背後から降ってきた。え、と思った刹那、視界を汚す大量の赤い血の雨。ああ、俺、やられたんだ、と思ったが、痛みは先ほどの左肩にしかない。

 なんだか耳が遠い気がする。自分のすぐ後ろでキメラが叫んでいるからだと気づくには、少し時間がかかった。後ろを振り向くと、細い人影が見えた。

「ねえ、大丈夫?」

 青い光の下、血まみれのその人影をただ見上げた。目の前に見えたのは……鳥の足。しかし、そこから上は女性の形をしている。顔はまだ見えない。

(なんだあれ、ミラーワールドの霊獣……SSRのフェニックスみたいな……)

 その足の奥、猿の如きキメラの巨体が、呻きながら地に沈むのが見えた。そう分かった瞬間、自分の痛覚がまた一気に戻る。左肩が灼けるように熱い。抑えている右手の血の感触に、意識がまたプツリと途絶えた。

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