第4話

 それから三年。ユリアは四十歳、メイは二十五歳になった。


「この歳になると、友人からの結婚や出産の報告が増えて来て……」


「……恋愛したいの?」


「……正直、したいです。ユリアさんはしたくないですか?」


「恋をする余裕なんて私には無いわ。貴女を守ることだけに集中したいもの」


 ユリアが剣を磨きながらサラッとそう言うと、メイは顔を真っ赤に染めた。


「何よその顔」


「い、いえ。……カッコいいなと」


「……言っておくけど、守らなくていいくらい強くなりなさいっていう嫌味だからね?」


「いや、今のはプロポーズですよ」


「馬鹿なこと言ってる暇があるなら素振りでもしたらどう?」


「……はぁい」


 メイは渋々素振りを始める。


「太刀筋はだいぶ良くなったわね」


「ありがとうございます。ユリアさんのおかげです」


「……フィジカルだけじゃなくて、メンタルも強くなりなさいね。貴女は神子。人類にとっての希望。簡単に死んでしまっては駄目よ。死ぬというのは身体だけの話じゃないわ。心もよ」


「……はい。分かってます」


「……あともう一つ」


「はい」


「……例え身近な人が吸血鬼になっても、殺すことを躊躇っては絶対に駄目よ」


 ユリアの一言で、メイは思わず手を止めた。


「……じゃあユリアさんは、仮に吸血鬼になったお姉さんと対峙しても迷わず殺せますか」


 素振りを再開して、メイはユリアの方を見ないままに問い返す。


「……正直、躊躇わない自信はないわ」


意外な答えだった。メイは思わずユリアを見る。ユリアは俯いていた。


「……ごめんなさい。意地悪な質問して」


「……ううん。良いのよ」


ふう……と息を吐いて、ユリアは決心したように顔を上げた。


「それでも殺さなきゃいけない。絶対に。貴女もその覚悟を忘れちゃ駄目よ。吸血鬼である限り、誰であろうと殺しなさい。……例え友人でも、家族でも——私だとしても」


「……ユリアさんは私が殺さなくても勝手に死にそうですけどね」


「……いいえ。理性が残っていたら、貴女にらせるわ。身近な人を殺さなければならない状況に慣れる良い機会だもの」


 冷静に答えるユリア。その眼は本気だった。


「吸血鬼より鬼じゃないですか……」


「……そうね。身近な人を自分の手で殺すなんて、そんな経験はしない方が絶対良い。けど、そうなる可能性があることは忘れちゃ駄目よ」


「……ユリアさんは、同僚や友人を手にかけたことがあるんですか?」


「あるわ」


 即答したユリアのその瞳には何の感情も無く、メイは思わず身振いする。


「……味方同士で戦わせてその様子を観察するのが好きな趣味の悪い吸血鬼が居たのよ。そんな奴でも、元は人間なんだけどね」


「……そいつは……」


「大丈夫。殺したわ。けど、似たような趣味を持つ狂った吸血鬼は少なくない。元人間とはいえ、吸血鬼になる奴は元から狂った奴とか、狂ったから吸血鬼になった奴が多い。無理矢理吸血鬼にされた人だって、吸血鬼として生きるうちに狂ってしまうことがほとんどよ。だから、私は人間に戻す意味なんてないと思ってる。戻ったって、心までは人間に戻れないもの」


「……」


「あぁ、それとね。神子は吸血鬼にはなれないの。知っているだろうけど、催眠も効かない。だから、私より貴女の方が同僚を手にかけなきゃいけなくなる可能性は高いわ。私が襲ってきたら迷わず殺す覚悟は持っておきなさい。殺せなかったら深追いせずに撤退すること。自分の命を優先しなさい。貴女は神子。私はただの人間。命の重さは神子の方が上よ」


「っ……はい……わかりました」


「……残酷な現実を突きつけてばかりでごめんなさいね」


「……いえ」


 メイは祈る。どうか仲間を殺さなければならない日が来ませんようにと。


 しかし現実は残酷で、そう祈ったその日に、メイは昔失踪した友人と対峙してしまうことになる。

 

「アイ……リス……?」


「メイ……お願い……見逃して……私は誰も殺してない。少し血をもらってるだけ。本当だよ。本当は、吸血なんてしたくないの。好きで吸血鬼になったわけじゃない」


 メイの友人——アイリスは、震えながら語り、二人に命乞いをした。彼女がその場で吸血した男性は恍惚とした表情で床に寝転がっている。息はしていた。アイリスは男性に治癒術をかけてから、両手をあげる。


「……メイ。あの吸血鬼は貴女が殺しなさい」


 ユリアはあえて、メイにその吸血鬼を殺させようとした。しかしメイは首を横に振る。


「そう言うと思った。私がるわ。見てなさい」


「っ!」


 ユリアは容赦なくメイの腹にナイフを突き刺した。アイリスは咄嗟に魔法で逃走を図るが、発動するより早く、メイの血のついたナイフが足に刺さる。


「あぁっ!」


ユリアはアイリスが怯んだ一瞬の隙をついて、ワープで距離を詰めて剣を突き刺した。そこに迷いなど一切無かった。


「なん……で……」


「貴女が吸血鬼だから」


「っ……貴女の方がよっぽど……化け物……よ……」


 そう言い残して、アイリスは呆気なく死んだ。メイは、自分の情け無さと友人のあっけない死に涙を堪えきれなくなる。自身の腹に治癒術をかけることさえ忘れて泣き叫ぶメイとは対象的に、ユリアは涙一つ流さず、アイリスの遺体を燃やした。

 朝日が登り、アイリスの返り血が付いたユリアの剣が照らされる。


「……メイ。帰るわよ」


「……はい」


「……私が憎い?」


 治癒術をかけながら、ユリアはメイに問いかける。彼女の問いかけにメイは黙って首を振り、顔を上げた。そしてユリアを真っ直ぐに見て「私は彼女のような犠牲者をこれ以上増やしたくない」と瞳に怒りを宿しながら答えた。


「優しい子だったんです。誰からも愛されて……彼女には……何の罪もないのに」


「……罪が無くとも、吸血鬼になってしまったら殺すしかないのよ」


「分かってます。彼女みたいな人を増やさないためには戦うしかないってことは。……分かってます」


「なら、強くなりなさい」


「はい。もっと強くなります。一人でも多くの救える殺せるように」


「よく言った。なら、帰るわよ。……泣くのは帰ってからにしなさい」


「……泣くなとは言わないんですね」


「……ええ。言わない。泣きたい時は泣きなさい。けど、戦闘中は駄目よ。前が見えなくなってしまうから」


「はい。……ユリアさん」


「何?」


「……今日、泊まっていって良いですか?……一人で眠れる自信が無いです」


「……良いわよ。おいで」


「……ありがとうございます」


 ユリアはメイを寮に連れ帰り、二人でシャワー浴びてからベッドに入る。


「……情けなくてすみません」


「それが普通の反応よ。私がおかしいの。さっき、彼女にも言われたわ。『吸血鬼より貴女の方がよっぽど化け物』って」


「……ユリアさんは優しい人です。誰よりも、優しいです」


「……ありがとう」


「……次はもう躊躇いません。殺します。例え友人でも、知り合いでも。必ず」


 震える声で誓うメイを、ユリアは優しく抱きしめた。


「泣けるうちにたくさん泣いておきなさい。いずれは泣きたくても泣けなくなるから」


「……はい」


 メイはユリアに甘えるように抱きつき、静かに涙を流した。

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