第512話 雨月の午前二時 at 1996/3/17

「やい、世話好き美少女ゴリラ女――」


『あら、口がお悪くてよ、意気地なしで逃げグセのある張り子のヒーロー(笑)カッコワライさん?』



 思わず僕はコードレスフォンの受話器ごしに、にやりと、した笑みを浮かべてしまっていた。いかんいかん――としかめっ面を何度も繰り返し、なんとか平常心を取り戻すことに成功する。


 僕は少し迷ったが――ええい、いまさらだろ――素直にありのままを報告した。



「純美子と――スミちゃんと仲直りした。ついでに、ホワイトデーのやり直しもしてきて――」


『あーあー! そのへんのおノロケ話ならどこかよそでやって。……よかったじゃん、ケンタ』


「ああ、ありがとな。ホント、ロコには……感謝してるよ」


『そうよ? すっごく、すっっっごく感謝しなさいよね!』



 くす、と受話器の向こう側からロコの忍び笑いが漏れ聞こえた。


 ま、これでとりあえず当初の目的は達成できた。

 いよいよ本題に入るとしよう。



「感謝ついでにもうひとつ言っておくよ、ロコ。僕は……明日、ダメなら明後日……とにかく捕まえられる限り一番早いタイミングで、ツッキーパパ――水無月しょう氏に会いに行くつもりだ」


『「例の絵」について、ね――』



 受話器を持ち換えたのか、ロコのセリフの続きまではしばらく間が空いた。

 再び話しはじめたロコの声は、いくぶん抑えられ、ひそめられていた。



『――これだけは約束してくれない? ツッキーパパは、絶っ対悪い人じゃないと思うの。だって――だってさ? ツッキーのお父さんなんだよ? あんなに仲が良くて、カラダのことだってもちろん誰よりも心配してるのに。ママがいなくなってからもずっとひとりで頑張ってさ』


「わ、わかってるよ、ロコ」



 徐々に湿り気を帯びはじめたロコの声に慌てながら、僕は慰めるように受話器に話しかけた。



「僕だって、笙さんが悪い人だなんて思えないよ。思えないからこそ、直接会ってハナシをしたいんだ。そして、コトセの伝言どおり『例の絵』を完成させないように頼んでみるつもりだ」


『……あたしも行こうか?』



 僕は、ロコなら当然そう言い出すだろうと予想していた。


 けれど、それにどうこたえていいのか、どうこたえるべきか、ずっと決めあぐねていたのだ。僕は一度目を閉じ、それから開くとこう告げた。



「僕ひとりで行く。万が一のことを考えたら、ロコまで巻きこむワケにはいかない」


『ちょっと!? 巻きこむワケもなにも――!』


「わかってる、わかってるさ。落ち着け」



 受話器ごしでもかなりの大音量の抗議の声が静まり返ったキッチンに響き渡った。僕は眉をしかめて一度手のひらでフタをしてしまうと、静かになった頃を見計らってこう付け足した。



「あたしだって当事者なんだから、って言いたいんだろ? でもさ、コトセの例もある。彼に悪意がなくたって、今はそういうことが起こりうる状態ってことなんじゃないか? だったら用心しなきゃ。ここで、このタイミングで『リトライ者』が三人とも捕まるワケにはいかない」


『で、でも……っ!』


「大丈夫、大丈夫だって。僕はケンカなんてできないし、痛いのも痛くするのもキライなんだ」


『はぁ!? べ、別にっ! ケンタの心配なんてしてないしっ!』


「あー、はいはい。そうですよねー。……じゃ、そういうワケだから」


『ちょ――ちょっと!!』



 もう、なんだよ、ツンデレ四〇女。


 さすがにそろそろ親父かお袋が騒がしくて起きてきかねない。

 僕は焦りながらも受話器を持ち直した。



『……約束しなさいよね?』


「はぁ? 何をだよ?」


『一緒に帰るってこと。あの時、あの時間に。絶対に絶っ対だからね?』




 僕は迷うことなくうなずいた。

 そして言う。




「当たり前だろ? そうじゃなきゃ、なんのための『リトライ』なのかわからないからな――」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る