第468話 エンドレス・バレンタイン・アフター at 1996/2/15

「――えー。ということですね。みなさん驚かれたと思いますが、あまり深刻に考えずに――」



 悪夢のようなバレンタイン・デーの翌朝、西町田中学校は臨時の朝礼を行った。






 今回の騒動の元凶である赤川龍彦は、僕ら『電算論理研究部』の顧問および部員のはたらきによって大事に至る前に無事拘束された。やがて通報により駆けつけた警察官らに引き渡されることとなったのだが――そこで少々予想外の問題が生じてしまった。



『お、俺ぇ……なんでここにいるんだよぉ……? くしゅっ! それに寒ぃしよぉ……?』



 電撃による一時的なショック状態から目覚めたタツヒコは、さっきまでの騒動をひとつも覚えていないようだったのだ。その上、タツヒコの記憶は、感化院にいたところで途切れてしまっていた。ずる賢いところがあるタツヒコを警戒していた僕だったが、嘘ではなさそうだった。


 あとで警察官のひとりから説明されたのだけれど、最後に感化院で目撃されたのが去年の暮れごろ。それから、約二ヶ月もの間、タツヒコの行方はわからなかったらしい。


 感化院の職員の証言によれば、タツヒコが失踪する前日に面会希望者の予約があったようなのだが、その面会者は、その日、その時間に結局来なかったのだという。その間、タツヒコはひとりで面会用ブースの中で待っていたわけだが、面会時間終了となって職員からなぐさめの声をかけられた時に、タツヒコは『俺は天啓を得た』という内容の言葉をかえしている。




 そして、翌日、彼の個室から、まるで煙のように姿を消してしまったのだ。




 その日から僕らの前に姿を現した昨日に至るまで、タツヒコが一体どこにいたのかは誰も知らない。彼の両親ですら知らず、失踪した、と聞かされてかなりショックを受けていたようだ。だがそれは、息子の身を案じてというよりは、厄介の種がまかれたという反応らしかった。






 我が校の校長いわく、だ。



「――今回のことは不幸な事故であります。赤川君は心神しんしん耗弱こうじゃくという状態にあったわけで――」



 心神耗弱――なんらかの要因によって精神が衰弱し、善悪を識別するチカラに乏しくなり、自分がなす行動の結果についての判断能力が低下してしまっている状態であることを指す言葉だ。より上位の言葉にあたるのが、いわゆる『心神喪失』である。


 つまりどういう状況かというと、タツヒコは正常な判断ができる状況になかったので、罪を減刑する、ということだ。仮に『心神喪失』であれば、罪を問わない、となるわけで、それよりは重い刑罰となる。ただし、じき記憶障害の件が認められれば、結局は無罪となるのだろう。


 あれが以前のタツヒコであったのなら、僕は生ぬるいと憤慨ふんがいしたかもしれない。


 けれど今は、タツヒコからは脅威も恐怖も感じなければ、不気味さも感じなかった。むしろ、なにかにつけて過敏に反応し、おびえているようにすら見えたくらいだ。それは無理もないのかもしれない。自分の記憶が、約三ヶ月もの間、ぽっかり消えてしまっていたのだから。しかも、まったく身に覚えのない暴力と惨劇のあとを目の前につきつけられ、どうしてこんなことをしたのか、と繰り返し繰り返し語気荒く追及されればこうもなってしまうだろう。



「――不幸にも怪我をされた生徒のみなさんにはお悔みを申しあげますが、どうか彼を――」




 許せ――と。

 気持ちのやり場に困ってやるせない気持ちになるだろうが、そうするしかないだろう。




 不幸中の幸いというか、昨日の騒動で怪我をした生徒の数は多いものの、大半はパニック状態で将棋倒しになった際に負ったもので、それも打ち身かすり傷程度だった。


 ただ、二年生でたまたまタツヒコの進行方向にいた三人の生徒に関しては、男子生徒のひとりが右肩関節脱臼により全治二ヶ月、もうひとりの男子生徒は左橈骨とうこつ骨折により全治三ヶ月、女子生徒のひとりが左大腿部に切創せっそうがあったものの、手術痕は目立たないだろう、ということで済んだのだった。



「――ということで、またそれぞれの担任より説明があるかと思いますが、本日の朝礼を――」




 一同――礼。




 なにより生徒たちの関心を集めたのは、朝礼台の前で威勢よく号令をかけた二年学年主任である梅田センセイの頭部にぐるぐると何重にも巻かれた真新しい包帯だったかもしれない。



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