第370話 ダイヤモンド・クレバス at 1995/12/12

「――」



 その日の朝の教室は、ただならぬ緊張感に満ち溢れていた。


 一週間もの間学校を休んでいた少女、桃月天音の周囲には、まるで目に見えない結界でも張られているかのようで、腫れ物に触るかのごとく容易に踏み込むことすらできそうになかった。




 それでも――。




「な、なあ、モモ――?」


「……んー?」


「ええと……あ、あれだ……なんちゅうか……そのう……」



 意を決して話しかけたまではよかったものの、なんと励ましたらよいのかさっぱり要領を得ない不器用な『元・暴君』小山田は、出だしから言葉に詰まり、天井を見上げて頭をかいた。



「……いいよ、ダッチ。いつもどおりで、さ」


「お、おう。だよな」



 そうはこたえてみたものの、やはり言葉が思うように出てこないらしい。とうとう窮した小山田は、すぐそばで他の女子にちょっかいを出していた吉川の首根っこを掴んで引き寄せた。



「にぎゃっ!? な、なになに!? 僕ちん、なんかやっちゃった!?」


「そ、そうじゃねえ! あ、あの……ほら……あれだ……。せ、先週のアレだよ、アレ!」


「せ、先週の……?」



 目を白黒させつつ小山田の言葉を繰り返し――ちらり、と横目で浮かない顔つきの桃月の様子を盗み見て――ははぁん、とマジックで書いたような太眉の下のつぶらな瞳が輝いた。



「そーなんですよぅ、先週の『鉄腕DASH』! モモちん、絶対長瀬君好きッスよね――?」



 なんというか……すごい奴だな、吉川って。


 瞬時に状況を判断して、桃月の興味を惹きそうな話題を引っ張り出してくるなんて。ハナシを振った小山田なんて、ぽかーん、としているが、計算どおり桃月は興味津々の様子だった。そうか、『鉄腕DASH』がはじまったのってこの頃なんだっけ。いまだに観てるんだけど。




 たあいもない会話で盛り上がり、ひとしきり笑いたてたあと、急に桃月のカラダが、びくり、と大きく震える。そして、机の上の一点を見つめたまま、動かなくなってしまった。




「おはよう、みんな!」




 そこへ。

 教室の前のドアから真っ白な歯を見せて爽やかに手を振る室生が現れる。


 そして、その隣には――ロコの姿も。



「………………っ」



 ロコは桃月の方を見て、何やら言いたげに口をわずかに開いたが――じき、その視線はチカラなく床をさまよい、何も言わなかった。そんなロコの様子を、教室中の女子たちが静かに、責めるように観察している、そんな風に僕には見えた。



「……」

「……」



 あきらかに両者の間に、何らかのトラブルがあるとカノジョたちの目は無言で訴えている。そして、加害者はロコで、被害者は桃月なのだと、カノジョたちは確信しているようだった。



(くそ……っ。こんなの、もう冷静に見ていられるわけないに決まってるだろ――!)



『――余計なことを、しないで』 



(く……っ!)



 一度は浮いたカラダをねじ伏せるようにして、僕は歯を食いしばりながら椅子に座り直す。




 このまま冬休みに入ってしまえば、もう修復することなんて不可能になる。


 考えろ、古ノ森健太――!

 考えろ――考えろ――考えろ――!!



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