第29話 その5「学校を休んだ女の子のお見舞いに行こう!」 at 1995/4/17

(僕は、野方のことが好きになれないんだ――)


(僕、一度だって野方のことが『嫌い』だなんて言ってないよ――?)



 放課後、純美子と一緒に咲都子の家へと向かう道中、僕は渋田が言ったセリフを思い出していた。どういう意味だろう? 好きになれない、けれど、嫌いじゃない。まるで禅問答じゃん。



「古ノ森君、なにか難しい顔してる。何かあったの?」


「! い、いや、女の子の家に行くのなんてはじめてだからさ。ちょっと緊張しちゃって……」


「……ぷっ! うふふふふ」


「わ、笑うなって。もう」



 きょとんとしたかと思ったら、いきなり吹き出し笑い始めた純美子に芝居がかった仕草でムッとしてみせた。すると、純美子はますますおかしそうに口元を抑えて笑いを噛み殺している。



「べ――別に緊張するほどのことじゃないでしょ? 遊びに行くわけじゃないんだし。ふふふ」


「そりゃそうだけどさ――」



 ひと足先に階段を登り始めた純美子を追い駆けながら、僕は逆に聞いてみることにした。



「じ、じゃあ河東さんは、男の子の部屋に遊びに行ったこと、あるの?」


「え………………? あ、あります、けどっ!?」



 えええええ!? 衝撃の事実なんだけど!?

 顔、真っ赤だし! マジかよ!?


 い、いやいやいや!

 冷静になれ、僕。純美子に動揺してるのを悟られるな。会話を続けろ。



「ち、違うのよ!? 男の子って言っても――」


「ヘー。ソ、ソウナンダー。ヘー(棒読み)」


「か、からかわないでよ、もうっ! 今年小学一年生になったばかりの五歳の従弟いとこだってば!」



 熟した桃みたいに頬をふんわりピンクに染めた純美子が放ったセリフを理解するまでには少し時間がかかった。一拍の空白の後、僕と純美子は無言で見つめう。負けたのは僕だった。



「……ぷっ! あはははは! なーんだ、従弟かー! だよねー、そうだよねー、うんうん!」


「わっ、笑うことないでしょ!? 男の子の部屋だってのは嘘じゃないもんっ!!」


「い、いや、まあ嘘じゃないけど。ああ、びっくりした。脅かさないでよ、僕はてっきり――」


「て――てっきり……何?」



 からかわれたのをまだ怒っているのか、見栄を張ったのがバレて照れ臭いのか、純美子の頬は上気したままほかほかしていた。近くで見ると本当に桃みたいだ。肌が白くって、赤ちゃんみたいな産毛まで白くって。カールした睫毛まつげに縁どられた大きな瞳に吸い込まれそうになる。



 あ、あれ?

 この流れなんだかまずくない?


 あと、なんか近くない?

 いや、いいよね?



「………………あのさ? ひとんちの前でイチャイチャしないでくれます? あと、うるさい」


「「……あ」」



 開け放ったドアにけだるそうにもたれかかりながらマスクごしに発せられた冷静すぎるそのツッコミに、僕と純美子は真っ赤になってフリーズしていた。ぎこちない動作で声の方を向く。



「のっ――野方さんじゃあありませんか! これはこれは!」


「ホッ――ホントだ! もう着いてたんだね! あははは!」


「あはははーじゃないっつーの。こっちは本当に具合悪いんだから。ただでさえ熱いのに……」



 無意味にハイテンションな僕と純美子のセリフを、野方は冷ややかに一蹴した。しかし高身長サバサバ女子の野方なのに、風邪のせいか普段と違って弱々しい。キャミソールとハーフパンツを合わせたようなルームウェアの上には何も羽織はおっておらず隙だらけだ。よほど熱が高いのだろう、ひたいには冷却ジェルシートが貼られ、肩までの髪はゴムでひとくくりにされていた。



「ごほっ!――伝染うつってもいいんならあがっていけば? 親いないし。あれ……二人、だけ?」



 どう答えるべきか弱って隣を見ると、同じように困った表情をしている純美子と目が合った。


 まかせろ、純美子!

 ここは僕がなんとかうまく切り抜けてみせるから――。



「えっと、だな……? し、渋田の奴さ、なーんか別の用事があるらしくってさ――」


「………………アイツ、行きたくないって言ったんでしょ。ごまかさないで。さ、あがって」



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