シュフのススメ

烏海香月

第1話 過去(1)

女の幸せってなんだろう。


好きな人と結婚して子どもを生むこと?


天職を見つけてバリバリ働くこと?


そんなのは人其々違っているし、違っていていい。


誰かに決められていいものじゃないし、決められたくない。



私、末永京すえながみやこは断然後者を選ぶ24歳。



──しかし



「どっちかに限定しなきゃいけないってことないでしょう?どうせなら両方手に入れなさい!」という母の強気のひと言で唐突にお見合いをすることになってしまった。


母経由で来たお見合い相手は申し分のない人だった。有名大学卒業、大手商社勤務の30歳。家のことをしっかりやってくれるなら仕事を続けてくださいと言ってくれる、私にとってはかなり条件のいい男性だった。それに顔も好みだった。


だから私は何が何でもこの人と結婚して恋も仕事も両方手に入れようと思った。


──の、だけれど


(家のことって……家事、だよね?)


その点についてだけ少々不安要素があった。




「きゃあぁぁぁー!末永さん、危ないっ」

「……へ?」


突然握っていた包丁が奪われてしまった。


「あなた、そんな包丁の持ち方をしていたら指を切り落としちゃうわよ!」

「そ、そうですか?」

「そうです!…包丁は止めましょう。このピーラーで皮を剥いて」

「……はい」


花嫁修業と称して料理教室に通い始めた。正直にいうと今までまともに料理をしたことが無かった私。


元々小さい頃から結婚する気なんてなかったから料理なんてやって来なかった。それが今になって徒となって私に降りかかっていた。


(せめて…せめてサラダくらいは作れないと!)


野菜を切って器に盛るくらいは出来るだろうと、そこから始めようと意気込んでいたのだけれど──


「どうやって切ったらトマトが粉砕するんですか!」

「……さぁ?」

「このきゅうりは塩でも揉み込んだのですか?!」

「いえ、普通に切っただけなんですけど……なんだかやけにシワシワになって…」

「末永さん」

「はい」

「出来ないにもほどがあります」

「!」


【初心者でも絶対料理が出来るようになる!】──なんて触れ込みに惹かれ通い始めた早瀬登美子はやせとみこ料理教室。


しかし通い始めた初日にして登美子先生に厭きられてしまった。



「何よもう!看板に偽りあり過ぎでしょう!」


帰り際、思わず教室前の看板を蹴飛ばしてしまった。ガンッと音を立てて倒れた看板を恨めし気に見つめた。


「……八つ当たりしてごめん」


しかし何の罪もない看板に当たったことを反省しながら看板を元に戻そうと屈むと


「器物破損の現行犯」

「っ!」


後ろから聞こえた声にビクッと体が撓った。恐る恐る振り返ると其処にはランドセルを背負った小学生の男の子が立っていた。


「弁償しろ」

「は?弁償って…べ、別に壊れていないわよ、看板」

「でも故意に蹴っていただろう」

「そ…それは…」


子どもの癖に容赦ない追及にたじろいでしまう。


「看板ひとつとっても母ちゃんの大事な財産なんだぞ」

「母ちゃん?」

「そうだ。此処は俺の母ちゃんの教室だ」

「ってことは君……登美子先生の息子さん?」


私の問い掛けに男の子はこくんと頷いた。今後、教室に通う上で大変拙いところを見られてしまったなと思っていると


「アイス奢って」

「……は?」

「アイス奢ってくれたら黙っててあげる」

「何、突然」

「口止め料だよ。アイス奢ってくれたら看板蹴飛ばしたこと、母ちゃんには言わない」

「それって脅迫──」

「純粋な口止め料」

「~~~」


(なんだか変な子だな)


そう思ったけれどアイスひとつで何もなかったことにしてくれるのなら安いものだとあざとく考え、私は男の子の要求を呑むことにした。


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