54.大丈夫かな?
咲くんとちぅをした日の夜、琥珀はずっとずっとそれが頭から離れなかった。
ぼんやりとしている琥珀を見て、ママンは「どうしたの?」と聞いてくれたけれど、琥珀は顔を真っ赤にするだけで答えられず「あらあらまぁまぁ」と笑われた。
なにか見透かされているように感じて恥ずかしくなった。
お風呂に入っている時にも考えすぎて、ちょっとのぼせてしまったし、部屋に飾ってある桜の絵の下の彼を見ては、はわわと隠れたくなった。
それを描いたのは他でもない自分なのに。
琥珀の頭の中が、本当に咲くん一色で、これが煩悩というやつか?と、ベッドに転がりながら悩んだ。
恋って、こんなにもその人一色になってしまうのか。
咲くんもそうなんだろうか……?
琥珀のこと、こんな風に考えてくれてるのかな……?
一緒なのかな?と考えると、ちょっと嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて。
その夜は寝るのが遅くなってしまった。
冬休みに突入し、9時-5時出勤ということで、ちょっぴり寝不足の琥珀ちゃん。
まだ次のアシスタント期間ではないから、指導してもらう為に行くんだけどね。
朝迎えに来てくれるのは、もちろん咲くんで。
「おはよう琥珀」
「お……おはよう咲くん」
琥珀は朝から照れ度MAXなのでした。
「眠そうだね。昨日よく眠れなかったの?」
「へ!?あ、あの、えっと」
首を傾げる咲くんを見ていると、昨日のことを思い出してしまう。
琥珀はほっぺに手を当てて、顔をムニムニと揉んだ。
いかんいかん、ずっと浸っているわけにもいかないんだから。
「まぁ俺も、あの後浮かれてたけどね」
「……咲くんも浮かれることがあるの?」
「ふふ、内緒ね」
人差し指を唇に当てて静かに笑う彼に、また胸がときめいた。
なんだかんだでアシスタントにはみっちょんも入ることになるだろうってことで、みっちょんも琥珀と一緒に漫画のテクニックを学ぶことになった。
黒曜へ着くと、いおくんとみっちょんがなにやらお話していた。
「あ、みっちょん!おはよう!」
「おはよう、琥珀。クリスマス大丈夫だった?」
「なにが?」
じっと琥珀を見つめるみっちょんの瞳が、咲くんへと移る。
いおくんもなにやらにやにやしながら咲くんの方を見ていた。
「昨日、咲の家に送られてったって聞いたぜ」
「送られ……?、!!!」
琥珀は昨日のことを思い出す。
いおくんと別れた後、琥珀たちはカフェに入ってのんびりしてから黒曜の運ちゃんを呼び、咲くんの家に送ってもらって……。
その後、琥珀は歩いて咲くんにお家まで送ってもらったのだ。
その時運ちゃんには迎えに来てもらっていないから……。
つまり……つまり?
運ちゃんから見た琥珀たちは、咲くんの家に二人して入るところまでなのだ。
しかも、 クリスマスに。
「その話、どこまで広がってる?」
「ほぼ全員」
「……はぁ」
咲くんがため息つくところなんて初めて見た気がする。
「後でシメなきゃ」
額に手を当てて視線を落とす咲くんの口から、何か聞こえた気がする。
シメ……???
「それで、琥珀はその後大丈夫だったか聞いてるのよ!無理やりなんかされてないでしょうね?」
「む……!!無理やり、では、ない」
「へぇ」
「だ、大丈夫よ?夕方には咲くんに送ってもらったし」
「そう。ならよかったわ」
昨日のことを思い出すと、顔が熱くて仕方がない。
けれどもうひとつ、気になることもある。
琥珀が来た時、いおくんたちは普通に話をしていたようだけれど、やっぱりちょっと……未夜くんのことも気になるのだ。
咲くんからは何も聞いていないけれど、来る前に「大丈夫だよ」とだけ聞いて、この作業部屋に入ってきた。
うっすら冷たい笑みを浮かべていた咲くんは、いつもなら自分の部屋に行くところを、今日は外へと再び出ていこうと、ドアノブに手をかけていた。
「咲、あんまりいじめてやんなよ?」
いおくんが何やら忠告する。
「ちょっと叱ってくるだけだよ。琥珀ちゃんのことよろしくね、いおり」
そう言うと、外へと出て行ってしまった。
咲くんが何しに出て行ったのかまで、琥珀は気が回らなかった。
作業部屋を見渡すと、ソファーの前にはゲーム機が置いてある。
いつもなら未夜くんが遊んでいるゲーム機……。
そして未夜くんが部屋から出てこれなかったことがまだ気になっていた琥珀は、未夜くんがいつも寝泊まりしていた仮眠部屋の扉を見つめてから、いおくんに問う。
「未夜くんはどうしてるの……?」
仮眠部屋からは何も物音が聞こえず、そこに人がいるかもわからない。
ぼーっと突っ立ってその扉を見ている琥珀の隣にみっちょんが並ぶ。
「みゃあのこと、私もさっき聞いたわ。しばらくアシスタント作業に来れないかもしれないって」
「来れない……?」
未夜くんはここに住んでいたはずなのに、『来れない』という言い方には引っかかるものを感じた。
その違和感から、琥珀はいおくんの方を向いて説明を求める。
「未夜は昨日の夜中に、雨林に連れられてここを出て行った」
「そうなの!?」
なんと、未夜くんは昨日の夜中から黒曜にはいないらしい。
咲くんは知っていて、それでさっき大丈夫だって言ってたのか。
「家に帰ったわけじゃねぇよ、雨林の家に一時避難しただけだ。しばらくあいつは療養する。病院行かして、飯食わせて、しっかり寝かせるとよ」
りんくんの家に避難した……そう聞いて、一瞬安心はしたものの、その後の説明に琥珀は衝撃を受けていた。
「え、病院……?」
いおくんは今、『療養する』と言っていたのだ。
琥珀はその言葉に、心の中がざわついてくる。
「まぁ、人が怖いっつうのは、行き過ぎると社交不安症っつーことになる。家族から受けたトラウマに加え、信じたい人間すら怖くて会えねぇとなると、それは単なる怖がりの範疇を超える。これ以上悪化する前に防ごうって話だ」
社交、不安……。
初めて聞いた症状に、琥珀は戸惑ってしまう。
以前からそういう症状が出ていたんだろうか、琥珀たちといた時は大丈夫だったんだろうか、未夜くんは……よくなるのだろうか?
黒曜に、戻ってこれるのだろうか……?
「琥珀」
みっちょんが琥珀の手を包むように握る。
そのぬくもりに、琥珀の不安は少し落ち着きを取り戻す。
「未夜は、お前に礼を言っていた。まぁ、詳しくは仮眠部屋にお前宛ての手紙が置いてある」
「……!!!!」
いおくん、先にそれを言ってほしかったよ!!!!
琥珀は急いで仮眠部屋に向かう。
一応ノックをして誰もいないことを確認してから中に入ると、机の上に封筒が置いてあった。
そこには、本当に琥珀宛ての手紙が置いてあった。
「あいつ、お前がぜってー心配するからって、お前にだけ手紙置いてったんだぜ。いや俺らだって心配するっつーの。贔屓じゃね?」
琥珀には、そんないおくんの言葉も耳に届いていなかった。
未夜くんの比較的小さな文字で、『琥珀へ』と書かれている封筒から、中の手紙を取り出す。
『琥珀のことだから、きっと心配してくれているかもしれないけど、大丈夫だからね。
咲たちと、黒曜のこと、ちょっとの間よろしく。
電話出来て嬉しかった。話を聞いてくれてありがとう。
琥珀は琥珀らしくいて。
戻ってきたらまた一緒にゲームしようね』
いつもの、優しい未夜くんの言葉だった。
小さな小さな、約束だ。
けれどきっと意味のある約束だ。
琥珀は琥珀らしく……その言葉が胸に響いて、震わせる。
「未夜もちゃんと戻ってくる意思がある。悪化する前に食い止められてりゃ、きっとそんなにはかからねぇはずだから、待っててやれ」
未夜くんと過ごした日々を思い出す。
最初、黒曜に来た時、まだ怖がっていた琥珀と一緒にゲームをしてくれた。
トーンのテクニックをたくさんたくさん教えてくれた。
たまごやきをおいしそうに食べてくれた。
琥珀は未夜くんを弟のような感じで見ていた。
彼の隣は、とても心地が良かった。
『大丈夫だから』
きっと琥珀は、未夜くんのその言葉を信じて待つべきなのだ。
それが琥珀にできること。
そして未夜くんが黒曜に戻ってきたとき、これまでのように、彼を受け入れたい。
「琥珀……大丈夫?」
みっちょんの心配するような声に、琥珀は振り向いて、笑う。
すぐにいつも通りの気持ちになんて、不器用な琥珀には切り替えられないかもしれない。
でも、目の端に浮かんだ涙を拭って、琥珀は笑うよ。
「大丈夫。未夜くんが『大丈夫』だって言った言葉を信じて、琥珀は待つから」
複雑そうなみっちょんの顔が、じっと琥珀を見つめる。
みっちょんには、琥珀の情けない姿をいっぱい見せてきちゃったからなぁ……。
「琥珀、未夜くんに黒曜のこと頼まれたから。頑張るのよ」
そう笑ってみせる琥珀に、みっちょんは少しほっとしたように息を吐くと、いおくんの方に向き直った。
「ですっていおり。琥珀は黒曜を頼まれた。それなら私が琥珀のサポートをするわ。そして私のサポートをアンタがしてよね」
そう当然のように言うみっちょん様に、いおくんは「へいへい」と頭をかく。
「俺も琥珀のサポートするよ」
作業部屋の扉が開いたと思ったら、そんな咲くんの声まで届いた。
「え、咲くんまで!?琥珀、未夜くんに咲くんのことも頼まれたのに!」
「未夜、何てこと頼んでくれたの。琥珀のことは俺が責任持ってサポートするよ」
「咲さんだけに任せてられないわ」
「どうしてかな?」
どうしよう、咲くんとみっちょんが笑顔でばちばちし始めてしまった!!
琥珀はあわあわと二人の顔を交互に見るしかできない!!
「はっ、未夜がいねぇ分、コイツに教え込むのは俺と雨林だかんな?咲は次のプロットでも書いてろ」
「なんで火に油を注ぐようなこといっちゃうのかないおくん!?」
「ミツハにも俺がとことん教え込んでやるから覚悟しとけよ?」
「……言いたいことはあるけど言い返せないわ」
そういえばリンくんとみっちょんは犬猿の仲というか……相性悪かったから、リンくんにみっちょんの指導はさせない気なのかなぁ?いおくん。
手をパンパンと叩いたいおくんは「そろそろ始めんぞー」と、席に座るように促してくる。
そのタイミングで部屋の扉が開いて登場したのは、リンくんだった。
「……何この険悪な空気?」
「リンくん!!!」
「え、何。またなんかしたのいおり?」
「またってなんだよ?」
リンくんが咲くんの笑顔を見て顔をひきつらせると、今度は琥珀の方を向いた。
「ちょっとお前、部屋で咲の機嫌でも取ってから戻ってきて」
「へ?」
「いおりはその女に指導でもしてて。俺はちょっと城でも描いてるから」
「女とか言わないでよ潰すわよ?」
「リンくんもお口もうちょっと優し目に行こう!!?」
まって、琥珀この黒曜を任されたの!?
大丈夫かな!!?
琥珀ちょっと不安になってきちゃったよ!!!
「はわわ、はわわ」
またしても琥珀がみんなの顔を見て焦っていると、リンくんが琥珀を見下ろしてふと笑った。
あ、珍しいものを見たかもしれない。
「未夜の手紙読んだ?」
「!うん!未夜くんの様子は……?」
「俺ん家で自由にしてる。昼飯買ってってやんないとだから俺途中で抜けるから。あと……」
「?」
「昨日はありがと。飯とあの電話のおかげで未夜の奴、持ち直せたから」
まさか、リンくんからお礼を言われるとは思っていなかった。
琥珀はぽかんと、リンくんの言葉を飲み込んでいた。
「待っててくれる奴がいるっつーのは、案外救われるもんだろ」
「そうかな……?」
「お前の笑顔が消えねぇようにってこっちは頼まれてきてんだ。アシの腕でも磨いて、次に未夜が来た時にでも驚かせてやれば?」
そう言ってリンくんは机の上に原稿用紙を広げだした。
もうお話は終わりらしい。
ふと隣にやってきた咲くんが琥珀の頭を柔らかく撫でると、琥珀はまたちょっと泣きそうになった。
「未夜くんの方が大変なのに、なんだか琥珀のことばっかり」
「それだけ琥珀のこと、気にかけてるってことだよ」
「ちょっと悔しいなぁ」なんて咲くんは呟くけれど、彼の表情は穏やかになっていた。
未夜くんの癒し効果は、まだまだ抜群に続いているのかもしれない。
咲くんの機嫌もどうやら戻ったらしく(琥珀には不機嫌になってるかよくわからなかったけど)、今日からまたアシスタントの指導が始まった。
未夜くん、黒曜は何とか琥珀ががんばって支えていくからね。
琥珀は決意を胸に、原稿用紙にペンを滑らせていったのだった。
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