10.〆切後のご予定は?
いおりさんは、怖い人なんかじゃなかった。
いや、確かにまだ雰囲気はここで一番怖そうに見えるんだけれども……人の意見を無闇矢鱈と否定しない人だ。
クリエイターとしての誇りもしっかり持っている。
それだけでなんだか、心がほかほかしていた。
未夜くんに数切れ渡したたまご焼きたちはぺろりとすぐに食べられてしまった。
男の子ってご飯食べるのみんな速いのかしら。
世のお母さんたちは大変だわ。
私たちがお弁当を置いていたソファに戻った時には既に、ベルギーズ(国旗色)の食事は終わっていた。
未夜くんの分と、私の分もどうやら取っておいてくれていたらしく、ぽつんと残っている。
「あ、あの、女神さん……」
「ん?」
私がから揚げをもぐもぐしていると、赤髪くんが昨日のように『女神さん』と呼んできたので反応する。
というかこれで反応できちゃう琥珀ちゃんの順応性強くない??
「……さっき、いおりさんのところ……大丈夫だったんすか……?」
恐る恐る聞いているようなその声は、微かに心配と興味を含めていて……赤髪くん以外の二人は寄り添って震えている。
なぜそんなに君たちは怯えているんだ。
まぁ私もさっきまでは人のこと言えなかったけど。
「ごくんっ……いおりさん優しい人だったよ?」
私は唐揚げを飲み込んでからそう返した。
ちょっと意地悪だし口悪いけど……それは見ての通りわかるから言わないでおく。
未夜くんはゲームを持って来ると言って、ベッドのある部屋へと入っていった。
ゲーム、そっちに置いてたの?
「やさ、しい……?」
「少なくとも、理由もなく怒る人じゃなくて、ただずっと機嫌の悪そうな人なんだな、と思いました」
お弁当を綺麗に食べ終えてから、蓋をして仕舞う。
それからおにぎりにもしっかりと手を出すと、ベルギーズは私のその麗しい食事姿をガン見してから、三人揃って目をまん丸にして視線を合わせていた。
イカつい彼らが目を合わせている様子はなんとも不思議なことに可愛く見えてしまう。
「……えと、無事みたいで、なによりっす」
「…………無事?」
「〆切前だから?」
「いや、未夜さんいたからじゃねぇ?」
「この〆切明けたら女神さんの扱いどうなんの……?」
なにやら雲行きの怪しそうな話を3人でしている。
私のお話のようなのに、全くさっぱりとわからない。
「扱いって……?」
「琥珀ちゃんなら大丈夫だよ」
その場にいなかった声が突如として耳に入り、四人揃ってビクッと体をビクつかせてから声の主へと視線を向けた。
そこには、またもや気配なく現れた咲くんと、その後ろから歩いてくる未夜くんの姿もある。
「咲、さん」
「琥珀ちゃんには、今日が終わったら水曜日まで待機、それからペンテクとトーン削りをマスター出来るように通ってもらう予定ですっ」
「え」
にこやかな笑みを見せて、そう私の(勝手に決められた)今後の予定を私たちに話す咲くん。
そういえば私は、ペンテクを教えてもらうことになるみたいな話は聞いていたけれど……まさか、トーンの削りもすることになるとは初耳だ。
ガッツリ戦力にする気満々じゃないか。
未夜くんがこちらに来ると咲くんをちらりと横目に見る。
「それ、俺教えていい?」
「トーンは未夜に任せる予定だから、お願いするよ」
「ほんとっ!?未夜くんが教えてくれるの!?」
なんということでしょう!!
ということは少なくともトーンのことを教えてもらう時間は癒しの時間になる事が確定したではないか!!
俄然やる気が出てくる琥珀ちゃんです、頑張っちゃいます!!
「ペンテクは雨林かいおりだけどね」
「え」
うきうきわくわく、していた気持ちが、一瞬で冷めていく。
嫌いなわけじゃない、怖いのだ。
師匠(雨林)のしごきが怖いのだ。
ていうかキャラ担当(?)のいおりさんもペンテクいけるのか。
どちらにしてもスパルタにならないことを祈るしかないけれど絶望的だ。
「……他には、いないのでしょうか」
「ペンテクは残念ながら、二人しかちゃんと使いこなせる人いないんだよねぇ。ここのみんな、脳筋だからさ、ペン折っちゃうし」
「折…………」
ペン、折れるん????
でも未夜くんは?未夜くんは削り出来るくらいならペンも使えるんじゃない…………??
じーっと未夜くんを見詰めていると、悲しそうな顔に見つめ返されてしまった。
「俺はすぐ原稿汚すから、できないの」
「……?」
「ペン使ったすぐ後に掠ったり、インクこぼしたり、ペン先を間違ってコーヒーカップに入れちゃったり」
「それは困るね!!?」
それどういう状況!?
インクって飲んでも大丈夫?害ない?
口に入れた瞬間口周り真っ黒になっちゃわない?
その前に先に気付くのか???
「未夜はぼーっとしてるから、ペン使うと原稿がすごく汚れるんだよね。服もぶかぶかだし、寝不足にも弱いし」
「そういえば未夜くんて、なんでそんなにお洋服がぶかぶかなの……?」
今日も安定して萌え袖ぶかぶかお洋服で鎖骨の見えている未夜くんは、ちょっとばかり刺激が強めだ。
おばちゃん、襲われないか心配になってしまうよ。
そんなことにも気付いていない未夜くんは、「服……?」なんて戸惑いの声を上げている。
「これは雨林の服だから。そこのベッドのある部屋に置いてあるんだよ」
「雨林さんの……?」
なぜ雨林さんの服を、未夜くんが???
びろーんと裾を伸ばして服を見る未夜くんに……ちょ、ちょ、胸筋まで見えちゃいそうだよ、ダメだよダメダメっ!!
琥珀ちゃんはほっぺを真っ赤にして顔を覆い、指の隙間からちらり。
未夜くんは慌てることも無く、すぐに服を引っ張る手を緩めた。
もう片方の手には、昨日と同じように握られたゲーム機がある。
そういえば未夜くんて、雨林さんだけ『リンちゃん』と親しげに呼んでいたような気がする。
仲良しなのでしょうか?
そしたら琥珀ちゃんはちょっとジェラシーとやらを感じてしまいます。むっ。
「リンちゃんの服、安心するから」
「……安心?」
「うん」
そ、そんな、彼シャツを着ているような女の子みたいな理由だと反応に困ってしまうのですがっ!!
琥珀は口を両手で隠してあわあわとする。
決してニヤニヤを隠しているわけではないぞっ。
咲くんが未夜くんの襟元を直しながら、教えてくれる。
あ、いいお兄さんみたいだ。
「簡単に説明すると、未夜は雨林のいとこ。で、今ここに住んでるの」
「………………???」
ちょっとサラッと爆弾が二つほど投下されたような気がするんですけれども。
「いとこ……?」
「うん」
「……住んでるって……倉庫に?」
「いま、家出中」
………………未夜くんて家出中なの!!???!?
なう!?家出なうなの!!?
「え、え!?」
ベルギーズたちももちろん知っていたようで、孫を見守るおばあちゃんたちのような瞳で未夜くんを見守っている。
えぇ、視線が優しいぃ……。
「お家の人は……ここにいること知ってる、んだよね……??」
「雨林が未夜の家行ってきたらしいから、その辺は大丈夫なんじゃないかな」
あれ、意外と雨林さん、面倒見がいいフラグ……??
私の中での雨林さんと、未夜くんに対しての雨林さんにズレがあって、琥珀ちゃんは頭をひねる。
〆切前で気が立っているだけ……??
「そもそも未夜は正式には黒曜の人間じゃないんだけど」
「そうなの?」
「雨林が一時的に連れて来てるって扱いだから」
どうやら未夜くんは、ここの人達の仲間という訳ではなかったようで…………でもめちゃくちゃカッターの扱いは上手いよね??
「ちなみに琥珀ちゃんの扱いとやらは……?」
「うん?黒曜の女神さんだね」
「……」
気の所為だろうか、今『黒曜の』って付いていたのがここのメンバーかのように聴こえたのだけれど。
「琥珀、黒曜に入るの?」
「え……私黒曜に入るの?」
「琥珀ちゃん程の条件の合う人材はなかなか手に入らないから、ここに
今、縛って聴こえた!!
縛って!!!聴こえた!!!!
琥珀ちゃんがチョロいからって黒曜のメンバーに入れてアシスタントとしてコキ使う気満々なんだわっ!!
ていうかここ、不良の溜まり場だよね!?
琥珀ちゃん、不良でもギャルでもない一般ピーポーですよっ!!?
「ちなみに時給は850円です」
「…………時給?」
「アシスタント代、出ます」
……なん、だと……??
お金が発生するなんて考えてもいなかったことで、琥珀ちゃんはお金に目がくらみそうになる。
いや、だがしかし、よく考えるんだ琥珀ちゃん、850円安くない??
コキ使われて850円?
「今ならもれなく未夜が付いてきます」
「やり…………まってまって騙されない」
ちょっとヨダレの出てしまいそうに緩んだ口元を隠しつつ、琥珀ちゃんは考える。
いや、考えている時点で既に揺らいでいるのだけれど。
いや、でも絵に携わるお仕事出来るならその時給でも悪くない気がしてくる……。
そもそも学生だし、バイト感覚でいうなら普通か……?
「送り迎えは俺たちがするから、交通費は出ません」
「……はぁ」
「飲食もよかったらこちらで出します。おにぎり貰ってたみたいだけど、ちゃんとしたコンビニ弁当が良ければ買ってくるよ?」
「コンビニ縛りなんですね?」
ごはん用意してくれるというなら……お弁当つくるのに楽出来るなぁ……。
ただ、それを聞いた瞬間、未夜くんが哀しそうな瞳を向けて来たので考えどころではある。
たまご焼き、そんなに気に入ってくれたんだね。
飲み物は下々ーズが用意してくれてたから、困らなかったし、待遇はいいんだよなぁ……。
「おやつもつける?」
「いかん、よだれが」
じゅるる、それはダメでしょ、おやつまでなんて……!!
揺らいでしまうじゃないか、例えコンビニスイーツだとしても……!!!
「泊まり込みにはならないように気を付けるけど」
「そもそも泊まり込みとかする所あるんですか」
「夜通し作業して泊まり込みとか、始発で帰るような夜型の現場もあるからね」
ま じ か 。
でも作者さんが夜型の人だった場合有り得るのか……こっちの生活リズムがんがん削ってくるやつじゃん。
それを考えると学校もあるだろうし、時間は9時5時で決めちゃったここが待遇いい気がする……咲くんになら不満があっても言えそうだし。
うぅん、困った。
黒曜に入るとなってもなにか今までと変化があるのかもわからない……。
「作業は月に一週間程度で」
「作業ない日の方が多い……?」
「ここにある作画資料や漫画は読み放題」
「それはちょっと魅力的」
そこでぐらりとまた意思が揺らいだ直後だった。
「好きな画材使い放題」
「これからよろしくお願いいたします!!!」
気付けば、琥珀ちゃんの頭は咲くんに向かって全力でペコリしていた。
おやおやぁ?不思議だなぁ?
おやつの誘惑にも頑張って耐えたのに、一瞬で努力が水の泡と化したぞ。
おい、いま端っこのベルギーズのどこかから「ちょろ」って聞こえてきたぞっ!!
ちょろいけど!!
琥珀ちゃんちょろいだろうけど、悪口はダメなんだからねっ……!!
ムッとしてベルギーズを睨み付けると、誰も私に目を合わせてはくれなかった。
誰だ今悪口を言ったのは!!むむっ!!!
「琥珀が入るなら俺もはいる」
咲くんの隣にいた未夜くんの視線が、じっとこちらを見つめていた。
そしてまた、口を開く。
「俺も黒曜、はいる」
「……え」
私で、未夜くんが釣れてしまった。
ドキーンと大きく心臓が鳴る。
え、いま、未夜くん……ここ入るって言ったの……!?
不良じゃないけど大丈夫……!!?(今更)
「未夜も入る?大歓迎だよ」
にっこりと笑う咲くんの笑顔に、逆に裏が有りそうで怖い。
「ちなみに……抜ける時にフルボッコ食らうとかいうのは……ありませんよね?」
恐る恐る、その中途半端にどこかから聞いたような知識を尋ねる。
場合によっては私はここから逃げないといけない。
「ここ、族じゃないからね。ただ行き場がない子たちのたまり場だから、そういうのはないよ」
「……それは安心した、けど」
「けど?」
「黒曜に入ったら何か、今までと変わったりします?」
身の安全は保証された、恐らく。
話を聞いて希望に応えてくれる咲くんがいるなら、大丈夫だとは思うけれど。
結局、黒曜が溜まり場で、二階で漫画描いてる事くらいしかわからない。
「そうだなぁ」
ふわりと私の頭を撫でられると、その紫の透けた黒髪の奥から覗く瞳に捕らわれる。
まさに、黒曜石のような、鋭くて美しい瞳。
「騒がしくて仲間意識の強いたくさんメンバーと、仲良しになれるよ」
彼は目を細めて、そう甘く応えてくれた。
「ようこそ、黒曜へ。俺たちの女神さま」
耳の奥で反芻する、甘やかな響き。
頬に添えられたその指先に、私も手を添えて目を瞑った。
私はこの日、正式に黒曜のメンバーに加わったのだ。
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