第12話 イワシを釣る
翌朝、ドアをノックする音で目が覚めた。
昨夜は城へ帰ってきた後、鮮度を保つためにアジの内臓とエラを取り除き、冷蔵庫にしまった。
その後は記録として残しておくため、釣り日誌を作成していた。
今の所魚拓を取る事が出来ないし、スマートフォンや動画撮影用のカメラも無くなってしまったため、記録に残すためには絵を描くしかなかった。
幸いにも絵は得意な方なので、綺麗に書くとは出来たが、それでもベッドに入ったのは深夜を過ぎていた。
こちらの応答が無いためか、もう一度コンコンコンとドアを叩く音が聞こえた。
正直もう少し寝ていたいが、眠たい目をこすりながら「は~い、今出ます」とドアの向こうに向かって声をかけた。
来訪者は一体誰だろうか。
ドアを開けると、金髪の小柄な少女が部屋に飛び込んできた。
「ねぇ! ヒロト! 私も釣り、してみたい!」
セラだった。
目をキラキラと輝かせながら、とても興奮しているのか呼吸が荒い。
「ねぇ、ねぇ。ダメ?」
こちらのシャツを両手でつかみながら見上げてくる。正直、その上目遣いは反則だ。
「わ、分かった。分かったから少し落ち着いて」
セラを何とかなだめる。
「リアから聞いたのよ。すごく楽しそうだったって」
まだ頭が覚醒していない俺は、ベッドに腰掛ける。
あぁ、昨夜俺とアジングに言った事を報告したんだな。
「っていうか昨日の夜、私を置いてリアと2人で釣りに行くなんて、ヒロトったら随分いじわるね」
「いや、そんなつもりは全くないよ。むしろ1人で行こうとしていた所を、犯罪をしないか見張ってやるってリアが付いてきたんだ」
「ホントに?」
「あぁ、本当だよ」
「そ。ならいいんだけど」
俺はやれやれと心の中でため息をついた。
「それで、釣りって私でもできるものなの?」
「全然出来るよ。初心者向きの釣りもあるし。そしたら、これから行こうか」
「うん! 行く行く! やった~、すごく楽しみ~」
両手を上げながら、部屋の中を嬉しそうにクルクルとセラが回る。
しかし俺には不安が有った。果たしてセラが釣りをどう捉えているのか分からなかったし、生の魚が触れるのか、虫エサは平気なのか。そこら辺が心配だった。
元の世界でも、やはり生きた魚を触れない女子や、ミミズやゴカイなどの虫エサがダメな女子が多かった。
その点、ルアーフィッシングであればそのあたりはクリアできるのだが、初心者というか、釣りを見たことも無い状態でやるのは難しいだろう。
なので、今回はサビキ釣りをすることに決めた。
堤防で比較的安全に出来るのが魅力で、何より既にアジの実績もあるし、魚が回遊してきているのを目撃している。
朝マヅメは終わっているが、サビキであれば日中でも充分釣れる可能性が高い。
まずは釣る事の楽しさを覚えてもらおう。
「それで、それで? 釣りってどんな事をするの?」
「そうだね、今回はサビキ釣りをしようと思う。初心者向けの釣りはいくつかあるんだけど、サビキはすごく簡単だからね」
「サビキ?」
「言葉で説明するより、見てもらった方が早いからさっそく行こう」
俺がそう言うとセラが「分かった。リアに言ってくる」と言って部屋を出て行った。
◆◆◆
準備を終え、城門の前へ向かうと既に2人は待っていた。
「遅いぞ貴様。姫様を待たせるな」
「すまない。色々と準備していたからね」
リアは相変わらず鎧姿だったが、セラはいつものドレスのような服ではなく、動きやすそうな恰好に着替えていた。そして、長い髪をアップにしている。
おろしている時は清楚で少しあどけなく見えるセラだが、アップにして結っていると少し大人びて見える。特に白いうなじには一瞬ドキリとしてしまった。
「おい、姫様をいやらしい目で見るな。叩き斬るぞ」
俺のセラへの視線に気付いたのか、リアが剣に手をかけていた。
「別にいやらしい目で見てないって。いつもと違って大人びてるなって」
「まぁ、ヒロトったら」
「くっ」
リアは苦虫を噛み潰した様に顔をゆがめた。
「う~ん。ショートカットも好きだけど、長い髪もリアには似合うんじゃないか?」
そう言うとリアは
「うっ、うるさい! 貴様に私の髪型をどうこう言われる筋合いは無い!」
と、顔を赤らめそっぽを向いてしまった。
やはり、こういう事は言われ慣れていないらしい。
「さ、ヒロト。早く行きましょう」
セラにせかされるよに袖を引っ張られた。
◆◆◆
堤防へ向かう道中、街人とすれ違うたびに声をかけられた。
無論、俺に対してなどではなく、セラにだ。
一国の王女が気軽に街を歩け、そして街人がそんな王女に対して話しかけられるほど王家が慕われていることが伺い知れた。
リアに関しては、そんなセラに話しかける人々に対して睨みを利かせているため、恐れられている様だが、俺はそれでいいと思っていた。
リアの役目は王女を守る事が第一優先なわけで、セラに対して危害を加えようとする輩は排除しなければならない。だが、王女を慕ってくれている民を無下に扱うことは出来ない。
故にそのようなスタンスになってしまうのも頷けるし、そのような立場の者が隙を見せてはダメだからだ。
しかし、セラを見る人、話しかける人は皆笑顔だ。大人から子供まで、例外は無い。
もちろんセラも邪険には扱わず、笑顔で対応している。
だがその立ち振る舞いは、いつもの好奇心旺盛で天真爛漫なセラではなく、毅然とし、おしとやかな王女としての側面を垣間見せている。
無邪気な姿を見せるのは、はやり近しい人間のみに対してなのかも知れない。
そんなこんなで多少時間が掛かりながらも堤防に着くと、さっそく釣りの準備を始める。
水汲みバケツに海水をいれ、振り出しの竿に仕掛けを付ける。
今回セラに使ってもらうものは、3000円程度で買える無名の万能ロッドだ。2000番の大きさのリールが付いた初心者用のモデルである。
堤防のサビキ釣りであれば、安価な物でも十分に楽しめる。
良い道具をそろえるのは、全然後からでいい。
サビキの仕掛けは3号の大きさの針が5つ付いた物で、小エビのカモフラージュがされたやつだ。
そして、重り付きの小さなカゴを、サビキ仕掛けの一番下につける。
いわゆる下かご式というやつ。
「そのカゴって、何に使うの?」
まぁ当然の疑問だろう。
「このカゴには、アミエビっていう餌を入れるんだ」
「うんうん、それでそれで?」
「んで、仕掛けを海に落として上下させる。すると、アミエビが海中に散らばって魚が寄って来るんだ。そこで、餌と勘違いしてサビキの針に魚が食いつく」
セラがほぉ~と、関心したような顔をしている。
「今から試しにやるから見ててよ」
バッグからパウチに入ったアミエビを取り出す。
「それがアミエビ? 可愛らしい絵が書いてあるのね」
「そうだね。女性でも扱いやすいように開発された餌みたいだね」
薄紫色のパッケージにはアミ
「普通のアミエビってすごく臭いんだけど、これはフルーティーな香りがするから、それほど臭くないんだ」
そう言って、キャップを空けセラに臭いを嗅がせる。
「う、うん……何とも言えない香りね……」
ほんのりブルーベリーの香りがするそれは、通常の物に比べれば臭くないが、元の臭いを知らなければ臭いかも知れない。
「まぁ、臭い方が魚が寄って来るんだよね」
「そうなのね」
あまり良い匂いじゃなかったからか、セラのテンションが少し下がってしまったようだ。
カゴにアミエビを7割りぐらい入れ、仕掛けが絡まないように持ち上げると堤防際へ向かった。
「いいかいセラ。よく見ててね」
仕掛けから手を離し、ベールを起こして着水させる。
サビキの一番上の針が見えなくなったところで一旦ベールを起こし、糸が出ていくのを止める。
「こんな感じで仕掛けを海に落とすんだ。そして、竿を上下させる」
すると、小魚の群れが一斉にオキアミに向かって集まってくるのが見えた。
そして、
「よし! 来た来た!」
ブルブルっというアタリ。それに合わせると、軽くググっと引かれる感覚。
慌てずリールを巻く。
「お~し、釣れた~」
模様、形からしてイワシだろう。だが、元の世界の物よりヒレが長いような気がする。
「すごいすごい!」
針にかかり、空中でピチピチと暴れる魚を見てセラが拍手をする。
さっきまでのローテンションが嘘のようだ。
「あんまりこのままほおっておくと、針から外れちゃうからすぐにバケツの中に入れるんだ」
掛かりが浅かったり、イワシの唇は薄いため、すぐに針から外れてしまう事が有る。
イワシを針から外し、バケツの中へ入れる。
バケツの中のイワシを「ほへぇ~」と言いながらセラが覗き込んでいる。
「ほら、やってごらん」
「うん」
もう一度詳細な手順を教え、カゴにアミエビを入れてやる。
「よっと」
セラの手から放たれた仕掛けが、ポチャンと音を立て海に沈んでいく。
「そこで止めて、上下に動かしてごらん」
「う、うん」
たどたどしい手つきだが、ベールを起こし竿を上下させる。
「あ、あ、あああ!」
竿先がブルブルと震えている。恐らくイワシがかかっているのだろう。
「セラ、リールを巻いて」
「え、ええと、こ、こうかしら……」
まだまだぎこちない動きでリールを巻いていく。
「あっ!」
リールを巻きすぎため、仕掛けの根元が一番ガイドに当たってしまった。
「大丈夫、大丈夫。落ち着いて」
ついつい巻きすぎてしまうのは初心者がやりがちなミスだ。
慌てているセラから竿を受け取る。
「さぁ、セラ。針から外して」
糸を少しだし、イワシを取り外しやすくしてあげる。
「え、えいっ!」
ピチピチと暴れるイワシを勢いよく両手でつかんだ。
素手で握ると、人の体温でイワシがすぐ弱って死んでしまうが、あえてそのことは黙っていた。
なぜならこのイワシは、セラにとって人生で始めて釣った魚なのだから。
苦戦しながらもイワシを針から外すと、握りしめたままリアの元へかけて行った。
「リア~、釣ったよ釣ったよ! ねぇ、見て見て!」
と、イワシをリアの顔に自慢げに近づけている。リアは顔を引きつらせながら、イワシと見つめあっていた。
「セ、セリオラ様、おめでとうございます」
「えへへ~、すごいでしょ」
やはり初めて魚を釣ったのが嬉しかったのか、小躍りしている。
「姫様、そろそろ魚を水に移しては?」
「アッ! そうね。私ってば嬉しくてうっかり」
リアに促され、やっと魚をバケツに入れる事に思い至った様だ。
水汲みバケツにイワシを入れた後、自分の両手をまじまじと見ていた。
「イワシはウロコがすぐ取れるから、手で握ると沢山つくんだよ」
そして、満面の笑みで両手を俺に向けてきた。
「ねぇ、両手がキラキラ~~」
そのしぐさに思わず心臓を貫かれた。
あまりにも無邪気過ぎる。
純粋無垢。
そんな言葉がとても似あう。
チラリとリアの方を伺うと、リアも微笑んでいた。
「よ~し、もっともっと釣るぞ~」
再び竿を握ると、セラは釣りを再開した。
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